波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

陸橋からの眺め

2023年01月30日 | 図工・調理

 

図書館やスーパーに行く途中の陸橋からの眺め。丘の上にある高校から住宅が段々と重なって見える風景が面白い。首を30度ぐらい左に捻るとスキー場の眺め。家からは下り坂だから住宅を眺めながら下る。帰りは上り坂だからスキー場を眼下に収めて真ん中あたりで一息つく。右ポケットの、小梅、カンロ飴、キャラメル、どれにしようかな。

明るいところでスマホの風景撮影。写っているかどうかわからなかったが思った以上になんとかなっていた。それをPCで映しスケッチブックに描き写す。そんなことをしていると、家々から「暮らし」が匂ってくるようだ。静かで清潔で平和な1月末。4B鉛筆と色鉛筆で。


昨日、昨年4月以来のリアル「ほんのおつきあい」(31回目の読書交流会)。内容は後日掲載するが、交流していて「本を掴んだ感覚」のことを思った。読み終わったのとは違う。本の内容理解や感情の高まりでもなく、「この本で私は私自身が今まで一度も考えたことのない私を発見させられた」みたいな 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です。」を「陽気に容器」で更新しました。

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になりたかったな。

2023年01月26日 | 読書

こんな仕事する
になりなかったな。『切手デザイナーの仕事 ~日本郵便 切手・葉書室より~』(間部香代著:株式会社グラフイック社)で、切手デザイナーという仕事があり、日本郵便の社員8人が、1年間約40件発行の切手全部をデザインしているのを知る。ウスウスというか考えれば当然のデザイナーがあの小さな世界を創造しているのだ。見覚えのある切手の作者、切手の裏側にいる特殊なデザイン職人が紹介され軽い驚き。8人で、というかたった8人しか就けない仕事があるんだ。


波風氏の切手帳に
葉書対応の特殊切手と1円、2円、3円の普通切手が多い。封書対応の80円台切手もあるがめったに使わない。郵便局で葉書を出す時、「面白いなあこれ」の63円切手シートを買う。3回に1回ぐらい当たりがある。花や食物でもデザイナーによって全く違う「作品」だが、一定の決まりごとあってもデザイナーの個性が全面的に生かしてもらえる仕事。「好きだなあこれ」の作者を知り、あれやこれもこの方の作品なのかと興味深くページ開く。
描いたイラストを絵ハガキにして、礼状や近況報告などを月に数回出すが、最後の仕上げが切手貼り。イラストがほのぼの味の絵柄なので切手はそれを邪魔せずそっと応援してくれるのを選びたい。このチョイスが楽しくて難しい。同じ切手シート1枚に好きと嫌いなのが混じっていて、良く使うのが無くなり今一なのが残るのは仕方ない。素敵なのに限って売り切れが早い。面白くて買ったのに貼る気が湧かないのもある。どらえもん、昭和の芸能人、小さくて意味分からない名画、リアル過ぎたり妙に浮いてしまう花や風景・・・・。

 

もう1回人生を
送られるのなら、こんなデザインをしてたい。小さな紙の宝石を作るのはたまらない魅力。だが、そうはいかないので、イラストの方を面白がって描き、それを表側の左片隅から応援してもらって葉書1枚全体が「これ面白いなあ」となるような絵ハガキを出すことに残る人生をかけることにしよう(笑)。住所や伝える文字の「書」も磨きをかけなくては。


切手デザイナーの仕事 ~日本郵便 切手・葉書室より~』をクリックすると本文中身の雰囲気がわかるよ 何かの拍子に昔のちょっとした一コマが浮かび物思いにふける。詩集『食卓一期一会』(長田弘)を読み、古びた東京のどこかの地下鉄通路を歩いている出張中の自分が浮かんだ、珈琲やカレーの匂いを感じたからだ。ママヨさんの揚げているコロッケの匂いが階下から漂ってくるのもあるな。若い波風氏、ベージュ色のコートを着て雑踏を颯爽と歩いている公式裏ブログ「波風食堂、準備中です。」はこの表ブログより頻繁に更新中。暇な方(笑)、寄ってみて下さい。

