波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

読書交流会 中止のお知らせ

2022年03月29日 | ご連絡

月の読書交流会は中止しました。来月は4月24日(日)14:00~に予定しています。都合が付けば、来月中旬までにメールで読書感想を送って下さい。【→ namikazetateo@gmail.comまで】本ブログに掲載し交流したいと思います。



アカデミー賞授賞式で、米国俳優が妻を侮辱したコメディアンの頬を叩いた騒ぎ。叩いて当然、叩かれて当然、俺もそうすると波風氏。脱毛症で苦しんでいる人を笑うジョークなんてありえない。俺なら、放送禁止用語は使わないが謝罪なんかしない 愛車波風号が修理から戻ってきた(感)、見積もりより2万円安かった、そのせいか血圧が最近になく安定(笑)昨日のバス体験も楽しかったが、庶民の幸せは身近なことだなあ。

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先生に無縁の立身出世

2022年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

長になりたくないという人が、校長を『出世』した人と揶揄して嫌な感じになったことがある。子どもを良くするのが唯一使命の学校で出世はそぐわないし、嫉妬しているのだろうかとも思った。ひどい校長にしか接しなかったとも思う。
先生の夢は、良い学級をつくり、良い授業をすることだ。良い先生と良い子どもが育つ素敵な学校をつくりたいというのもまた先生の夢だ。どれが上でどれが下とかではなく、先生が役割分担するのが学校だ。

 

が中に、『出世』したくてたまらないという変な先生も確かにいる。国はせっせと校長先生を学校で一番偉い人にしたがるし、会社の序列と混同する世間もあるから不思議とは言えない。波風氏は、出世意欲が仕事のモチベーションと連動する方もいるから否定しないが、過剰な出世意欲は困ると思っていた。恩師から、「校長になるのは、偉い人になるのではなくエライことになるのだ」(新聞掲載エッセー『恩師の言いつけ』参照)と教えて貰ったが、この言葉は現役時代の思い出にかぶさるし、隠居老人の今も免除放免されたわけではない。それが教員世界で生きた自分の道徳律だ。肩書を欲しがらず、衆を頼まず、自分の頭で考え、時に覚悟を持ち、悪口言わず直接本人に言う、なんてことが『エライこと』の続きだ。

身出世は辞書に、「社会的に認められるいい地位に就き、その社会で高い評価を受ける存在であること」とあった。繰り返しになるが、教員の世界に『高い地位』は無い。高い地位を目指して仕事をするのは間違いなく邪道だ。高い地位は、高い評価の結果であり、それを受けることはエライことなのだ。
掲載した朝日新聞朝刊『折々の言葉』を、先生たちが笑いながら話せる職員室であって欲しい。そして、校長先生も教頭先生も主幹教諭も、子どもと教育を良くする『先生』として評価を受ける存在であって欲しいなあ。この頃の教育の最大の問題は、「先生とはどんな仕事なのか、どんな先生が立派なのか」を先生も庶民も曖昧にされていることだと思う。


「教養ある多くの者は富の誘惑を払うことができる。しかし、名声の誘惑を退けることは偉大な人に限られる」(林語道)、やたら肩書を喜んだり、稀だが嘘で評価と富を求める元校長もいる 歯の浮くお世辞を多用する人は、自分をすごく評価して欲しいんだろうなあ。「いいね」欲しがるのは若者に限らない被告道警のヤジ排除裁判で表現の自由侵害の判決。まだ民主主義があった。

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・・・遠くにありて思ふもの

2022年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

は親しい仲だったが疎遠になった人を、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」なんて言う時がある。この言葉、元の詩ではそんな意味でなく、ふるさとから出られない悲しみというか境遇への叫び。
波風氏の「遠くにありて思うもの」は、同じ時代を共有した先生と教え子や先輩と後輩、同級生も含めた親しい人間関係で今は少し距離のあるイメージだ。

