波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その169】端っこに追いやられるたこ 

2014年06月29日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo  お昼ご飯に「たこ焼き」パーティ。たこ焼き器で作る「自家製たこ焼き」は凡師家の人気メニュー。最近では「たこ焼き」のみならず、「キムチ焼 き」や「チーズが出るウインナー焼き」、「ネギ焼き」まで登場。たこ焼き器は一度に20個作る事ができるが、極端な時には、タコ4個、その他の食材16個 といった事もある。もはや凡師家にとって「たこ焼き」は食品名ではなく、調理名となっている。

 そんな凡師家の次なる「たこ焼き」メニュー案は…、「ホタテ焼き」(凡師案)、「餅焼き」(荒馬さん案)「エビ焼き」「シャケ焼き」「タマゴ焼き」(長男案)。このままいくと、そもそも食材として「たこ」を用意しない日が来るかもしれない。
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№8/育とうとする気持ち

2014年06月27日 | 【保管】腹ペコ日記

 Photo_2  去年までは、大学生を前に講義をしてきた。そして今は、小学生に教える仕事をしている。「小学生ってどんな感じなんだろう?」と、どきどきしながら4月を迎えた。その最初の感想は、「小学生ってこんなにも、知りたい!わかりたい!と思っているんだな」ということだった。

 

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いわゆる「偏差値の低い」大学でいざ講義をしようとすると、「先生の話す話は難しい。わからない。どうせ聞いたってむだ」、という空気が漂っている。だから、いつも最初は、話を聞いてくれない学生たちに、「先生の話は、聞いたらわかる話だ」と思わせることに時間をかけたり、工夫をしたりした。

 

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 学生たちも小学生の頃は、「知りたい・わかりたい」という気持ちにあふれていたんだと思う。その「育とうとする気持ち」が、大学生に至るまでの過程の中で、「どうせ先生の話はわからない」になっていってしまったんだと思うと、いたたまれない気持ちになる。育とうとする気持ちを枯らすような、学校の仕組みになっているんだろうか。

 

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おヤジの謝罪

2014年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 迷惑かけた人に「ゴメンナサイ」「スイマセンデシタ」や「モウシPhoto_2 マセン」でことを済ませるのは謝罪とは違う。自分の気持ちを相手に押しつけているだけだから、ヤジの延長線でしかない。謝罪とは、自分がどんなにひどいことをしたか反省し、「ドウカ  ユルシテクレマセンカ」を相手が承認してくれるまでお願いし続ける極めて人間的・精神的な行為だ。同時に被害者も何を基準にどんな態度で謝罪を受け入れるかの覚悟、人間性が問われる。形だけ突出した演劇的謝罪が土下座で、やる方もやらせる方も品性が下劣だ。

 

 話題の都議会ヤジは完全に人権侵害なのだが、犯人判明後の方が何だか気分が悪い。加害者も被害者も謝罪の土俵にいないからだ。謝罪風言葉と慇懃な態度、それを簡単に受け入れるケジメのなさが嫌だ。両者とも早く一件落着したい、長引くと不利になると思っているようだ。石原環境大臣の「金目」謝罪も同じ感じだ。マスコミは権力者の失言内容を取り上げるが、謝罪のあり方は驚くほど触れない。麻生氏のいじめ被害者3条件発言も、生死に揺れるいじめ被害者への謝罪に言及しない。何はともあれ謝罪の格好つけたら幕が引かれる風土は困ったもので、教育上まことによろしくない。

 

 ところで、都議会「セクハラヤジ」を、「セクハラオヤジ」と立男は何度も読み間違えたが、やっと出てきた犯人見て間違っていないと確信した。

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イラストは風船蔓(フウセンカズラ)の幼い苗。そよ風に揺らいでる。礼文の子にもらった種で育て続けて10年。今年もかわいい実をつけて欲しい 大学で、現職の実践家の話を学生と。生徒理解力とは何かを実感。オタク文化の教育的活用も。

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「かないくん」

2014年06月24日 | 読書

Photo 「かないくん」(谷川俊太郎著、松本大洋画:(株)東京糸井重里事務所発行) 読む。新聞書評で気になり図書館に入れてもらった。この言葉と絵、繰り返し読みたいから自分でも買う。

 

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 この本で突然思い出した。大きなポプラの下で隣のクラスの子が死んだこと。数日前、運動会の組み体操で手をつないだだけの知り合い。大雨になった花火大会、ポプラの大木で雨宿り、そこを直撃した雷、大人2人と彼の感電死。新聞配達していた小6の立男は、木の周りに3人が倒れている図入りの記事が載った新聞を配った。雷で焼け焦げた跡のあるポプラの木に花が添えられていた初夏のこと。50年以上前の思い出、そして今まで出会った死んでしまった人のことを思い出していた。

 

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 生とつながっている死、死が新しい生につながる予感。死は「重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくも無い」ことをを、吐く息と吸う息のリズムをゆっくり意識するように考えさせてくれる一冊。絵本の可能性、感じた。

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【その168】落ち着くのじゃ

2014年06月22日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo  今日、長男坊の運動会。カメラ片手に応援へ。笑顔を振りまきながら走り、踊り、飛ぶ長男に成長を感じた。運動会終了後、貯まった仕事に着手。 何かと忙しい時期にさしかかってきたが、またしても舞い込む仕事の量と凡師の仕事量が釣り合わない事態に。これからますます忙しくなるというのに、今から この調子では…。落ち着け、落ち着くのじゃ、凡師よ。

 

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【立男の隙間コラム】大阪市教委が問題行動を繰り返す子どもを分離する「特別教室」設置の報。警察を持ち出さないのは評価するが「落ち着け」と言いたい。先生で駄目なら親も、それでも通用しなければ住民も、の「大きなカブ」みたいな力あわせが子どもたち全部を明るくできる。これが教育、これが学校だ。30年以上前に「分離」は間違いだと体感させられた波風立男はつくづく思うのだ教え子がくれた小遣いで木槿(むくげ)2本買って植えた。お礼に作り終えたばかりの納豆かき混ぜ箸あげた中学時代の恩師から家の桜桃が実った頃に来いという電話。嬉しい。
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