相模原市の知的障害者施設の惨劇。犯行の残忍な様子わかるにつれ、やり切れなさが募る。認知症のお年寄りを髙いところから投げ殺した事件、大阪の付属池田小、秋葉原の襲撃事件を思い出す。自己中心的で、意味不明な理由、全く関係のない弱者が狙われた。
今回の加害者青年は、教育実習を経験し教員免許状を持っているという。親が教員という情報もある。
人間について何を学んだのだろう。人間は誰もが助け合って生きている。障がいのある人はない人より、助けが多いだけだ。この施設で笑ったり感動したりした時もあったはずだ。 映画『あん』の、「人は見るために生まれてきた」という言葉が沁みる。※6/15ブログ 「映画『あん』を観る」
障がいのある人、その家族が、安心して過ごせる世の中には未だ遠い。「障害」か「障碍」か「障がい」かの表現が教育界でさえ一致していない。
そんな中で起きた事件に、「障害者殺す」の言葉を大見出しに使う新聞があった。ザワっとした。こういう言葉を家庭で読む新聞に使う編集感覚に違和感。障がいある方に恐怖感を与えたり、偏見の助長につながらないかと思う。今後の取り調べや調査で、「精神障障害者による犯行」などの大見出しが出ないことを祈る。
お題は「100円の至福」。この題で、人は波風氏の何を想像するだろう?あなたのお考えはまず当たってないと思いますよ。波風氏は最近、確かに素敵な「百均」の店も見つけましたが、そんなことで嬉しがるような人間ではありません あなたの想像より、もっとしょうもなく即物的です(笑)それにしても、昔は「100円硬貨」は今と断然違う価値ある光を放っていましたね。高校の修学旅行前に「100円札だと東京で馬鹿にされるから郵便局で硬貨に変えてきた」という奴がいて、「これが100円硬貨というものか」と鑑賞したのを思い出しました
自由研究
ひょんな思いつきから、“手作りしおり”の制作を計画。まさに大人版「夏休みの自由研究」。“やらされ感”の無い自由研究ほど面白いものは無い。必要な材 料が揃ったら、さっそく制作に入りたい。自由研究と言えば、小凡師くんが“はた織り”に挑戦。なにやら近所のカフェで“はた織り”を習ってきたようで、現 在マフラーを制作中。果たして、はた織りを教えて頂いたカフェの方に、恩返しができるかどうか・・・。“鶴”の恩返しならぬ、“一寸小凡師”の恩返しに期 待したい。
今日のイラストは「【その20】プロの仕事」(2011年7月21日)で描いたもの。このとき小凡師君は小1だったのではないかな。すると今は小6かい?月日の早さとともに、「一寸凡師の隙間コラム」の継続性にも感嘆しますね。これからもよろしく珍しく3日連続で「波風衝動、準備中」更新。手が滑って「食堂」と「衝動」の間違い。しょ、しょうどう?どんな衝動の準備?(波風立男談)