波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その195】 道は続く

2014年12月30日 | 【保管】一寸凡師コラム

     道は続く

 いよいよ年末の帰省シーズン。今回もフェリーを使ってのんびりと。
 どうせならと荒馬さんと相談し、帰省前にチョイと足を伸ばして関東へ。
初めて運転する都会の道路、テレビで見たことのあるでっかい塔やビル、虹色に光る橋…。あらためて、人ってたくさんいるんだなと実感。

 現在の走行距離は800キロ。実家秋田にはまだまだ遠いが、 普段あまり走ることができない愛車も嬉しそう。今までは、実家のある東北と関東の間には、大きな距離を感じていたが、今回の関東遠征で随分と縮まった。

なるほど、確かに道は続いてる。              iPadから送信

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円熟か「角熟」か(上)

2014年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 「馬鹿な大将、敵より怖い」、「円熟は嫌い。尖ったまま熟す『角熟』が本望」の言葉。面白いこと言うな。極めて鋭いが軽薄・狭量が残念な評論家S氏と落語家の対談。NHKのギリギリが「沖縄の選挙応援に行って亡くなった菅原文太さんは立派」のここら辺なのだろうな。寝そべって本読みながら聞く今年最後の日曜昼のTV。
                
 「馬鹿な大将~」を色々あてはめて笑う。大将はやっぱり大将で、決して敵では無いと思うと視野広がる。そうか、あの総理大臣は敵でなかったんだ(怖い馬鹿なだけだったんだ-最悪だな)。そうか、身近なあの方も敵では無かったんだ(ただのバカだったんだ)、そうか俺は…【次回に続く】


 昼煤払い、きれいな空気で夜迎える ナビの50音検索で丁目と番地にいつも困る。その度に何とかやり方見つけ、次の時には必ず忘れてる。目的地まで30秒のところで迷いに迷う(停車し長時間の検索)

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第34号/ 権利を学ぶ機会(後)

2014年12月28日 | 【保管】腹ペコ日記

         権利を学ぶ機会(後)

 不在者投票のレクチャーを通じて学生と一緒に学んだことは、市役所などの場所までのアクセスの困難さだった。不在者投票のためには、選挙管理委員会のある市役所までいかなくちゃいけないけれど、愛知県内だって交通網がそこまで整っていなかったりする。それに、県外から来ている学生だっている。学費を自分で稼いでいる子が大半で、車を持っている子なんて一握りだ。

・・・

 権利の使い方を学ぶ機会は、「でもこれだと使いにくいよね」と改めて考え直す機会にもなった。そんなことを立ち止まって考えられることも、大学の役割だと思う。(終)


「ブログというもの」(2010.12.21)でスタートした本ブログ。こんなに続くとは…コラムニスト゛一寸凡師さん゜と゛腹ペコさん゜と、読んでもらっている方々の力だよなあ。今秋のOCNブログ撤退には驚いたなあ。

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先生の絵

2014年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 


   今年の5月、先生の喜寿のお祝い。会場に「今の世に失われつつある清純な美しさ」と三浦綾子さんが紹介した先生の絵が並べられた。素晴らしかった。そして、もっと身近にいつも観られたら…と思った。そんな無茶な思いつきに協力してくれる人もいてA1版(594×841)のほぼ原画大のポスターが出来た。一番協力していただいたのは先生その人。今回お世話になったデザイナーの方が、「先生ができあがりをとても楽しみにしていましたよ」と教えてくれた。良かった。半年かかって年内に片がついた、肩の荷下りた。

                             

 このブログで何度も書いたが、この先生に中学で教えてもらわなければ立男は教師にならなかった。もしなったとしてもだいぶ違う感じになっていただろう。それが良いとか悪いとかで無く、絵に詩を感じたいと願うことはなかったはずだ。教育は素晴らしく、そして恐ろしい。

                               

 先生が土産にくれた手作り本物の羊羹。ずっしりした重さを確かめながら、「波風食堂」なあんていう老後人生も、この先生に接していなかったら考えなかったかもしれないと静かに思う。ところで、このポスター(題名「雨後」)未だ数枚ある。欲しい人は連絡を → namikazetateo@gmail.com 送るのは面倒だし折り跡がつくので手渡しに限る。


 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」更新。最近はこちらが活発  そば用の鰊を調理中、ふと漏らした言葉に自ら「詩人だな俺って」に対し「芸人の間違いでしょ」と家計簿整理中のママヨさん。

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クリスマスの頃

2014年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

  年賀状を書き、一緒に生きてきた人たちを考える。親切な人、優しい人、そうでもない人、元気な人、心配な人、残念な人、なくなられた人…。隅に少しだが言葉を添えられる年賀状がありがたい。周りの人たちを一通り巡ると、最後は自分に戻る。少し前まで、その年と新しい年だけ考えていればよかった。輪郭のはっきりした出来事が必ずあってそれが良くも悪くも生きる熱源だった。

               ▲●     

    だがこの頃は、その年は白くぼんやりし、次の年はうすら暗い。普通こういうのを不安の兆しと言うのかもしれないが違う。前よりもゆっくり生きてこられたことであり、眠りたくなったら静かに寝息を立てても困らないよ、というふうな安心で柔らかな世界につながっているか感じだ。こういうのが来たるべく老人世界なら心安らぐ。信仰心の存在は信じても宗教心に欠ける立男だが、運と偶然と細かな無数の支えに思わず手をあわせる年末。


 イラストはクリスマス当日に使えず、その前後に使える優れた一品(笑)ママヨさんが好きな人形 「これはクリスマスプレゼントですからね」と念を押されて前から欲しかったのを渡されたのは2ヶ月前。少し時間的に無理があるよなあ。

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