波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

西洋医学

2011年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 右のアキレス腱が痛い。1ヶ月前からだ。インフルエンザ予防接種の時に見てもらい、とりあえずと貼り薬もらった。

1  もうだいぶ前だが、左の足の裏が突然痛くなった。歩くのに難渋した。身近に親切な人がいて、「それは肝臓が悪いんですよ。そこ、ツボですよ」と教えてくれた。何でも、肝臓が原因で生死さまよった時、やはり足の裏が痛くなり、立男と同じところを指で押したら飛び上がるぐらいだったという。立男は、まだ飛び上がりはしないが、離陸態勢ぐらいには入っているような気がした。飛んでしまうのは、とんでもない話だから、いつものお医者さんに飛んで行った(笑)。型どおりの「どうしましたか?」質問に、「肝臓が悪いんですよ」、「足の裏のここが痛いんですよ」と、靴下脱いで指さし、明快かつ的確に説明した。

 「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。もう一回、言って下さい」と、同じ説明を、指さし確認込みで3度も言わされた。そして、厳かに、「うちは西洋医学でして、波風さんのは東洋医学のお話ではありませんか?」とそれはそれは丁寧に教えていただいた。
    その時突然、1ヶ月前、駐車場で足ひねったのを思い出した。神の啓示のように、落ちるリンゴを見たニュートンのように。「…でしょう」ということで筋肉痛に効くという貼り薬を出してくれた。とりあえず。「西洋医学」の見立ては、軽いねんざだ。
    さて、今回だ。原因が未だわからない。薬は前と同じ。お医者さんも同じ。これが全然効かない。西洋でも、東洋でもいいから何とかならないか…退職直前の冬の夕暮れ。変な離陸直前にはしたくない…んだよと痛いところを押したりつまんだりする立男だ。

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評伝 野上彌生子 迷路を抜けて森へ」(岩橋邦枝:新潮社) 「固い本」を脇に置き時々開いては「無駄な読書」を戒める類の一冊…と思って読み始めたらこれが意外に…。「知」も人間くささがあってこその好著。百歳直前までこの生き方で、先生が夏目漱石、初恋が中勘助…ウーム。

「加藤周一を読む   『理』の人にして『情』の人」(鷲巣力著:岩波書店) これぞ無為徒食を省みる類の一冊なのだが、なかなか。「情」の部分を嬉しく思う。全364ページ。楽しみながら1日10ページのペースで。

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【その35】  薄氷

2011年11月25日 | 【保管】一寸凡師コラム

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 小学生の頃。冬の訪れを感じるのは、朝学校に行くときの水たまりの変化だった。薄く氷の張った水たまり。宝物を見つけたかのように一歩一歩を大事に踏みしめていた。あの「ピシッピシッ」という音が何とも言えない。登下校では「宝物」を探す「ほっぺの赤い」海賊であふれていた。みんな「顔」は下向きでもPhoto_3
「心」は前向きだった。

 今年の冬は、(今の所)「薄く氷の張った水たまり」を見つける間もなく、雪が積もってしまった。徒歩通勤をしている身としては一抹の寂しさがある。冬と言えばここ数年、毎年スッテンコロリンとダイナミックに転倒している。「雪国生まれ、雪国育ち」としては、「転ばない歩き方」はマスターしているつもりなのだが…。もしかしたら、小学生の時に氷を割りまくった天罰かもしれない。

    背中を丸め、「大コケ」にビクビクしながら歩く凡師。下は向いても、心は前向きでありたいものだ。

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11歳の年賀状

2011年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo   年賀状を書かされた。早生まれだから未だ12歳でなかったが、自分の干支の龍を描いた。母親から書いてくれと言われた家の年賀状だ。緊張した。子どもの俺でいいのかな、と思っても母は忙しそうだし、妹は小さいし、絵が好きだったし枚数も少ないから「何とかなる」と思って書いた。父が亡くなり7年が経っていた。もしかしたら、それ以来の波風家としての年賀状だったかもしれない。丸いちゃぶ台、石炭ストーブ、鉄瓶の茶の間、坊主頭の立男の小さな姿が浮かぶ。

 これを覚えているのは、描いた龍がとんでもなく下手だったからだ。鉛筆で描いてだめで上から墨で書いてひどくした。それならと描いた竜の落とし子はもっといけなかった。何が描かれているのかさえわからない。一応、絵に自信があったから準備しないで描いたのが悪かった。母は、「何だか、おもしろいね」と言って笑った。

 昔は12月31日の夜に正月の新聞が届いた。そこには、龍のイラストがたくさんあった。竜の落とし子もあった。子ども心に、迷いのない線で一発で仕上げているのがわかった。プロだものあたり前だ。家に来た年賀状と新聞が、立男の「絵はうまい」はずの自信を凹ませ続けた。

 来年はこの時から4廻り目の辰年。干支の年退職は既定事実だが実際それを前にすると感慨深い。年賀状に一言書く言葉が今年ほど浮かばない年は無い気がする。それにつけても、たとえ年賀状にしても一家を背負ったあの時の立男は、いったいなんて書いたのだろう?

