波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

軍配の教え

2017年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

『知進知退 随時出處』(進むべき時を知り、退くべき時を知り、いつでもそれに従う)という八文字が、相撲の立行司の軍配の表面に。稀勢の里が千秋楽の土俵に上がった理由を書いていた昨日の朝日(元横綱審議委員・内館牧子さん寄稿「『知進知退』に従う強さ」)で使っている。この言葉、行事が差し違えたら切腹の覚悟を表していると聞いたことがあったが、こういう意味になるのか。                   ・・・

内館さんは言う。今回、稀勢の里の「あきらめない心」を人々は褒めたたえ、それはその通りだが、他がなんと言おうと今は「進むべき時」で休場という「退くべき時」ではないと稀勢の里は知っていた、と言う。この八文字が背骨の人間は強く動じないともいう。だから退く時は「散り際千金」に値するだろうとも。

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相当前から、65歳には『家事手伝いの変なオジサン』に進化しようと思っていた。その日から、それまでの仕事に関することは口にしないとも決めていた。ただでさえ責任を持たない立場なのにぐずぐず語ってきた。これ以上は天が許さない。このブログ自体そのための思想的覚書が目的だ。ところが、うまく退くことができなくなった。世の中の仕組み、大人の事情が「退く」のを許さない。そんな中の何とも落ち着かない65歳の誕生日当日が千秋楽。「表情を変えず、痛いと言わず、昔の日本人を思わせる。何とも魅力的な…」30歳の横綱のたたずまいが、中級老人初日の波風氏の心に痛いほど響いた。


 久しぶりに描いたイラスト。前回もいただきものの蟹(タラバ)だった 秋田の凡師さん、東京の腹ペコさんから無事着いたのメール。鼻息嵐さん札幌へ、M君は根室へ明日から4月。誕生日も来たので年金の手続き。申請しなければもらえない。少し面倒だが年金事務所も確定申告の税務署も意外なほど親切。

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文庫本の日曜

2017年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

刊の文庫本2冊、旭川で買う。午前中、「お〜い、丼」(ちくま文庫編集部編)読み始め、全身が「丼もの」の受け入れ態勢に変化し、海老、イカ、茄子、三つ葉とホタテを揚げてもらい天丼の夕食。午後から、「自作の小屋で暮らそう」(高村知也著:ちくま文庫)読み始め、波風立男氏の『小屋』(波風食堂予定地)造成のモチベーション大いに上がる。ママヨさんに手伝ってもらい、これまた旭川から買ってきたレースのカーテン取り付ける。全一日、快晴・無風の日曜日。ママヨさんが立男氏の言うことを何でも聞いてくれる年に一度の素敵な日。

                                                                

刊に、校長・教頭人事の新聞辞令。未だ、顔の知っている人の名前が並んでいる。TVでは、「時事放談」も「サンデーモーニング」も「日曜討論」も『森友問題』一色。春場所千秋楽の夕方、海老の尻尾を噛みながら、左肩負傷で出場も危ぶまれていた稀勢の里の逆転優勝見る。65回目の誕生日に花を添えてくれたお相撲さん。明日から『中級老人』の日々スタート。手始めに、年金書類の提出だな。

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「今日もいい天気」読む。

2017年03月23日 | 読書

本おさむ作「今日もいい天気 原発事故編」(双葉社)読む。10年前の「田舎暮らし編」に続く2012年連載の本編をコミックでまとめ読み。現在、『しんぶん赤旗 日曜版』に「完結編」連載中。今週は、飼い犬コタの左足がおかしいため埼玉の動物病院へ。

島の岩瀬村で田舎暮らしを満喫していた作者による、第一原発事故被害の当事者としての記録。前編ののほほん感と隔絶する本編のリアルな緊迫感。その分、原発事故のとてつもない深刻さが迫る。外部の人間には、ユーモアにも映る右往左往ぶりにこそ人間の真実があると思う。「黒い雨」(井伏鱒二著)にあった、原爆の家屋倒壊で全身を挟まれ身動きできない主人公が、手の届かないところにある隣家からのスルメを見つけ必死に手を伸ばす場面を思い出す。表題『今日もいい天気』のなんという深い皮肉。