師は教え子にとって理想的な解釈をさせるような人であって欲しい(松本清張)と思う。先生は時々、子どもから予想外に良い先生の記憶になっていて驚くことがあるが、割増し評価のされる職業だと思う。先生で無くても、若い時にお世話になった人はずうっと信頼や尊敬の人でいて欲しい。あこがれは心を明るくしてくれる希望だ。だが、こうした気持ちの持続は、簡単では無い。年齢や立場の変化、日々の忙しさ、会う機会の乏しさが疎遠の主な理由だ。思いは変わらないのに時間と空間が希望の輪郭をぼんやりさせる。そしていつか、実際に会って気をつかったり落胆したりするのなら、会わずに今ある希望を絶やさないようにしておく方が良いと思い始める。そんな時、「・・・・は遠くにありて思うもの」と呟いたりする。残念とか悲しいとかでなく、そういうものなんだと。

 

風氏は、「遠くにありて思う」人たちから励まされて暮らしている気がする。中学生の時の恩師に羊羹のお礼にカステラを作って送ったら桜桃の手作りジャムが届いた。小学校の担任時代に赤ペンを入れた日記ノートをもうすぐ還暦を迎える教え子に返したら電話来て20代前半を思い出した。今はお母さんになっている中学校の教え子が退院し、奇跡の話を聞かせてもらい鍋焼きウドンで祝った。みんな『縁距離(遠距離ではない)関係』の懐かしい人たち。ここまで書いて、「遠くにありて思うもの」は疎遠な呟きでなく、有り難い時の感情でもあるような気がしてきた。
新聞掲載の教職員人事異動先で、懐かしい名前を見る。年々見知っている先生は少なくなり、互いに「遠くにありて思うもの」が世の常なんだなあと思う。波風氏が一番必要な「遠くにありて思ふもの」とは、自分をより客観的に見つめるというか、自分をうんと小さくし周りをうんと広くして眺められる心の余裕かもしれない。


ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても/帰るところにあるまじや/ひとり都のゆふぐれに/ふるさとおもひ涙ぐむ/そのこころもて/遠きみやこにかへらばや/遠きみやこにかへらばや(室生犀星『小景異情』の部分から) 「便利は不便」を身体に刻み込まなければもったいない。修理で波風号不在の日々続く 当地の70歳対象福祉施策、バスと温泉の代金割引カード用にカメラで写真を撮る。ママヨさんは理容院、波風氏は髭剃り、そして服を少しましなのに着替えて画像は陶板にクレパスと鉄針使って想像の春景。

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友だちの娘さんの小説

2022年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

朝、昼、夜のニュース冒頭から胸の痛い日が続いている、今日は子ども、女性、高齢者400人避難の学校爆破の残虐。人を傷つけてはいけない、弱い人を大事にする、隣人を愛する・・・・・人間なら必ずあると信じていた道徳の根本が、毎日毎日ずたずたにされ地に墜とされる瞬間を目の当たりにする例えようの無い苦痛。こんなことが否定され、人間で良かったと思う日が早く来ますように。

 

50年来の友人・早口急君の娘さんが書かれた小説『謎解き葬儀屋 イオリの事件簿』(持田ぐみ著:MICRO MAGAGINE)、300頁5話を読み始めた。早口君が良い笑顔で「ちょっと自慢するけど」と紹介してくれてすぐにAmazonで注文。まだ全部を読んでいないから感想は控えるが、情景や登場人物の個性、物語の進行や会話文が複雑にも関わらずとても読みやすい。文庫本体裁だが、400字原稿用紙で700枚はあるはず。なるほど、早口父さん、嬉しいはずだ。

 

退院したら鍋焼きうどんで退院祝いしてあげると約束していて昨日実現。昨年末からつい最近までの、生死の境界線を乗り越えた入院前・入院中・入院後の体験談を聞く。天候、距離、家族、何より病状・・・・どれもが逆境というか信じられないほどの不運を生き抜くことのできた、運と偶然と支えを体現できた奇跡の本人に拍手。人一人の命はこんなに大事で、こんなに支えられているのだとあらためて実感。
『鍋焼きうどん』は、波風氏が胃がん切除し退院してすぐに向かった病院近くの食堂でママヨさんと半分づつ食べた思い出の一品。病室から眼下にある食堂で鍋焼きうどんを食べられる日が来るのを心から願った2ヵ月間。あれから13年経ったんだなあ。

