そんな定義をすると、「孤独の・・・」同輩が店内のあちこちを徘徊じゃなく、巡っていて、彼らの脳内的つぶやきも聞こえる。魚や豆腐の売り場辺りに中年は佇む。「あのサバをどうするつもりだ?塩か、味噌か?自分でやるのか?」、「今日は湯豆腐かい、いいな」なんて想像する。反面、総菜や弁当の並ぶ辺りは何だか寂しい。そんな散歩だから、「そろそろ無くなるはず」と予算的に許容範囲の辛子やワサビや歯ブラシをやたらに買ってしまう。ママヨさんに叱られながら、波風立男氏は孤独≒自立の道を歩むのであある。さて今日は、鯛焼を絶対に忘れないようにしよう。
そんな定義をすると、「孤独の・・・」同輩が店内のあちこちを徘徊じゃなく、巡っていて、彼らの脳内的つぶやきも聞こえる。魚や豆腐の売り場辺りに中年は佇む。「あのサバをどうするつもりだ?塩か、味噌か?自分でやるのか?」、「今日は湯豆腐かい、いいな」なんて想像する。反面、総菜や弁当の並ぶ辺りは何だか寂しい。そんな散歩だから、「そろそろ無くなるはず」と予算的に許容範囲の辛子やワサビや歯ブラシをやたらに買ってしまう。ママヨさんに叱られながら、波風立男氏は孤独≒自立の道を歩むのであある。さて今日は、鯛焼を絶対に忘れないようにしよう。
成長と信頼②
(前回から続く)いわゆる「管理主義」的な教育の根底には、それとは真逆の「不信感」が漂っている。「任せたってできないから大人が決めて管理する」という発想は、「あなたたちを信頼していません」というメッセージを伝えることになる。そんなメッセージを受け取った子どもたちに、学ぶことを強制しても、言われたことをやるのがせいぜいなのではないか。そんな風に思ってしまう。
同時に、「任せる」と「放任」は似ているようで違うものだ、とも思っている。「放任」の背景には「自己責任論」が存在していて、「結果がどうなってもあなたのせいだよ」というメッセージをちらつかせている。このメッセージのまずさは、そこにいる人間同士が信頼に基づいた協力関係を結べないことにある。「信頼」が土台にない考え方は、人の成長を促さず、どちらかといえば損ねる方向に進んでいくように思う。(続)
豪華客船が沈没しかけ、船長が乗客に海に飛び込むように指示する。米国人には「飛び込めば英雄です」、イタリア人には「飛び込むと女性にもてます」、英国人には「飛び込めば紳士です」、日本人には・・・国民気質を表すお馴染みのジョークだ。先週の新聞コラム(1/19道新「卓上四季」)に載っていた。
学校の先生ならどうだろう、波風氏なら。飛び込めば「偉く見られます」・・・違うな。「年金が増えます」・・・少し考えるな。「教え子が見てます」・・・やらねばならないか。だが、決定打ではないな。そんな時、ボソッと「何グズグズしているの!」と聞きなれた声を耳にしたら飛ぶだろうな。「うるさいな、今やろうとしたところだべや」と弁解しつつ、丸い身体は手摺を超え青い海へ。「えっ、本気で飛んだの」の声を彼が聞くことはもうない。今日の一言【飛ぶのは気質より環境】
公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」更新済み。お題「流氷の頃」は続編も予定突然ですが、現在299回目の「一寸凡師の隙間コラム」は次回300号をもって終了いたします。また、現在142回目の「腹ペコ日記」も150回を最後に終了いたします今春、波風立男氏はやっと「中級老人」に昇格いたします。その時点で、無職(あえて言えば「波風食堂(ごっこ)店主見習い」)となりますがブログは続けるつもりです。新たな座付きコラムニスト1人は承諾いただけましたが、もう一人がウンと言いません。今日の二言【ものごとは誠意より力関係】
成長と信頼①
相方さんを見ていて感心させられるのは、他者に対するリスペクトの姿勢だ。あの姿勢で何かを頼まれたら、「がんばらなくちゃ」という気持ちが自然と沸いてくる。教育においておそらくもっとも重要なのは、「動機付け」、すなわちモチベーションをどう高めるかという点であり、それがうまくいけばだいたい大丈夫のような気がしている。その点、相方さんの、「あなたを信頼してこれを任せます」という姿勢は、何よりの「動機づけ」だ。相方さんの他者とのやりとりを見ていると、信頼が成長につながっていくのだと心底思わされる。
一方、子どもの発達の場である学校はどうなっているだろうか。「開かれた学校づくり」を通じて、学校への信頼は高まったのだろうか。そして、学校から家庭・地域への信頼は深まったのだろうか。
とあるアメリカでの子育て体験記に、「先生へのクレームは絶対に言っちゃだめよ」と同級生の保護者に言われた、という記述があった。先生が困っていれば手伝う、というのがその学校の保護者の基本姿勢だったらしい。結果として、教師はもっとよい授業をしようと取り組むことになる。ここにも、信頼が人を成長させるという発想があるなぁと思った。(続)
気の毒に思った記事(1/18朝日新聞)。①兵器(射撃用の的)を作った残りの材料で、焼き鳥用の焼き台を作る工夫…いいじゃないか。②それを部下とともに作業する同僚性…「電通」幹部との違い!、③それを公的行事で販売しイベント盛り上げに貢献…この開かれた関係性!一台千円も泣かせる。④それを同僚が購入し、売上金(5千円?)は隊員の親睦費という親和的完結性。一生懸命だったんだろうなあ。ママヨさんがボソッと、こんなこと新聞に載せる?
焼き台は回収・スクラップされ430円なり、が話の落ち。焼き台の値段が適当かどうかはわからないが、材料の残りを生かす庶民の「生きる力」、微笑む。間違いなく不法、だが「文部次官 引責辞任へ 天下りあっせん」(1/20朝日1面トップ記事)の官製一体不法に比べたら、『天下り』という特権的「生きる力」に比べたら、この庶民的同僚性不法はいかほどのもの。