  「昭和ごはん」(瀬尾幸子著:講談社)題名も、いや題名から泣かせる(笑)副題「作れる思い出レシピ」とあるのは、子ども時代の味を大人になった君も再現しようと思えば出来るよのさりげない促しか。全メニューごとに、「食べて今も覚えている」聞き取りがあり、昭和25年前後生まれの方々登場で。いなり寿司、酢豚、えびフライ、ラーメン、ちらし寿司、オムライス、チャーハン…今も立男のごちそうだ(笑)  こ、これは…というのは「白飯」、「冷や飯がそれなりにうまかった」の見出し。

天野さんのブログ「あんころじい」、抜群におもしろい。右上プロフィールから入れるよ。ドキドキやワクワクが宣伝表現の神髄だといつも気づかされる。天野さんは谷内六郎さんがお気に入りなのだろう。立男もだ…このごろ特にだ。

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凡師のつぶやき(同窓会編)

2011年11月20日 | 【保管】一寸凡師コラム

 昨日の朝日朝刊、月1回掲載「先生のつぶやき」も8回目。我がPhoto凡師、7月から連続掲載で今回も冒頭に。短い文なのだが、まず入り口で興味を引かせ、速攻で主題に持っていき、最後でドンデン返しといった構成が、読ませる文章のお手本になっている。

短い分、人柄滲む
    こういう短い文は人間性を如実に表すと思う。凡師さんの温かな人柄をいつも感じる。クスリと笑いながら、どこかしみじみとした人間らしい感情が湧いてくる、爽やかな読後感を作ってくれる。確かな技があるからなのだが、それだけで書けるものではない。

30年前の立男は
 さて、立男が今の学校で最初に卒業生を出した、30年前の3年1組のクラス会というか、その時の7クラス分の学年同窓会が1月にある。それがきっかけで、幹事さん秘蔵の卒業特集の学校便り、担任当時に書いたメッセージを読む機会があった。
    生徒にでなく立男自身へ書いたような文だ。「斜めからでなく」という題名からも、もどかしいぐらいに必死に子どもたちに何かを伝えようとしている、祈るしかできない若さを感じる。
 それにしても、幹事のミキコさん、昭和56年3月の学校便り発信に感謝します。当時の先生たちの連絡先、少し遅れましたが今日メールで送ります。がんばって下さい。楽しみにしています。 

  「勘違いしないでね、立男先生」前編を先週UPし、後編が今日予定でしたが、「1日には1UPだけ」を原則とする本ブログですので中止とします。もって前編も削除させていただきました。
作った文書ファイルをブログに添付するこんな技があったんだ、と驚く今日の立男だ

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ロクジュウ…ムニャムニャ

2011年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、定期検診。2ヶ月に一度通院。体重聞かれ、「67㌔…ぐらいかな」とちょっと自信無げに答えたら体重計に連れて行かれた。77㌔あった。「嘘ついたらだめだよね」って言ったら、「適当なこと言ったらだめなんです」と言われた。

 家に帰ってこの話をママヨさんと笑った。10㌔もさば読んでどうするのと言われていた時、何げなくポケットに手を突っ込んだら紙片があった。引っ張り出してチラッと横目で見てすぐ戻したら、「今何隠したの?」とママヨさんの鋭い一言。目ざとい、目ざとい。あの看護師さんと同じ目つき。あんまり良くない今日の血糖値結果だった。「隠してどうするの?」と言われた。

 仕事柄、インフルエンザの予防接種もこの時期恒例だ。受付の事務の方から「先生、何歳でした?」の質問。「惜しいですね。65歳から無料なんですけど」の親切な一言。5歳、いや正確には6歳もまだ間があるのに「惜しい」は何だか変な言葉だなと思ったのと、あの体重自己申告の後だったから、「ロクジュウ…ムニャムニャ歳なんだけど」と冗談を言いたくなってムズムズしたが我慢した。言わないで良かった。先生が嘘を言ってはいけませんと言われるところだった。

打出小幸作品集に4作品UP 右袖入り口からどうぞ

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