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波風家 新春大作戦

2023年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

災害お助けリュックを作らなくては、急がなくてはとずーっと思っている。まだ備品予定品目に満たないが、ヘッドランプ、ラジオ、カンパンや長期保存レトルト食品などを少しづつ集めてきた。はたと気づいたのは、2〜3日ならなんとかなっても1ケ月は無理なこと。「破滅の兆し」ある昨今、災害でなく戦争が先にあるかも、ということで何かしなければ、なあんて思ったりして。

 

防空壕を掘る体力は無いし、核戦争用のシェルター買う金もないので、ある日突然ドンパチが始まったと想定し、「家に今ある食料品だけで1カ月ぐらい食いつなぐ」訓練をしてみようと思い立った。ママヨさんに半分冗談半分本気で話したら「やりましょう。2月は短いし」と笑わず同意。ここに波風防衛隊が設立され、「異次元の買物抑制し、あるもので何とか暮らしてみる大作戦」に立ち上がることになった(キリッ)。そういえば、昨年全体の家計簿整理後に「波風君の体重と同時に、我が家のエンゲル係数を正常化しなければ」とママヨさんが呟いていたなあ。

 

衣食住というが、波風家の重視比率は衣15%、食50%、住35%だから「食住衣」の順。はっきり言って波風家にとって最も困難かつ無謀な作戦だが、戦争はいつも無謀で庶民は受け身の立場しかない。問題は、楽しく、面白く作戦遂行できるか否かで今年の目標「慎ましく」+「励む」の正念場を年明け早々に迎えることになる。まだ5日あるな(笑)


画像は、数年ぶりのママヨクッキー。三角は生姜味、四角はバター味でアーモンドクリームが乗っている。こういうのは作戦中も作ってもらいたいなあ往復7000歩の買い物。免許証返納できるかどうかは徒歩による買い物ができるかどうかによる。白菜とキャベツと三温糖入れたリュック背に帰る途中、陸橋の上で「突然戦争が始まったら何日暮らせるのか?」と思った。ものごとはたいていこんな思いつきで始まる。

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破滅の兆し

2023年01月21日 | 新聞感想

教員採用の受験者数
が年々低下し、大分県では「定員割れ」。新卒教員の早期退職も10年ぐらい前から驚くほど多くなり、大卒就職先で続かない職業の筆頭に「教育」が挙げられて久しい。精神的病で休職・退職は既に話題にもならず、臨時教員探しは年間通じた教育行政の一大仕事。『安上がり教育』のつけが誤魔化せない事態に陥ってる。
学力向上も、いじめ問題も、働き方改革も、すべて少人数学級と教職員定数の大幅増で解決できるしそれ以外の方法は無い。今までは、『安上がり教育』のつけを怒っていたが、ここにきて怯えている波風氏。

 

未来をつくる人間
を育てる教育は、他の仕事と違う壮大なロマンがある。未来とは、人間の希望の別称だがそれをより良く作る将来の主権者・子どもの人生のこと。子どもの専門家が、我慢に我慢を重ねて限界を超えてしまった象徴が取り返しがつかなくなりつつある先生希望者数。ずうっと、良い先生に出会った子どもが「私も未来の人間を作りたい」と難しい採用試験に挑戦していた。それが定員以下の希望者数なのだから終わってる、この国はもう終わり始めているのだ。「あの先生みたくなりたいけれどあの先生みたくはできない」と思う子どもたちがどんどん増えている。先生が疲弊し、学校が狂い、国の土台が崩れる日は遠くない感じ。本当に怖い、つくづく恐ろしい。

 

上段にある冗談

みたいな話だが、この記事(1/20朝日1面中段)の上段に「児童手当 首相急遽格上げ」のトップ記事。「政権浮揚へインパクト、見えぬ財源」に、「またか」しか感じない。軍事費1.5倍にして教育が大事にされない国は未来が描けないのだから滅亡する以外に無い。必死にがんばっている先生たちが退職でどんどんいなくなるのも恐ろしい。
波風氏が墓に入る頃、子どもの姿が珍しくなり、結婚できない若者がたくさんいて、「先生」という仕事が嘲笑か哀れみの対象になる日はそう遠くないだろう。いや、もうそうなってきた感じもする。それなら墓石の下で安心して静かに眠ることも出来やしない。


