波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

書評という鏡

2016年11月09日 | 新聞掲載

(11/6 北海道新聞朝刊 書評欄から)

年(書評「学校の戦後史」)以来の今回(書評「崩壊するアメリカの公教育」。「この著者は何を言いたいのか」、「どんな読む価値があるのか」、「自分の言いたいことは書いたのか」、今回も唸りながら700字の格闘。今回は前回と比べて「奥歯に何かが挟まった」、「歯がゆさ」の感じ無く、気持ちだけは楽だった。

評の仕事は、担当記者が本を選び、依頼により始まる。書き手に本を選ぶ自由は無い。性格上、書評原稿はそのまま掲載される。本も著者も、今が旬の業界で話題の一冊。持ち上げるのも、文句をつけるのも自由だが、「的を得ているか」どうかの一点が書評の存在価値、だがこれが怖いことなのだ。書評とは、天下に読書力や批評性、文章力を評価される、晒される機会なのだ。川端康成著「水月」に出てくる『手鏡』なんかを思い出す。 

じ朝の全国紙に、この本の書評が出た。業界内で高名な学者の方。ほぼ同内容に安堵したが、字数の関係で削除したことがやっぱり大事だったなあ、と思った。


米国の大統領選、開票速報中。「どっちもどっち」感は、オバマ氏への失望と、こういう大統領選びで庶民が救われる気が全然しないからだ 公式裏ブログ更新、お題は「『タコ飯』万歳」。

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波風的な12月の新聞評

2016年01月06日 | 新聞掲載


 高校時代の担任の先生(86歳)から電話があり、「今日(新聞評)のは良かった」と言ってもらった。つくづく思うのは、「先生と教え子」という永遠の関係だ。恒例の正月のクラス会に今年も行けなかったが、「波風君が新聞に書いている文章が話題になったよ。みんなが読んでるよ」と教えていただいた「2016波風カレンダー」プレゼント、定員オーバーになりました。「未だ大丈夫だろう」と思っている方、もうだめです。すいません。

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新聞週間に寄せて

2015年10月19日 | 新聞掲載

 2週間ぶりにPCでブログ書く。この原稿、とても慌ただしい中で書いたので内容をあまり覚えてなかった。留守中に取り置きしておいてもらったのが今日配達されて読んだ。同日の社説(10月15日 北海道新聞「新聞週間 世界と地域 つなげたい」)が立男の書いたことと重なる内容だったので興味深かった。

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波風的な8月の新聞評

2015年09月01日 | 新聞掲載


 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」に関連記事をUP中。「中」というのは書いている途中でお客さんが来てそのまま忘れてしまい、続けようと思ったら編集に入れるパスワードを忘れた為楽しみになった朝日俳壇・歌壇(朝日新聞日曜)。佐佐木幸綱選と金子兜太選の短詩に救われる2015年の夏「ビッグコミックオリジナル増刊号(戦後70年特集)」(500円)を買わず残念だったが発行元HPで注文できた。今や古書扱いで1.900円以上だよ、フーム。

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新聞コラムの保管庫

2012年12月26日 | 新聞掲載

朝の食卓」を書いていた頃

 北海道新聞(朝刊)「朝の食卓」に掲載された2年間、全18回分のコラム。全道の執筆者40人が回り順で書くから40日目の「忘れた頃」新聞に出る。1回目(2011年1月17日)~終わりの18回目(2012年12月25日)までの時期は、38年間の教員生活最後の2年間で、それ以前とは少し違う精神状態で生活していた。やり残し感と達成感がない交ぜになった心があった。定年退職は「諦念退職」だと思うこともあった。

 もやもやしている心の空気を入れ換えるような気持ちで書いた。自分の仕事、生い立ちや境遇、家族や人生…とりとめもなく浮かんでは消え、消えてはまた思い出すようなことを言葉で書き残していた。ここに書くことで音信不通の方々と連絡がとれたり、思いもよらない方からの手紙や「読者の声」で感想をいただいたりした。

 今はまだ記憶にも新しいコラムだが、中級老人の頃には「俺もこんなに若かったんだ」ときっと感じるのだろうな。

                                                 平成26年9月28日

 

 ※ブログの構成上、投稿日時を新聞掲載終了の次の日にしてある。そうしなければこの記事が突然に今日のお目見えとなり混乱してしまうからです。

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