発している原発いじめは、誰が加害者と被害者なのかが徹底的に隠されているのが最大の原因。その代表が「アンダーコントロール」なるウソ発言。大人の代表による異常な情報操作。これでは、「原発事故のおかげで働かなくてもお金をもらえる家族」の流言は広がる。自分の体験を可視化する漫画の可能性を感じる。この漫画の情報こそ子どもたちに与えたい。重複障害児教育を描いた「どんぐりの家」(全7巻)も買い、一日一冊と決めウンウン反芻しながら読んでいる。無知が相模原の事件に対する鈍感さにつながっていると思いながら。



都合の悪い情報の隠しと操作。前まで見ていた「ダッシュ村」、その後はどうなっている?今日、国会喚問。異様な「忖度」による都合の悪い情報がどこまで出て来るのか。米露中韓よりひどいかも、と思うこの頃  コミックの帯にあった「重版出来」の四文字をどう読むとママヨさんに聞かれ、じゅうはんしゅつらい、じゅうはんでき、なんて読み、ドラマの題名にあったよなんて言われる。

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腹ペコ日記(最終回)

2017年03月18日 | 【保管】腹ペコ日記

感謝(第150回)

 波風先生にコラムを書いて欲しいと頼まれたのは、生活も仕事もよくわからず、不安に満ち溢れていた腹ペコが、相方さんの職場にはじめて顔を出したときのことだった。「わかりました」と返事をした一番の理由は、居場所を与えてもらえたことがうれしかったからだ。当時の腹ペコは、「自分は相方さんのおまけだ」と勝手にひねくれていた。今なら、「与えられた場所で与えられた役割を果たす」ことがどれほど大事で、それがどれだけ自分を成長させてくれるかわかるのだが、当時はそれがわからなかった。
                           
                        

こうして始まった週に一度の「自己点検」は、自分の未熟さをこれでもか、と浮き彫りにしてくれた。目の前にいる子どもたちに右往左往し、その実情を綴るというプロセスは、腹ペコの目を覚ますにはちょうどいいリハビリだった。そうでもしなければ、社会に必要とされるかどうかとか、そういうことが問題なのではなくて、「世間が腹ペコを育ててくれている」という事実が大切だという、そんな当たり前のことに気づけなかったかもしれない。
 
                      

こんな器量の狭い人間のコラムを、週に1回居候させようと思ってくれた「信頼」が、この地でがんばっていく決意を支えてくれたひとつだったと思う。この場を離れても、「自己点検」を忘れずに、修行に励みたい。

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ゴミを捨てる

2017年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

に、学校で出たゴミを捨てに産業廃棄物最終処分場へ行った。作業は10分もかからなかったと思う。青い空にも、遠くからは白く見えるゴミの山にもカラスが群れていた。腐敗と薬品の混じるぬるりとした匂いの風景を、強大なゴムタイヤの作業車が走り回っていた。「地獄というのはこういうところかもしれない」と思った。1学期終業式の後、暑い日の作業。最初と途中で嘔吐。

風食堂の建設で物置を改造し、チクチクする黄色い断熱材に困った。背丈ぐらいのゴミが3袋分。自分で捨てに行く以外にない産業廃棄物。つまり、「地獄」へ行かなくちゃならない。知り合いのゴミ業者に頼もうとしたら、「自分で持って行った方が早いし安い」と言われた。その前に、ゴミを積んで地獄へ向かったのだが終了時間後で捨てられないでいた。ホッとする気持ちと片付かない気分で年を越す。

意して地獄へ。グズグズしていると雪がとけ春の陽気になる。3月中旬の今回は「ぬるり臭」もほどほどで、邪魔なゴミがこんな簡単に始末できて僅か50円(業者扱いだと相当に高額らしい)。天国とは言えないが、地獄は言いすぎだな。せっせと家の生ごみをまとめたりする。今春からの、暮らしのゴミ片付け初日を3月15日としよう。【今日の一言①】秋刀魚は目黒に限る、産業廃棄物は冬に限る。

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