波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

確かな学力  №16

2012年10月28日 | 新聞掲載

 彼の顔がゆがんだのは、「君だけは残業代があたらない」と、私に言われたからPhoto だ。「夕焼け空から星も月も見える夜中まで働きました社長さん、ではだめだ。時間を言えなければ」と、私は突き放した。
 小学校で、自動車製造工場の仕事を教えた時だった。夜間の労働は、昼間に比べ高い賃金がもらえる話をした。酪農地帯の子どもたちは驚いた。「それ欲しいなあ」と、思わず彼がつぶやいた時のやりとりだった。
 「時計の勉強をやり直すかい?」と促すと、涙のこぼれそうな顔でうなずいた。今までずうっとわかりたかったのだ、きっかけを失っていたのだ。彼の真剣な努力を複式学級のみんなで応援した。そのごほうびだったと思う。彼もみんなも、そして私も、なぜ勉強するのかを劇的に学んだ。
 彼の、授業中の立ち歩きや、休み時間の勝手な延長がピタリと止まった。「時間」を理解したことで、生活にめどをつけられるようになり、心構えや辛抱を覚えた。所作に余裕が、表情に自信が生まれた。この変化に私たちは驚いた。勉強とは、人が人らしく生きる知恵を手に入れることだった。誰かに勝つためではないのだ。1人の「わかった」が、みんなの幸せにつながることを私たちは深く心に刻んだ。
 私は、老後人生の残された時間を知らない。ただ、「わかった」が足りないことは知っている。これから何とかしなければと思うと、この時のことが浮かんでくる。 (10/27北海道新聞「朝の食卓」)

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競争原理が支配する「グローバル社会」。過酷な競争が子も先生も追い詰める。教育は誰にとって大事なのか…思考停止したら終わり胃がん切除で2ヶ月入院も3年前に。退院の足で病院横のそば屋へ。これを記念し10月26日は波風家「鍋焼きうどんの日」。さっき決定。

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【その83】 ブーツ贈呈

2012年10月25日 | 【保管】一寸凡師コラム
83  ストーブの「ウーン」という静かな音に冬の訪れを感じる。

 冬の準備としてPhoto 最近「ブーツ」が気になっている。今までは「スノトレ」や「長靴」で通勤することが多かったが、40を過ぎたビジネスマンとしては、スーツにビシッと合う「ブーツ」も欲しいところ。今までは「冬でもなんとかいける夏靴」を履いていたが、40を過ぎたジェントルマンとしては粋にブーツを履きこなしたいのだが・・・。
 長年お世話になっている「スノトレ」。荒馬さんとお揃いで買ったスノトレは「もう10年近く経つのかねぇ?」などと昔話に花を咲かせてくれる。水がしみてきたり、よく滑って転ぶが、こちらはもう少し活躍してもらおう。
 
 今週末、長男の誕生日。生まれたときの写真を見ると懐かしさがこみ上げる。素直に「おめでとう」と「ありがとう」の気持ちを伝えたい。家族の記念日はみんなの記念日。誰かの祝い事はみんなの祝い事。これが凡師家のルール。ルールに従い、「長男の誕生を祝う品」として自分自身に「ブーツ」を贈りたい。
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ぶどう

2012年10月24日 | 読書

Photo_2                       与田準一


ぶどうのように、
ひとつ ひとつが
まるく。


ぶどうのように、
みんなが ひとつの
ふさになって。


ぶどうのように、
ゆったりと
においも あまく。


ぶどうのように、
よろこびを
ひとから ひとへ。



退職された先生から自家製の「巨峰」いただく。こんなに粒が大きく甘いのを作ることができるんだ。イラストはそれを木炭とクレパスで短冊に。この詩、句読点や間を意識して読むと、一粒一粒の重みや色や味が浮かび心が温かくなってくる。「草にすわる」(市河紀子選詩:理論社)から。絵や詩は、一つしかない人生を幾重にも楽しむための仕掛けだと思う。  

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一言多いですが【「格付け」編】

2012年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

2 …前回から続く…
生たちの厳しい立場、出口の見えない閉塞状況に心痛む。おいそれと「…仲良く暮らしましたとさ」と冗談言えない空気感じる。定年退職で学校現場から一歩離れて見える何とも言えない重苦しさ。すでに、社会全体が息絶え絶えだ。生き続けることに誰もが必死だ。
                ■ □ ■
凶に根深い「格付け」がある。たぐりよせると、以前の正規と終身が普通の雇用形態が、非正規と短期雇用に変質し、一生続くサバイバルのイス取り競争の始まりがある。自己責任論が正論の顔で闊歩している。一昔前の復活戦ありの勝者:敗者から、負けると終わりの救いようのない強者:弱者の時代が来ている。「3.11」が追い打ちをかけ、復興の遅れは弱者に光は不要というひどい政治そのものだ。何と冷たく悲しい話だろう。原発も含め、こんなのを次の世代に残していいわけがない。
                           ■ □ ■
生続く「格付け」に、学校も逃れられない。生徒だけでなく先生も追い詰めら、耐え抜く訓練が段階的に強制される。じっくり、ゆっくり、わかるまでは既に夢のような話だ。数値目標の管理が改革の名で強制される。「子どもが学校の主人公」という当然の言葉さえ、口にするには覚悟が必要な時代が来ている。真綿で首をしめられるような嫌な感じ。
 いじめ報道で、あってはならない「いじめ」をあっても無いと言う記者会見の校長先生たちの姿に怒りが湧く。同時に、哀れさも禁じ得ない。「立派な活動=立派な学校=立派な校長」に精進してきたのに、何でここで「問題発生=問題学校=問題校長」の烙印を押されられなければならないのかという顔がある。この2つの評価は一見対極だ。しかし、「立派」が「問題」に瞬時に入れ替わることは学校関係者なら誰でも感じている。   …次回【教師至難編】に続く。

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イラストは島の時代、家の前の林で拾った胡桃「老人はバーにいる」-教え子が夏に開いた隠れ家みたいな店。ひっそりと佇むバー。知らせたくないような、知らせたいようなお気に入り秋の学校行事を大学の授業「特別活動論」の一環で学生諸君と見る。「子どもが主人公」をめざす学校の覚悟を学ぶ。

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【その82】 ちびりちびり

2012年10月18日 | 【保管】一寸凡師コラム

Photo  読書の秋。たくさん買った本を日本酒のように「ちびり82 ちびり」と読んでいる。改めて「新しい知識」を頭に入れるという行為は素晴らしいことだと実感している。
 
 レセプター(受容器)という言葉を本で知った。レセプターが開いている状態の人は、周りからの情報をいくらでも受け入れられる。逆にレセプターが閉じている状態の人は受け入れられないという。凡師のレセプターは今、ビンビンに開いている。1ページ、1ページ、「ほほう」「ホホウ」の連続である。肌寒くなるこの季節。毛穴がギュッと閉じるような感覚を覚える日が増える。もしかしたら、毛穴の閉じ具合とレセプターの開き具合は微妙な関係があるのかもしれない。
だとすれば、「読書の秋」というのは「周りからの情報(本の内容)がスッと頭に入りやすい季節」ということになる。(冬はもっと頭に入ってしまうが・・・)

まあ、荒馬さんのような読書好きな人にしてみれば、季節は年中「秋」かもしれない。うらやましい限りである。

熱燗が似合う季節になってきた。「ちびりちびり」と本を飲み干したい。

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