波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

タダには恐い裏

2021年03月26日 | 老人の主張

国のお達しで一昨日送られてきた『マイナンバーカード交付申請書』。中に、申請すると「マイナポイント」5.000円分もらえる、「まだ間に合う!」なんてお誘いも入ってる。元々胡散臭い『マイナンバー』、それを使わせるための『マイナンバーカード』だが、事務手続き上でいつかはカードを申請しなければならない日が来るのかなあと思っていた。カードを落としたり盗まれたりして悪用されたらただでは済まないし、金や健康等の個人情報を国に一括把握されるのはとても恐ろしい話だが。

あ、これはだめだ、まだまだ申請なんかできないぞと思ったのは「5千円あげます」で。合理的な意味がなく金をくれるのはやましさがあるはず。加えて、24日に申請書が届くように送っておいて31日まで可、と言うのがふざけてる。良いことしてやってるんだからつべこべ言わずにさっさと出せ、という感じ。庶民をなめちゃあいけない。その矢先の「マイナンバーカード 本格運用先送り」の新聞記事(3/26朝日朝刊)、やっぱりなあ。政治家も、官僚もだめなのは最近の国会中継で歴然だが、実行部隊の事務方や企業も全然だめというのだから恐ろしい。個人情報を扱う大前提がそもそもなっていないや。これ、重大問題だと思うよ。


波風氏にとって今日は特別な日なのだが、特に感慨も無い。あと10年ぐらいしたら、「特別」を味わえるかもしれない、永いな

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たちつの手紙【老人の主張】

2020年01月19日 | 老人の主張

お礼などはハガキで出す。自作のイラスト載せた絵はがきを選び、差出人の住所と氏名のゴム印押し、万年筆で宛先を書く。ここを色鉛筆で区切り、文面部分を確保する。この線、冬は緑、秋は茶色、夏は空色、春は黄緑色。ここまで来たら一気に文面埋める。躊躇すると出したくなくなる。消費税のせいで以前の切手に1円、2円分貼り増し必要でこのベタベタ感が嫌だ。

                  

手紙・ハガキは、還暦の少し前からだ。電話のお礼を失礼に思うようになり、メールは仕事上では便利だがプライベートではどうもなあ。ここらは、老境に入って確信となり、面倒だと思わない。波風家を巡る方々もそこらをわかってくれると勝手に理解している。波風氏と同じ世間との付き合い方なのか、時代がそうなのかは知らないが良い風潮だ。(このへんの心境を随分前にこのブログのどこかに書いた。今回、探せなかった)

                  

お便りを郵便ポストに出しに行く。しめくくりの仕事だが、車で出しに行ったり、ママヨさんに頼んだら「負け」、歩いて出して「勝ち」。遠いところで出したら「大勝ち」(笑)。老人のお便り交換は健康と直結している。『人生フルーツ』の津端修一さんが毎日のようにハガキを自転車で出しに行くのを思い出す。


『人生フルーツ』のご夫妻もナレーターの樹木希林さんも鬼籍に入られた。詳しくは知らないが見事な方々 「頼まれてもそれは私にはできません」「大事なことから逃げないで立ち向かって下さい」と、若い人が恩人に勇気をふり絞って話をしたと言う。その話、波風氏も大いに考えさせられた画像は6年前のイラスト。当時、ハガキや封書の切手代はいくらだったのだろうか。もう思い出せない。

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さしすの住【老人の主張】

2019年12月02日 | 老人の主張

 

後生活は、ほぼ一日が家。となれば、心穏やかに過ごせる住まいが必須。ブログ記事『いろはの衣』に、古い服を「肌身が覚えてる記憶、家族という繋がり、もののあわれ」で捨てられないと書いた。家も、自分の肌身にしっくりして身体にストレスが無いことに尽きる。それと、老後の暮らし方に見合っているかどうかだ。家に暮らしを合わせなければならないなら悲しい。結局、何を大事にし、何をあきらめるのかが『終のすみか』の要諦。

             

居当初から懐かしいと感じる家にして欲しいと頼んだ。仕事であった初対面の設計家に、「あなたの考えた家は素敵なんですか?」と聞いたら「全部素敵です」と怒ったように言ったので気に入った。少し前に亡くなられたが、自慢の家だったとご家族が言っていた。建ってもうすぐ20年になるが未だ飽きないし不都合も感じ無い。
時々観るTV『ぽつんと一軒家』、未だ「この家に飽きた」とか「 不便で困る」いう話を一度も聞かない。古い家を大事にしている情景にいつも心騒ぐ。家も住人も落ち着いた佇まいが似通っている。


