波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

波風新聞『面白荘』4号発刊しました。

2019年09月30日 | 図工・調理

よかったあ、4号出せて(笑)。食堂に遊びに来てくれる方々にかさばらず重くないお土産用。はたまた、ブログに縁遠い親戚、知人へ送る封書のお供。そして、頭と手を使う認知症予防用。ブログで読むのと、印刷で読むのとでは同じ記事なのに味が違うという声も 昨日、13回目の『ほんのおつきあい』(読書交流会)。初参加もありバラエティーに富む交流。読んでみたい最高位は『ブスの自信の持ち方』(山崎ナオコーラ著)。

コメント

【縁・因・便】の読みと意味

2019年09月27日 | 読書

 

どこかで聞いたことのある『ヨスガ』という言葉。意味は、頼みとするもの、土台になるものだろうと思っていた。

       

読んでいる本に『よすが』があり辞書で引く。意味は遠くないが、予想外の縁・因・便の字に少し驚く。「夫・妻・子など頼みとする相手。よるべ。」という字義にも。

       

大人とは「よすが」を得る人で、その「よすが」とは暮らしに必要な人やものごとなのか。ふーむ、と考えながら再度【縁・因・便】に見入る。この言葉が作られた時代、そして万葉、源氏、徒然草の時代に、人々は老後をどう生きたのだろう、なんて想像する快晴の午後。ため息つきながら。


公式裏ブログに10月の波風食堂【今年最後の予定】をUPしました。

コメント

若い人の言葉に見入る。

2019年09月25日 | 新聞感想

 

連本部で、未来の気候は子どもの権利、若者を裏切るのは許さないと世界の指導者をにらみつけたスェーデンの環境活動家(16歳 高校生)の言葉。新聞に傍線引いて老人らしく真面目に読む。
地球環境問題は全人類の財産をどう守るかの緊急課題だが、「私たち(若者)を裏切る道を選ぶなら、私たちはこの問題から逃げることを許さない」(グレタ・トゥンベリーさんの発言)と、多様性を口実に約束を忘れたふりする各国指導者への直線的な怒りであり、未来永劫の価値観の追求。我が国の環境相の「(気候変動の取り組みは)楽しく、クールでセクシーであるべき」発言は恥ずかしさ通り越し馬鹿丸出し。総理後継候補に合点。

う一つは新聞投書(左画像 9/24朝日朝刊)。政治でも経済や文化でも、権力持つ者が気に入らないものを上から押し潰したり誤魔化す振る舞いに辟易することが増えたが、その狂った論理を鮮やかに反転する見事な主張。15歳の中学生の言葉に心底驚く。そうか、意識では変えようない特徴を認める『多様性』と、意識の基準が人により違う『価値観』のことを、自分も時々無意識に混同させているなあ。何をしても自由だとか、平然と過去の事実をねじ曲げて恥じない輩は、この混同を意識的に使って自分に都合の良い理屈を押しつけているんだよなあ。


今読んでいる山崎ナオコーラ著『ブスの自信の持ち方』は、この作家の持ち味である多様性の持つ価値(価値観の多様性ではない)を考えさせるポークカレーを真面目に作る。摺り下ろしリンゴが余計、玉葱があんなに甘いとは。一晩置いて少し味熟(こな)れる晴れの日が少し続く予報。畑の片付けや、外での工作など、今年最後の外遊びを考えてみる。

コメント

『うどん』の勉強

2019年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

どんを食べてくる。いつもの全国チェン店は、前は目標だったがこの頃はライバルに格落ち気味だから、グルメサイトで検索し、繁盛している『うどんの味』を勉強。3連休初日の午後、8割席の埋まる店。
『天丼セット』(画像参照/950円)頼む。汁は、昆布と鰹で出汁をとりあっさりしていて、やや塩辛いのは好み分かれるところ。澄んでいるのは好感。麺は切り口が丸だから、包丁使った麺切りで無く、器械でニュルッと出したのだろうか。まさかソーメンみたく引っ張ったのではないだろう。サイトの口コミでは、麺は業者からとあり、そうであれば「手打ち」は疑問。滑らかさとシコシコ感は普通。

 

