波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

動物は幸せなのか

2022年01月30日 | 読書

   大漁
         金子みすゞ
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう


学校の教科書にあった詩。人間の幸せが生き物の犠牲で成り立っているのを一瞬で想像させる痛烈さ。今月のTV番組『100分de名著』が金子みすゞ詩集、一見明るく可愛いが視点の逆転、想像の飛躍ではっとさせ、うっすらと「死」と孤独の影を残す。これが童謡詩?と思い25年経つ。
借りて読んだ『原野にとぶ橇』(加藤多一著:偕成社)、馬と生きた開拓、馬がどんなに貴重な動物かを知る。解説に、北国で暮らすのは「人間の原型が要求される」とあり、人間の命と馬の命が等価値でつながっている厳しさ。病気で亡くなった馬は埋める、事故で働けなくなった馬は屠畜され食べる、両者とも極めて丁重に。


間は動物を過酷に扱ってきたのではないか、苦痛を与えてきたのではないか。ぎゅうぎゅう詰めで飼育される肉牛や生乳、安い玉子、飼育放棄のペット、化粧品や医薬品の実験動物、動物園の動物。今年に入り、新聞で『動物福祉』、『動物の幸せって?』、『防げ虐待 動物に法医学を』なんていう見出しの特集が次々にあり、普段考えないことを考えたりする。
コンビニで玉子と牛乳の安い曜日にママヨさんと買いに行き、パンを作って食べた。その時、玉子の値段がどうして安いのか、農産物唯一国産100%の生乳の話、ママヨさんが子どもの頃に飼っていた豚の話(食べられるために育てられている悲しみ、たんぱく質が必要な自分たち)、食べさせる餌が少なくて痩せ細っていた馬の話になった。

々、人間は生きるためにどうしてきたか、自分は生きるためにどうしたら良いのか、こういう話は無駄じゃ無い。結論なんか出ないに決まっているし暮らし方が変わることは無いけれど、目の前のご飯が前と少しだけ違って見える。TV画面の犬や猫をじいっと見ていると、「波風くんという動物一匹飼うだけで大変、犬猫を飼う余裕はありません」とママヨさんによく言われるが、犬も猫も豚も馬も鶏も飼っていた人の苦労や悲しみから来ている言葉なのだなあ。

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WILD FOX №33/厳冬の共生

2022年01月28日 | 【協力】Wild foxギャラリ



一見わかりずらいが、オジロワシとカラスが並んで飛んでいます。バックのテトラポットを覆っている氷の姿が寒さを表していて面白かった。


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初々しいということ 続き

2022年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム


海舟の父・勝小吉自伝『夢酔独言』を読み始める。子孫に対し「俺みたくなるな」の驚くような面白い話満載、生涯お役に付かず「不良少年、不良青年、不良老年」の「奇々怪々」の小吉。こういう男の奥さんの度量を思う。
小吉が武士の人妻を好きになり家に入れようとするのは不良の極致だが、それをよりによって小吉の女房が受け止め懐剣を秘め(自分は死ぬつもりで)出かけようとし、小吉が周囲に止められて果たせなかった逸話もある。世間の垢を纏わない初々しさもここまでいけば芸術の域。夫婦ともども、ことに及んではいつでも死ねる覚悟があったのだろう。息子が江戸城無血開城引き渡しを実現できたのはその血筋か。TVの女房役が沢口靖子、小吉が古田新太、息子が鈴木福。

 

村史朗氏(75歳)のことを昨日書いた。世に認められたのは『史朗の女房』がいたからだろう。氏の作品を見たことがないから実感できないが、飾らない美しさは画面の向こうから感じる。「小屋を造ることも、絵を描くことも、焼き物をすることも、自分にとっては同じ一つのこと」に人生の全てをかけている人たち。他と比べず自分が美しいと思うものを造ろうとしている人は心が初々しく、それが顔の表情にも所作にもにじみ出てくるようだ。
画像は氏の奥さん。夫の笑顔も素晴らしいが、奥さん(推定75歳)の笑顔もやっぱり仏像みたく神々しくて愛らしい。この飾らない美しさをブログに載せたくて、ビデオ画面を止めてスマホで写した。心して見て欲しい(笑)。


大学共通テストで国語現代文が流出したニュース。駄目じゃないか!そんなズルしては、自分で努力しなさいと波風氏はいつになく力強く糾弾するのであった(笑) 年賀状のイラストが良かったとお二人から手紙。やっぱり絵も描こう定期通院で血糖値が予想を覆して良好、その変わり血圧が高かった。逃げていた体重・体温・血圧を毎日はからなくては

