波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

時間のこと(下)

2022年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

生の心残りは今のところ無い。会っておきたい人や知りたいことはある。そうかといって果たさなければ死んでも死にきれないというものでもない。家族が健康で楽しく暮らして欲しいという願いはあるが、もう大人なんだからなるようになるだろう。
後に残る家族が困らないよう少しづつ片付け始めているが、途中で逝ってしまったらそれは仕方ないことなので家族に甘える。

 

う考えても、残された時間をどう使うかが、やっぱり一番の問題。変な本を読んだり、どうでも良いような情報に惑わされたり、無駄な人間関係で浪費するのはごめんだ。
これからの暮らし方というのは、これまで使ってきた時間の続きだから、良くも悪くも今とそう変わらないはずだ。身長171㎝、体重68.5㎏の身体を盛んに振っても気の利いたものは一つも出てこない。もしかしたら今が人生上で一番保守的かもしれない。夢も希望も無いのではなく、むしろ夢や希望がはっきりしてきて安心したという感じに近い。老人って、みんながこんなものなのかなあ。

暦になって決めたのは、周りの評価・評判を気にしない、自分のしたいことしかしない、機嫌良く愉快に遊んで「変なオジサン」になることだった。5年前、健康年齢(自分の手足使って一通りのことが出来る)は短かければ75歳ぐらいまでだろうと予測し再就職も止め、『積極的引きこもり生活』と自称して「変なオジサン」化を加速させた。外で働くとか周りと上手くつきあうというのは意外にストレスが多いことを実感する10年だった。
愉快な暮らしというのは、自分に有益な時間の使い方という意味で、それは身体がちゃんと正直に計ってくれる。快眠・快食、快便なわけでそれ以上に正しい良い暮らしの判断基準はあり得ないと思うなあ。


昨日から流木を使って庭で使う椅子を作る。チェンソ-(電動)は恐いが「作りたい」が勝る堤清二 罪と業』(児玉博著:文藝春秋社)、実業家で詩人・小説家で元共産党で三島由紀夫と親交のあった堤清二氏からの聞き取り。環境と時間と才能を思う。「堤さんの小説も詩も読みたいとは思わない」と先に読んだママヨさん【参考】公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」から『積極的 引きこもり生活』(2019.2.25)

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時間のこと(上)

2022年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

校の授業で、商品価値とはそれを成すための労働時間の総和で、労働者とは資本家に労働時間を売って生活している人たち(つまり自分たちの親)と聞いてとても驚いた。価値の本質をそんなふうに考えられることに。加えて、それまで『時間』とは初めと終わりのある誰にも平等の事実で時計で知ることができるぐらいの感じしか持ってなかったからだ。このブログに何度も書いているが、波風氏は曜日や時間がこの歳になっても肉体に馴染んでいない。ママヨさんに「今日は何曜日?」と聞いて「私はカレンダーではありません!」というやりとりが半世紀続いている。

近、というか人生の終わりもそれほど遠くなく感じる今日この頃、自分に一番大事なものは時間かもしれないと思うようになってきた。40代ぐらいまで人生で使える時間を意識したことは無かった。仕事が面白かったし好きだったから、時間をどんどん仕事に投入した。仕事に一段落したら本を読むか(これも仕事)ボーッとしてタバコを吸ったりしていて、仕事しなくてもよいようになったら絵を描いたり工作をしようと思っていた。家族でどこかへ遊びに行った記憶はほぼ無い。もちろん趣味も無かった。あっ、時々の喫茶店とパチンコが娯楽だった。(次回に続く)


この世の真実が見えてくる』(井上ひさし著:岩波書店)、新しいものでも2000年当初~1970年代の「発掘エッセー集」。易しくはないが楽しく読めるし今読む価値を強く思う。漱石、周一、ひさしに健三郎を老後読書に、と昔決めたのは我ながらなかなか(笑)読書交流会『ほんのおつきあい』、コロナで休業せざるを得ない。読書感想を送っていただけると嬉しい波風ボデーの久しぶりの出張作業。オーナーさんが頑張った、わが社は自己責任補修がモットー。

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ミニトマトを描く

2022年08月26日 | 図工・調理

たぶん美の神に魅入られたのだと思う。イラスト描く手が止まらない(笑)。赤い実と青い実と青赤半分半分の実がズシリとぶら下がっているのが面白。今まで赤くなっては食べていたが今季そろそろ終わりかなという感じなので描かないではいられない。


昨日と今日、久しぶりの昆布干し作業。明日から時化模様のためしばらく休み。知人に絵ハガキで近況報告+安否伺いも出せたし、今日もイラスト描けたので充実充実。これからチェンソ-使い流木で椅子作ったらやりすぎかなあ  ねじめ正一著『泣き虫先生』(新日本出版)。面白いし文体も爽やかだが読了後「これからが本番だろう、どうなるの?」、中途半端過ぎるね。

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隠元豆を描く。

2022年08月25日 | 図工・調理

昨日の茄子もそうだが、このイラストもサイン代わりの日付が間違っている。「22.8.24」が正しい。葉と枝と蔓が入り組んでいて描くのはやっかいだが、そこら辺は見事に省略し描きたいところだけを描く。こういう態度は、読書でも同じで古典や詩などの「よくわからないなあ」に躊躇せずどんどん読み進めていく(=飛ばしていく)。誰かに文句言われるわけで無く、内心の声が「そんなことして良いのか?」と説教するが還暦後は全く意に介さなくなった。

絵にサインを入れないのは、「いいかげんな気持ちでいいかげんに描いている」と思っていて、とてもじゃないが絵に責任が持てないからだ。自己満足(「事故満足」と出た)の自己表現そのものだからプロみたいな真似はしない。そんな絵でも喜んでくれる人がいたら嬉しいので絵ハガキにして近況報告や返礼なんかに使ってる。大事なのはそういうインゲン関係、もとい人間関係。

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茄子を描く

2022年08月24日 | 図工・調理

アートに浸る波風立男氏。木炭の白黒も捨てがたいが色も恋しい。ということで色つきの茄子。こういう感じで描いていると、目に見えるもの全部を絵にしたくなる、というか出来る感じしてくる(笑)。美の神がおいでおいでしているみたい。やっと茄子を描いたので5本実ったのを収穫して浅漬けに。話違うが、ゴーヤを話の種に植えたら15㎝ぐらいに育った。こんな寒い地で、お前はエライ!

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