波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

この頃の腹ペコさんから

2021年12月17日 | 【保管】腹ペコ日記


鏡はいらない?(まめたろう6歳)

我が家にはいわゆる「姿見」というものがなく、鏡は洗面所とお風呂場の備え付けのもののみです。そのため、洗面所などで一生懸命背伸びしたりしてファッションチェックをしていたのですが、そろそろまめたろうも大きくなったし、姿見があっても心配ないような、まめたろう自身もわりとファッションチェックするタイプなので、あってもいいんじゃ、と思って、まめたろうに聞いてみたのでした。

「大きい鏡を買ってもいいかなって思うんだけど、どうかな?」

「どうして~?」

「うちには大きい鏡がお風呂場にしかないでしょ?だからお洋服きたりしたときに、どうかな?ってみるのがちょっと大変で、大きい鏡をこっちのお部屋に置いたらいいかなって思って。」

まめたろうもてっきり「いいね!」って言ってくれると思っていたのですが、彼の言葉は予想外なものでした。

「じゃあ、こうしたらどう?僕が毎日、お母さんのお洋服がかわいいかかわいくないか、見て言うっていうのは?」

彼は自分でいったあと、その案がなかなか良いと思ったようで、「そうしたらいいよ、僕毎日見るよ~^^」と。

彼はどうやら本気で、いい案だと思っていて…笑。

「それもいい案だね、買うかどうかはちょっと考えるよ~」と言って、その場はおひらき(?)になったのでした。

まめたろうのファッションチェックがあるのなら、鏡は、いらないのかもしれません。先日も、「その服はおしゃれって感じ、その服はかわいいって感じ、どっちもいいけどね!」などと言われました。(ブログ『わがやのはる-まめたろう日記』11/12記事から転載)


【波風氏談】腹ペコさんのブログは、クスクス笑ったり感心したりいつもとても面白い。まめたろうクンはもう6歳になったんだと思いながら、まめたろうクンの心の成長と言葉遣いに驚く。それを拾い上げて記録する腹ペコさんにもだ。6歳の子どもはこんなふうだったかな?いやそんなことはないなあ、なんてしばし考える。

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時々 腹ペコ日記

2021年06月17日 | 【保管】腹ペコ日記

送る言葉

 腹ペコの本の読み方はかなり偏っている。どんなジャンルでも読むけれども、一方で決まった作家さんの本しか読まない。なぜかというと、「本に裏切られるのが怖い」からだ。うまく書けないのだが、腹ペコにとって、読むことは好きなことでもあり、怖いことでもある。自分が選んだ本を読んで「選ばれていないな」と感じるとき、「裏切られた」と思ってしまう。

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この「選ばれた」という感覚は、「読者として選ばれている」という感覚だ。やっぱりうまく書けないのだけれど、「このことばを届けたい」という宛先に含まれている、という感覚なのだけれど。

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そう考えて自分の読書傾向を振り返ると、そこに出てくる人たち一人ひとりに対する、作者の敬意があるような気がする。「がんばって」とか、「しあわせになってほしい」とか、そんな作者の気持ちが。必ずしもハッピーエンドではなくても、そんな気持ちが見えてくる作品が、どうやら好きみたいだ。


【波風氏談】腹ペコさんからの久々のブログ記事、ありがとうございました。ずうっと会っていなくても、時々思い出す人は懐かしい人。韓国ドラマ『私のおじさん』最終回の再会の場面をふと思い出す。

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時々 腹ペコ日記

2020年06月06日 | 【保管】腹ペコ日記

「えらいこと」の意味

登園開始数日前のこと。まめたろうが「しごとをするのはえらいこと」と言った。驚いた腹ペコは、罪悪感もあり、家族と過ごしたり遊んだりすることも同じくらい大事だなどと慌てて話した。
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この間のまめたろうは、我慢することが本当に多かった。家にお母さんがいるのに相手にしてもらえないという、子どもにとっては過酷な状況。その状況を小さいなりに汲み取って、仕事部屋には入らないようにと気を使ったり、仕事終わりには「おしごとがんばったね」と声をかけたりしてくれた。
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そんな中での冒頭の言葉だったのだが、しばらくしてから、彼のいう「えらいこと」はどういう意味だったのかと気になった。改めてたずねてみると、少し考えてから、「しごとしてもいいよってこと。がんばってねってことだよ」と教えてくれた。子どもは大人が思うよりずっとよくわかってくれるし、よくわかってくれてしまう。前よりもずっとおしゃべりになった彼の言葉を、丁寧に聞き取りたいなと思う出来事だった。


読書感想に続き、腹ペコさんにブログ記事を送って貰った。まめたろう君の「えらいこと」感覚に驚いた。誰とは言わないが、自分にだけがんばってる「エライ人」に聞かせたい 懐かしい人からのお便りは嬉しい。一寸凡師さん、コメさんもお待ちしてます。

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腹ペコ日記 特別版

2018年03月30日 | 【保管】腹ペコ日記

作品

相方さんは、手作りすることへのハードルが低い。相方さんの両親や祖父母は何かを自分で作れるという特技を持っており、その環境が「手作り」へのハードルを下げたのだろうと思う。

たいして腹ペコはどうか。不器用かつ大雑把でめんどくさがりな性格であるため、何かを作るのは基本的に大人に丸投げしてきた。ただ、それももう少し振り返ると、がんばった作品が「ぐちゃぐちゃ」だと言われたことが大きかったような気がする。

そんな思いから、まめたの作品が完成するたび飾るようにしている。「どんなものも作れる」という相方さんの感覚と、「自分の作品が大切にされる」という経験が、今後、彼の製作意欲にどのように影響するのか、楽しみにしている。


4年間、お願いして書いていただいた「腹ペコ日記」(2014年5月~2017年3月 全150回)。今回もお願いしたわけだが、その内容と文体から、ずうっと続いていたような錯覚が。この間の腹ペコさんの様子はブログわがやのはる-まめたろう日記』で。

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腹ペコ日記(最終回)

2017年03月18日 | 【保管】腹ペコ日記

感謝(第150回)

 波風先生にコラムを書いて欲しいと頼まれたのは、生活も仕事もよくわからず、不安に満ち溢れていた腹ペコが、相方さんの職場にはじめて顔を出したときのことだった。「わかりました」と返事をした一番の理由は、居場所を与えてもらえたことがうれしかったからだ。当時の腹ペコは、「自分は相方さんのおまけだ」と勝手にひねくれていた。今なら、「与えられた場所で与えられた役割を果たす」ことがどれほど大事で、それがどれだけ自分を成長させてくれるかわかるのだが、当時はそれがわからなかった。
                           
                        

こうして始まった週に一度の「自己点検」は、自分の未熟さをこれでもか、と浮き彫りにしてくれた。目の前にいる子どもたちに右往左往し、その実情を綴るというプロセスは、腹ペコの目を覚ますにはちょうどいいリハビリだった。そうでもしなければ、社会に必要とされるかどうかとか、そういうことが問題なのではなくて、「世間が腹ペコを育ててくれている」という事実が大切だという、そんな当たり前のことに気づけなかったかもしれない。
 
                      

こんな器量の狭い人間のコラムを、週に1回居候させようと思ってくれた「信頼」が、この地でがんばっていく決意を支えてくれたひとつだったと思う。この場を離れても、「自己点検」を忘れずに、修行に励みたい。

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