波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

英王室祝賀記念の晩餐

2011年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo   連休初日の夕食時、TVでは英国王子の結婚式。随分大きな帽子をかぶった髭と眼鏡の司祭(今回は大司教というらしい)にあわせて結婚の誓い。期せずして、「あっ、これ『ルパン三世 カリオストロの城』だ!」と波風家。ルパンが司祭の変装を解き、薬で意識を失わされたクラリスを抱いて…ではなくシンデレラ伝説の荘厳な実写が。


 幼少時からお母さんと買い物をした近所の肉屋さんも招待されたという、一般家庭出身のキャサリン妃。美しく聡明な彼女を娶った、後頭部涼しげなお母さん似のウィリアム王子。「よくやった」と祝福のテレパシーを、グリニッチ天文台方面に向け発射。


    「あの結婚の誓い、テロップにあわせて言って欲しいな。何か大事そうなこと言っている」とつぶやいたら、「言葉でなく、日々行動で表しています」というありがたいママヨさんのお言葉。間髪入れずの返答に、日本の一般庶民出身もなかなか…と思うのであった。
    英王室結婚祝賀記念の波風家晩餐メニューは、カレーうどん。夕食にしてはトホホだが、手間暇はかかっている。昆布と乾燥ホタテで作った出汁に3日間、例の「八方美人」が3日間、但し調理時間は15分。「カレー粉+薄力粉+水」をダマにしないのがコツ。休み中の食事は3分の2は立男が。連休は忙しいのだ。

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ギャラリーに新作

2011年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

春の山菜が知りあいから。ありがたい。いただく前の描き残し。右欄下の「2011ギャラリー」からどうぞ

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    昨日のTV、再放送で2度目の「特選忌野清志郎スペシャル」(4/29  11:40~15:31 BS)。清志郎描いた絵の5000枚、「一回一回がリセット」に共感。このブログも、明日のため今日を「リセット」する感覚。忌野清志郎(享年58歳)-同年齢、癌の先輩、反原発含め一貫した姿勢…。何より、日本語をきちんと歌う。NHKでロックの「君が代」が流れたのは画期的。

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【その9】  『オソレルナ!ワカモノヨ!』

2011年04月28日 | 【保管】一寸凡師コラム
 春になりそうでなかなか春にならない。4月も終わりに差し掛かっているが、今9 日も雪がちらついている。「4月」という存在が『オイ、4月をなめんなよ! 最初の頃は入学式だ、入社式だと浮かれてたくせに! 今はゴールデンウイークの話ばっかりしやがって! そんなに5月がいいのかよ! えーい、こうなったらまた雪を降らせてやる!』とでも言っているような。そんな事を考えていたら、窓の外でちらつく雪にも「そうだよな、もうじき降りたくても降れなくなるもんな。降れるとこまで降ったらいいよ」と優しくなれる気がする。


   さて、前回書いた「ケンコーナワカモノ」作戦。さざ波のような勢いで進行中。この天候ではバーベキューはまだまだ先になりそうだが…。今後もオイルショックと向き合うチャレンジ精神の象徴として取り組みたい。「ワカモノ」とは何も子どもや社会人に成り立ての人を指す訳ではない。「過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」とはよく耳にする言葉。この言葉をものすごくポジティブに捉えれば、「今生きているこの瞬間から先の人生は、なんとかなる」ということ。この「なんとかなる人生」の中で、一番若いのは『今』である。これから先の人生においては、今が一番若く、未熟者であっていいのだ。まだまだ4月なのに「俺はもう5月だから…」と言って、雪を降らせたい気持ちを我慢する必要はないのだ。
   人は生きている以上、常に「ワカモノ」であり「未熟者」なのだ。(凡師はこれに「タワケモノ」がプラスされる。)生涯チャレンジすることを許されていると思えば、こんな気が楽なことはない。


オソレルナ!ワカモノヨ!

 
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凡師コラムに対するコメントありがとうございます。本ブログの管理者として厚くお礼申し上げます。コメントの仕組みは、直接画面に送信されるのでなく、いったん波風ブログ管理室の方に届きます。掲載するかしないかは波風立男の判断次第で、良い子だけを載せています(嘘です)送信したのに掲載されない場合は、悪い子と判断された(嘘ですヨ)のではなく、立男が管理室を見ていない場合です。アクセス解析によるとコメント視聴率はとても高いようでこれも嬉しいですネ。
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喫茶店「ちろる」

2011年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_4  北の街の喫茶店「ちろる」の2代目経営者が2011年5月28日に店を閉じる。1ヶ月後だ。立男の父と母が若かった時、立男とママヨさんの学生時代、ここでコーヒーを飲んだ。
     1939年開店。赤煉瓦の壁、渋い色調の家具、薄暗い空間。調度品も、マッチ一つも雰囲気があった。同じ通りにあった少し若者向けの「ヒラマ」、そことここが高校生の立男が本物の油絵も、画集も詩集も自由に見ることのできる場所だった。香月泰男の名を知った頃だ。


     「ちろる」の思い出はいつも冬だ。平和通りを急ぎ足だったのは、待ち合わせ時間をずいぶん過ぎたからだ。もう帰っただろうと、重い木枠のガラス戸を開ける。肩に残る雪、熱いコーヒー、洒落たマッチ箱で点火する煙草、年の暮れがガラス窓に映る閉店間近の窓際の席。店から出入りできる夏の庭も素敵だった。北の街の中心に大人が真剣に繊細に作った空間。軍都と言われた街で文化を創造する覚悟ある自由を想う。


    少し前まで、身近だったものが一つ一つ消えていく。そうしてその貴重さに気づいて古い思い出は突然身近になり、またいつの間にかどこかへ遠ざかっていく。思い出は消えないが、前よりもずうっと早く遠ざかり少し小さくなって懐かしく輝く。ココアでなく今日からコーヒーを注文すると決めた頃のことも。別の経営者が「ちろる」の名を残し店を継ぐという。幸運なことだ。あの空間を大事に受け継ぐのなら。

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「氷点」(三浦綾子著)に「ちろる」がその名で登場する。立男が中学生の時、母から聞いた。三浦綾子さんが母の小学校時代の担任の先生だった。この喫茶店のマッチ箱のデザインは立男の中学の美術の先生だと聞いたこともあった。

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仕事の流儀

2011年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

  立男は、仕事が好きだった。勤務時間中だけで仕事を終える能力がなかったから、自宅に同じ仕様の仕事場を作った。パソコンがそれ可能にした。昔は夜なべ仕事が善、今は電気と石油を浪費する税金泥棒と言われる。さもありなんと思う社会の空気だ。

    この前、定年退職されている方から、「立男君は仕事のやり過ぎではないか?」と言われて唖然とした。自慢ではないが今の立男は仕事をしていない。遊んでもいない。ただ、ぼーっとしている毎日だ。だから、痛烈な皮肉だと思ったが、どうもそうでもないらしい。退職後も同族企業で精力的に働く方からこんな言葉をいただく不思議…。


  前は仕事好きだったというのは、仕事に遊びを見つけて楽しんでいたからだ。が、これはこれで気力と、体力と、好奇心が必要だった。それが無くなりかけたころ、うまくしたもので、定年退職が迎えに。仕事で遊んできた流儀を、今度は遊びを仕事にする生活にしていく…。これが人生だとしたら実に幸せなことだと思う。

 

 

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