ロシアや北朝鮮を念頭に読む「習慣、制裁の怖れ、道徳的義務、自己利益、支配者との心理的一体感、無関心、不服従への自信欠如」という独裁に服従する7つの要因(ジーン・シャープナー「独裁体制から民主主義へ」から)。未だあると思っていた「民主主義」を被支配者が投げ捨てている気もして身震い 学生時代、教員不足の県が奨学金出したり教員になったら奨学金返済免除の制度があった。波風氏はこれと年間1.2万円の大学授業料で教員になれた。こんな制度が半世紀の間になくなったこの記事、何度も書き直した。教育問題になると妙に興奮して収拾がつかなくなる傾向大。夜中の小便で起きて直し、今朝も直した。まだ残尿感残る文章にがっかり。また直すなきっとの今回記事。

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テンプラとセンタクと

2023年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

天麩羅と洗濯は
したことがない。これはママヨさんの仕事。天麩羅は『火』で洗濯は『水』、こういうのがもう一つあって『金』。「お金」の管理もしたことがない。この三領域は、波風氏が立ち入ってはならない結界で自慢じゃないが生まれてこのかた無い。波風氏は独り暮らし体験が一度も無いからだが。
テンプラ、センタク、オカネは駄目だけど、便所掃除、ゴミ出し、あっ忘れちゃならない「仕事」(給料もらえるやつ)なんかはやる。清音のは結界内だが濁音のが領分みたいだ。別の分け方では、火と水と金はママヨさんで木(木工)と土(畑)が波風氏。時間を示す月日は入会地(畑もそうだけど波風氏の領域が拡大中)。

 

結界になった理由は
まず「水は恐ろしいものだから、根性のぬるい奴には使えない」(幸田文著「幸田文しつけ帖」)がある。手早く掃除好きの母親から、そんな拭き掃除があるものかと叱られトラウマになった。天麩羅は親戚母娘のイカ天調理による顔面火傷の衝撃が尾を引いている。紫色の塗り薬が2つ分の顔を被っていた。
「お金」の方は、金は欲しいが金を気にする生活は嫌だからで、給料もらっても自分の稼ぎという実感は無かった。給料袋は貰ったまま渡し中を見たことも無い。ママヨさんが財布を管理しなければ波風家の経済も民主主義(役割分担による対等意識)も成り立たないと思っていた。簡単に言うと、仕事以外の雑事を背負いたくない身勝手さ。波風夫妻は貧乏人の子どもなので、小銭は勘定できても10万円を越えると頭が混乱し計算不能に陥る危険性がある。何とかなってきたのは、「お金は借りない」と「儲かる話に乗らない」をモットーにガマグチの開け閉めをしてきたからだろうなあ、ママヨさんが。開けるのはボク、閉めるのはキミの世界。

貧乏なのは昔も今も
程度の差はあるが変わらない。だが「貧乏くさい」のは絶対に駄目、「貧乏(なので何か)ください」みたいで、自分で自分を嫌いにし周りも迷惑だろう。往年の大女優 小山明子さんの「口座にお金がなくて鬱になりました」(1/16「徹子の部屋」)に、浮世離れしたお金の使い方に驚きつつ、変な野郎の故大島渚氏と同列に置いていたが、お金の苦しみをこんなふうに品よく口にできるのは素敵だ。タモリ氏の「新しい戦前」とこの「お金で鬱になりました」は強く印象に残る。


画像は、「天麩羅」で思い出し久しぶりに開いた『散歩のとき  何か食べたくなって』(池波正太郎著)。30代のころから何度読んでも楽しい名著。「天ぷらを食べるときは空腹でなくてはいけない」の箇所で、「天ぷらの夜は、朝から天ぷら受容体質になっている」と思った(笑) 定期通院の今日、どれも良い数値なので次回の通院日を少し伸ばすと言われて嬉しかった。待合室で読んでいた本(昨日買った)が良かった。このことをずうっと知りたかったんだよ、と声を出しても良いぐらい大学共通テストのその後のことを裏ブログ「波風食堂、準備中です」にこれから書いておくよ。

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