 

公式裏ブログ『波風食堂、準備中です』、今年で10年目。このブログと色分けが難しかったが、最近は明らかに違う。この裏ブログ、良く言えば「肩の力が抜けた随筆風」、正確に言えば「思いついたら忘れないうちに書いておくメモ」。後で読み直すのはこちらで自分で書いて自分で笑ってる。「よくこんなこと書いたなあ」と反省しつつ、自分を笑い飛ばしたい波風立男氏の本質を自然に表現しているかもと思う。

今年は『波風食堂、準備中です』も随分と長くなったから『波風食堂、開店してますよ』になって欲しいなあ。

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『死を思う』人に誠実に向き合う人たち

2022年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム


中学生の「死を思う」新聞投書(2/7朝日新聞)を読みこのブログ(2.11『死を思う の返信』)にも書いた。投書の反響が大きかったのだろう、一昨日の投書欄で「私は『死』をこう思っている」の特集を組んでいた。要旨しか載せられないがこんな感じだ。

 

●あなた自身の「納得解」を見つけて。父を亡くし絶望したが、キラキラした中学生が救ってくれた。人は意識せずとも誰かの希望になるかもしれない(27歳女 中学教員)
●怖がらずに今をありのままに、あるがままに歩き続けることが大切。「死んだらどうなるのだろう」と自問して四国遍路を10年間で3度、のべ150日歩いた。死ぬことも生きることも区別無く繋がっていると感じた(69歳男 薬剤師)
●身構える必要はない。23歳の時に登山で滑落した時の死の恐怖は今も身体に刻まれている。今なぜ生かされているのかを見つめ、自分の役割を全うしたい。死の先にはわからない、無かも知れないが、ふっと消えるのもありかなと思い始めている。(60歳男 高校教員)
●2年半前に逝った夫に会えると思っているから死は恐くない。生前に「良い老後が送れるよう見守っているよ、安心して生きよや」という言葉をもらい不安無く独り暮らししている。最後には大好きなあの人に会えるのだから老後これ以上の幸せは無い。(主婦女 80歳)
●大切な人たち3人を同じ年に失い動揺した。人との出会いはまさに「一期一会」で奇跡。死後の世界は信じていないので、今この世界で繋がったかたとのご縁をないがしろにしてはならないと思った(30歳男 デザイナー)
●死を考えることはどう生きるかの原点。心のもやもやを字にすることをすすめたい。自分は書くことで進むべき方向が見えてきたと思う。生まれてきたことに意味があり、人生を理解するには生き尽くす必要がある。(76歳男 無職)


6人の言葉、どれもそうだなあと思い、どれも少し違うなあと思う。共通するのは、真面目に人生を考え、中学生にもわかるように言葉を選んでいること。こういう対話はありそうで無い、要旨をまとめながら強く思った。
波風氏は思う。生まれてから死ぬまでの人生、どう過ごしたいのかは、それぞれの人の価値観そのもの。死後の考え方も随分違う。生きる方向が定まっていても思い通りにならないのが人生。つくづく何があるかわからないのを実感中。願うのは、末期に「まあまあの人生、面白かったな」と眼を閉じられること。
死のことは若い時から時々考えてきたが、この頃になって生と死のセットで考えるようになった。昔も今も、深刻ではなく元気の湧く亡くなり方だ。やり残し・悔いが残るのはまっぴらだ。これ、老後の価値観を磨く大事なことで、誰もが実行しているはず。だが、ここら辺の話が出来る人は限られ年々範囲は狭まっていくような気がする。


「ふるさとは遠くにありて思うもの」という言葉、昔お世話になった方と疎遠になってしまったなあ、自分が訪ねていかなければならないのに・・・・と思った時に浮かんだ。元の室生犀星の詩と違う考え方だが、今の思いを文字で整理しておこう  ブログに書くことが途切れないこの11年間。ずうっと読んでくれている人が途切れないことも驚く。こういう関係(これを「交友関係」という)があるのは幸せなことで、読者の方々にいつも感謝しています。 

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