丼は美味かった。天麩羅が、ふわっ、さくっ、(笑)。胃にもたれず、食材(海老、茄子、南瓜、ズッキーニ、インゲン)が生きている。大葉が、「そうなんだよ」と鎮座。ママヨさんは『エビ天うどん』(800円)。
食後感は、天麩羅がプロ、うどんは波風氏の目指している方向と違う。今度は、鍋焼きうどん、冷やしうどんを勉強しに来よう。それにしても、30万都市の『うどん屋』を検索して片手で間に合い、『蕎麦』なら両手両足でも足りないのはどういうことだろう。100万都市にも遠征してみなくては。


ただ今、公式裏ブログを「断る理由」で更新 10月の波風食堂ごっこ(今年最後)は10月20日(日)予定、メニューは初の鍋焼きうどんセット。遊んでいただける方ご連絡を 今月の「ほんのおつきあい」(第13回 読書交流会)は9月29日(日)14時~会場:波風食堂。準備の都合(プリンを作ります)があり、参加希望者はご連絡を ➜namikazetateo @gmail.comまで。

コメント

鬱(うつ)の時代に暮らす【下】

2019年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 

(前回から続く)
を読んでいて、こんな言葉に出会った。「祈り」とは集中すること、集中するとはあるものに対して注意を深く強く傾けること、大事なのは集中することを日々の習慣にすること、とりわけ辛く困難な中にある人に対して。宗教とセットでない「祈り」の意味を知りはっとしたし探していたものを見つけた感じがした。。
もうひとつは、不治の病に犯され死の恐怖にある少年に対して、人生の喜びや意味はその長さで無く、魂が喜びとも感動とも呼べるような強く濃密なものに満たされるような「一瞬よりはいくらか長く続く間」を経験できたなら、君が生まれる前と無くなった後の「永遠」に対抗できる「一瞬」を得たことなのだという言葉。

 

個の人間が、知らない人たち(社会)と知っている人たち(職場や家族)がつくる世界に対して、問題無く関係を維持するのはある種の曲芸か偶然だ。心か精神のどちらか、あるいは両方が疲れてしまうのが当たり前だと思う。波風氏が、前述の「祈り」と「いくらか長く続く間」の言葉に立ち止まるのは、退職して楽にはなったが人間関係の下手な曲芸を、未だしばらく続けなければならないからだ。老人になっても確かな生き方なんて全然わからない。
老後の不安材料は、貯金と病気と家族あたりだが、何よりも人間関係だ。波風食堂に集う方々は、元々縁もゆかりもないのだが(波風氏の現職時代の業界人がほぼ皆無)、話が少しできるようになってくると、人間関係の話が注意深くぼつぼつと出てくる。そんな時、たいていみんなが笑う。自分の話を集中して聞いてもらう「少し長い間」を相互に作りあうことは、ゆるやかな『人間関係を話題にできる人間関係』を再生する道のりみたいな気がする。

 

リスマスの次の日の朝、袋に入った鉛筆2本とケシゴムが枕元に置いてあった。小学校の2、3年生の頃だ。身体のどこかがきゅーんと熱くなり、このことは大人になっても絶対に忘れないようにしようと思った。貧しい記憶だが、サンタクロースの来ない友だちが少なくない時代だった。こうした記憶を、聞いてもらえる人がいる。そして同じように、相手の話を集中して真剣に聞く。少年時代の健康的で尊く忘れがたい経験が、意外なほど人生の決定的な何かを支えてきた感じがする。いや、こういう話を都度都度で聞いてもらえる人がいたことが、人生そのものの形なのかもしれない。

今の時代、日々の中に「祈り」の有無はとても大事なことだと思う。運が良ければ、そんなことのわかる人たちに遭うことができて、その繋(つな)がりがずうっと続いていけるかもしれない。(終わり)


一気に夏閉幕の雹(ヒョウ)降る日。蕾を開けない朝顔が健気で悲しい自分たち用に鍋焼きうどんで昼食。手打ちは煮込んでも美味い。来月の最終食堂ゴッコは鍋焼きにするかな 。昨日来てくれた方々から「うどんは波風だわ!」、「出汁が昨年より澄んでいる」の言葉 波風氏は「筆まめ」と言われるが、今週は色々あって書けない。手紙くれた方、もう少し待っていて下さい。

コメント