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初々しいということ

2022年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 

TV録画を整理した時、もう一度見た陶芸家・辻村史朗さんと詩人・茨木のり子さん紹介の番組2つ。自分がしたいことをし続ける凄さに再び見入った。この陶芸家の印象的な顔のこと(『面白い顔』)を裏ブログに書いたが、今回は陶芸家の奥さんの見とれるような可愛らしさと茨木のりこさんの詩『汲む -Y・Yに-』を重ねて考えていた。

 

詩は、早く大人ぶりたいと思っていた詩人に、俳優・山本安英さんが「人間はいつまでも初々しさが大切なんですね、人に対しても世の中に対しても。初々しさがなくなると俳優としても駄目になります。それは隠そうとしたって隠しおおせるものではなくて、そうして堕ちていった人を何人も見ました」(『一本の茎の上に』茨木のり子著:ちくま文庫から)と「背伸びを惜しんでふっと漏らした」言葉による。

陶芸家の奥さんはきっと知らない人と話す時に、どぎまぎし、ぎこちない挨拶で、醜く赤くなり、失語症、なめらかでないしぐさで、子どもの悪態にさえ傷ついてしまう人なのかもしれない。ぜひ、そうであって欲しい(笑)。少し前まで超過酷な暮らしの中、老いてなお輝くような初々しさはただものではない。

前に、歳をうんととったら生きるのが楽になるはずと言う若い人に、「そうだね。俺も前より気持ちが楽だよ」と相槌を打ったが妙に心に引っかかるものが残っていた。歳をとるということは、「頼りない生ガキのような感受性」や「咲きたての薔薇」「震える弱いアンテナ」を失うことを忘れていた。


茨木さんの韓国に対する思いを知ると、この詩人の人間的な値打というか人生の重層的な構え方が迫る。韓国の短い詩(本ブログ『祈りを意識する』掲載)の価値を思う 茨木さんの詩『寄りかからず』『自分の感受性くらい』が茨木さん自身への言葉だから救われる(笑)初々しさは、容貌や化粧では生まれないし持続できないけど、ではどうしたら身につくのかなあ。生まれつきの才能でもないだろうし・・・・。

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全国共通テストで直感力を試す

2022年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

大学共通テスト(1/15~1/16)の国語、昨年に続きやってみる。第1問、第2問は小説でそれぞれ36/50、38/50点で「まあこんなものだろう」という安心感湧く。第3問は古文でとほほの17/50点、第4問が漢文で25/50点。合計116点。昨年は149点(21.1.18ブログ記事『大学入学共通テスト』)だから33点も低い(涙)。今年の平均点108点(昨年117.5点)よりは少し高いが国語教えてご飯食べていたので悲しい。

 

やる理由は、衰えていく頭、続かない集中力、小さな活字読めない視力への挑戦だが、一番は「わからないことに対する直感力の判定」だ。古典が駄目なのは、「たぶんこういうことが書いてあるはず」という間違った予想(=直感)で「早く終わらせたい」と解いているから、正解見ても?で悔しくも無い。逆に、現代小説の方は例文の意味が分かるから楽。間違うと自分に腹が立つ。

こんなふうに思う。ある程度意味の分かることで正しい直感が働くのは7割、意味不明だと当てづっぽで2割前後。直感力は老人が生き続けられる武器だが、間違いを犯す最大の落とし穴でもある。テスト時間80分は、昨年120分かかり、今年は休み休みで200分ぐらい。集中力は間違いなく減退中。

 

今年来た年賀状に、数学のサークル作って楽しんでいるというのがあり何だか嬉しかった。3月の高校入試、5月の全国共通学力テスト(小6、中3)が続くが、情報処理を組み込んだ出問傾向が似通っていて小中高の国語の授業を想像する昭和世代の老人。テストで点数を取らせる『基礎学力』の実際どうなっているのかもだ。全ての子どもに「読み書き計算」の学力を身につけさせる授業時間は今あるのかなあ?


「やる必要はないからね」と宣言しているような活字の小ささ、弱視だった棟方志功氏の版画製作みたく新聞紙にへばりついて取り組む。拡大鏡は視線動かすので適さない 勝海舟談『氷川清話』読み、父親勝小吉の自伝『夢酔独言』買ってしまう。本整理し増やしてどうする(喝)  

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