 明るかった木肌が年月とともにしっとりした飴色に変わる。一見変わらないように見えるものはだんだん薄汚れていく 画像の見開き紙面は家計簿。ママヨさんが真剣に書いていた。ビビッドカラーの黄緑と赤が木の茶色に合う。

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いろはの衣【老人の主張】

2019年10月25日 | 老人の主張

暦後の食と住は「手作り」でやりたい放題、それでも変化は少しづつ。その点、『衣』は激変。40~60歳まで、朝から晩までスーツ、ワイシャツ、ネクタイの戦闘服、帰って来たらすかさずパジャマ。休日に着ていた服の記憶が無いのは、休日の記憶が無いから(涙)。

           

60代から偏愛しているジーンズ、再雇用先もこれで。お洒落したいと思わない波風氏だが、気に入らない服は着たくない。画像は今着ている-息子のお古のリーバイス、すり切れたのをママヨさんに補修して貰って。同じく袖が綻びてきた息子のトレーナー。青いシャツはボロボロになり襟を外したティンバーランド。どれも20~30年前のもの、「この着心地と捨てられない感覚は、本人にしかわからない」と波風氏。

                     

全退職後、袖を通したスーツは黒の上下に黒ネクタイだけ。かしこまった席はブレザーで通す。スーツは、夏冬用各1着残し廃棄済み。この判断時、新しいものほど早く、古いものほど逡巡した。この2年間で着なかった衣服は一気に片付けたい。ただ、一本一本に思い出あるネクタイは難しいだろう。捨てられないのは額装に、と思ってる。

いの一番に出来ると思っていた『衣』の処分が遅れているのは、肌身が覚えてる記憶、家族という繋がり、もののあわれ(笑)、からだろうか。


カレー粉とガラムマサラだけで『出汁のきいた和風カレーうどん』作る。どなたか試食してくれますか?評価によっては2020年メニュー化も 冬タイヤ、早めに切り替えよう。直感的に「そうしたほうがいいよ」の感じ。

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読書を履く【老人の主張】

2019年07月14日 | 老人の主張

イトルは、『読書とはパンツを履くこと』の方がいいかなと迷った。

「古典を読むと自信が持てる」、「どんな本を読んでいるのかを他人に知られるのは恥ずかしい」という話し聞いて、ふと「パンツ」が浮かんだ。立派なパンツ(どういうのが立派かはわからないが、穴が空いてなく、清潔で、何かの拍子に見られても平気なパンツ)は、自分に安心と自信を与えてくれる。本もパンツも。

られるのが恥ずかしいは『読書=パンツ論』の核心的な表現。どんな履き方(読み方)かは問題では無く、どんなパンツ(どんな本)なら「この人はこういう人だったのか」と低く値踏みされず、世間的に通りの良い評価になるのかが関心ごと。波風氏にもその傾向あるが、「見せるのが恥ずかしいパンツ(本)」は隠し、見せても恥ずかしくない(いわゆる『見せパン』)は口にする(笑)。それはそうだろう。元教員だし。

の論でいくと、「本を読まない」人はパンツを履かない(いわゆる『ノーパン』)趣味の人(笑)、「いっぱい本を買うけれど読まない」人は使わないパンツ集めが趣味、特定作家を読み続ける人は褌なら褌、ブリーフならブリーフの頑固者。寿命が短くなってきた波風氏が、『命尽きるまで読み続ける作家5人』を柱にした読書三昧もこの類い。

読書交流会『ほんのおつきあい』はさしずめ、パンツの見せあい・履き心地の交流会。この会が続く理由はこの辺にある。自分は履かない、いや履けないパンツの話を聞くのは何とも面白い。


今日は7月最初の波風食堂。Sさんご一家。まず、梅炭酸でお出迎えし、かけうどん、生姜稲荷、卵焼き、デザートに杏仁豆腐(クコの実乗せ)、うさこブレンド珈琲(波風ブレンドの上級版)。娘さんの仕事の話し含め、いっぱい話しができて楽しかった。先日の珈琲教室に感動したとのこと 2弾目の【老人の主張】。おわかりと思うが、偏見と妄想に支配された、ママヨさんの顰蹙かう話題をこのカテゴリーで今後も。裏ブログ『蕎麦でなく「饂飩』もこの傾向。

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