波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その134】 凡師の壁

2013年10月28日 | 【保管】一寸凡師コラム
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 「上手い下手よりも、心や気持ちを込めて字を書いているかどうか」と前々回の隙間コラムで熱く語った凡師。本屋で目に入った「1ヶ月のトレーニングで文字が美しくなる本」。思わず本を抱えレジに並んだ。心や気持ちが込められていて、なおかつ読んだ人の気持ちが良くなるようなきれいな文字だったら言うこと無しじゃないか・・・そんな欲が出始めた『またもや軸足がぶれつつある』凡師。費用対効果はいかほどか。(800円)過去似たようなチャレンジはたくさんあったが、今回は(今回も)なぜか達成できそうな予感がする。荒馬さんや職場の同僚にも、トレーニング開始を宣言。自ら退路を断った。
 
レッスン初日に気づいたことが1つ。それは、まずは『ひらがな』からと思って買った本が、実は『漢字編』だったこと。人が何か達成すべく歩き出す時、目の前には壁が立ちはだかるものなのだ。
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求めない(加島祥造)

2013年10月25日 | 読書

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 どうしたらそうなれる?たとえば、簡素な暮らし、ゆったりした体、静かな生き方、自分の好きなことができ、恐怖感が消える生き方…「求めない」ことにしてごらん…すると、悲しみが消え、時はゆっくり流れはじめ、無駄口をきかなくなり、他人と比べない…と「求めない」効能が155ページの長さで続き、最後に「どうしてそんなに 求めるななんて言うんです? それはな、求めないと、気持ちがいいからさ!」で結ばれる。


   詩集「求めない」(加島祥造著:小学館)だ。数年前のベストセラー、ママヨさんが熱心に読んでいた。 立男は題名だけで叱られた気がして思いっきり無視した。思うところあり読んでみた。今、この境地には立てないな、いや未だその覚悟持てないや。「食欲性欲自己保護欲種族保存欲」という「求めるもの」を前に、求め過ぎているのかそうでないのか、求めているのは体なのか頭なのかがわからない。もうひとつある。人生に深く関わるみたいな言葉は用心した方がいいからだ。ちょっと気の利いた言葉を意味ありげな書体で表現したような類いにろくなものは無い。各人愛でるのは勝手だが押しつけられてはたまらない。「求めない」も、わかったような気分や、変な決意持つのでは意味が無い。ただ、「求めない」を忘れないことが欲望にからっきし弱い立男には必需品だ。

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詩集「求めない」で、40年前読んだ「人間の羊」(大江健三郎)思い出す。言葉一つもとに、静かに考えると何かが浮かんでくる研究室で一昨日はゼミ学生、昨日は中学校の先生たちと。緊張の中で、読む、聞く、話す分勉強会。切れば血の出るような「求める」と「応える」の真剣さが学びあう価値。「国語の先生が文書かなければ、既に教える資格は無い」と言った手前、今朝早々にブログ更新。

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天野祐吉さんご逝去

2013年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝日読んで来たのは、地元紙だけでカバーできない情報収集だったが、Image1_3今は大新聞の節操のなさウオッチングだ。マスコミの矜恃既に無く、ここまでひどくなったか…争点で必ず勝ち馬に乗りいい気な世論誘導。「夕陽妄語」の加藤周一氏も逝かれ、水曜の「CM天気図」の天野祐吉氏も20日80歳でご逝去。連載小説も「沈黙の町で」以来今ひとつで、「ののちゃん」と「地球防衛家」も何だかお疲れ気味。「天声人語」が日本語文書の見本です、みたいな自画自賛もまことに嫌みで、今回を機に購読止めようかなと思ってる。

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 「CM天気図」の朝日掲載が、未だ朝日には庶民感覚残っていますのCMだった。毎回、旬のCM素材に今の時代を鮮やかに描く約千字。文体柔らかく硬派貫き、それを粋な表現で嫌み無く教えてくれる。企業と庶民が補い合って生きる道をCM批評の名でわかりやすく。朝日と天野さんの関係そのものが実にそれだ。本ブログ(プロフィ-ル側)でもお気に入りブログに天野さんのを入れて楽しんできたが勇気ある一貫性に驚き嬉しい。こういう、先頭で無く一歩後ろにいて確かなものを応援する姿勢が素敵だ。老後必読書籍に、加藤さん、井上さん、夏目さん、そして天野さんを加えようかな。

 一面的なものの見方ではなく、一見相反するのが当たり前でそこに活路がある、それが面白いんだよが一貫していた。「フツー貫いた思索者」にご冥福を祈り、天野学長の「隠居大学」は残された教科書で自学自習しようかと思う。

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【その133】 衣替え

2013年10月20日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo_2 今日、ちょっと早めのタイヤ交換。昨年も書いたが、凡師は『自分で交換派』。浮いた『工賃』をお小遣いにするのが狙い。それほど距離を走る訳ではないので、雪が降る前、しかもそんなに寒くない日をチョイス。手が冷たいとか、体が寒さで強ばるようなこともなく、30分ほどでパパッと終了。年々早
くなっている気がする。
 
 さて、洋服も本格的に夏・冬入れ替えの時期。以前隙間コラムで5月に買ったスーツのズボンがブカブカになった話を書いた。とうとうそのズボ ン、グイッと下にひっぱると、そのまま脱げるようになってしまった。今年の5月に買ったズボンでこうなら、昨年の冬に履いていたズボンや洋服はどうなって いるのか? 
 
 本当に凡師が痩せたのか。それとも安価なスーツが単に伸びてしまっただけなのか・・・。その答えが、衣替えで判明する。
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覚えられない顔 3

2013年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_2【前号から続く】10月はMY人生振り返り月間。4年前の10月、生死分け目の入院体験から。胃3分の2切り、腸つないだところの炎症で、嘔吐三昧の3週間。あれよあれよで78㌔が56㌔。見舞いの人皆、セミの抜け殻風に横たわる立男見て絶句した。立男も体重計と洗面所の鏡で息飲んだ。

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 その時の顔をケータイで写した1枚がある。丸が四角になり、細くペラぺらな紙みたいになった無表情な顔。生まれた時から自分の顔は自分専用で忘れるはずないのだが、写真の顔は知らない顔。だが、余計なものを削り取って、残った芯は、こんなのかも知れない。化粧前のすっぴん顔は、こんなに悲しく弱々しく、実は本人が一番知りたくない顔かもしれない。そして、顔にとどまらず、こんなに薄っぺらなのが自分なのかもかもしれない。いやきっとそうだ。今年の人生振り返り月間も残りわずか、あのときの不安に比べれば、今の不満なんかしれている。知らず知らずのうちにへばりついた欲望を、いや欲望に弱い心を何とかそぎ落としたい。

画像のメトロノーム、ドラえもんみたいだ、と感じた瞬間からドラえもんにしか見えなくなる。認識や記憶なんて案外いい加減なものかもしれないニサッタ、ニサッタ(上)」(乃南アサ著:講談社文庫)読む。貸してくれた方はどこが良かったのかな?(下)も読んでみよう。

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