波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

消える本屋さん

2023年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の地元紙の広告欄に、街の本屋さん来月末で閉店のお知らせ。先月、本を頼んだ時に今の時勢でがんばっている姿に感心していると話したら、励まされますと店主さん。現在地に移転する前からだから通算3~40年になるだろう。暗い夜道にポツンとある灯りが又1つ消える。畳屋、布団屋、天ぷら屋、ウドン屋・・・次々と消える中、本屋さんの消灯はとりわけ寂しい。

 

こんな本屋さんでやっていける街があるんだなあと、『日本の小さな本屋さ』(株エタスナレッッジ:和気正幸編)を読んでいる。心ときめく本屋体験は随分前からなく、古本屋などは夢のまた夢。写真ページを開きながら、本の香り、古本の匂い、書棚高く積まれた圧倒感を思い出す。店こだわりの本を探す楽しみは、多品種高速販売の大型書店では難しい。消える本屋さんには必死で守ろうとしていたそれが残っていた。

暗い夜道にポツンと残っている灯火、無くなった当初は困らないがそのうちジワーッと寂しさが込み上がる。コロナで三密が売りの波風食堂も3年休業し、さてさてやっと再開かと意気込んでいたら共同経営者の体調不良、親戚家族の新たな動向などで何かと慌ただしくなり、存続は風前の灯火。ゴッコ遊びでそうなんだから生業の厳しさ辛さを思う。お客さんが本当に神様なら良いのになあ。


昔の写真使う用があり選んでいて、「あの時が実はとても楽しかったんだな」なんて思う。自分で使える時間なんか全然無かったのに。それでも本読めたのはママヨさんのおかげだなあ 図書館は便利さに加えて、「古本屋にいる」みたいなくつろぎ感、いだかれ感を与えてくれる燦々と照らす明かりより、薄暗い中でポツンとだったりボンヤリと照らす灯火を好ましく思うのは歳のせいかなあ、目まぐるしい時代に暮らしているからなのかなあ。

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100万円もらった

2023年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

(笑)どうするか。30年以上前に出資した100万円の証書出てきたという友人の話聞いて「俺ならどうする?」を考えた架空の話。「1日500キロ」運転中の格好の話題。条件として、貯金不可、1種類の物に1発支出で想像の世界に遊ぶ。

旅行は苦手というか嫌いだから除外。好きな絵や彫刻を買うにしても1つに絞るのは大変だし盗まれたら怖いしでこれも無し。100万円分の食べたいものは浮かばない。家も車も100万円では買えないしなあ。思ったのは、この迷いは精神に良くないこと。心から欲しいものではないのに「あれかこれか」を考えて嬉しがるのは、生きる緊張感を乏しくさせ雑念はびこらせる。話していた友人から、「もう欲しいものはないでしょう」と言われて、「そうかないかもしれないなあ」と思った。1万、2万ならこれを元手にした泡銭倍々野望で「下さい下さい」になるが、貧乏人の精神構造は大金を安易に使えないようにできてるのだ。

100万円は我が家で大金だけれど、どうしても必要ということははないでしょう、今あるものを大切に使い続けるのが価値あることだし幸せなことでしょうとママヨさん。あっ、俺の言いたいことはそれだよそれ。
試しにどなたか、本気で「100万円を波風氏にあげます」と言ってくれませんか・・・・。波風氏とママヨさんの本当の姿を知ることができますよ((笑)をつけません)


昨日会った友人は波風氏と一緒に働いた教員経験者。思い出すのは、子どもと遊んだり勉強したこと、それ以外は全然ないという。波風氏も同じ、だから離れていても「どうしているかなあ?」と思うのだろう このブログ書いていて、今日も「100万円、何に使うか」を考えている波風氏(笑)馬鹿だよなあ。

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本のある暮らし

2023年05月22日 | 読書

が無ければ人生はつまらないなあ。畑も木工も調理も散歩も眠りも入浴も、その合間時間に読書がある。読書と言えば堅苦しく、読書あっての人生と言えば嘘になるが、本はいつも味方で読書は例外なく楽しい時間。生まれてから暇を感じたことが無いのは読みたい本がいつもあったからかもしれない。本に終わりのページあっても読書に飽きは来ない。分からないことが分からない頃を過ぎ、分からないことだらけだと気づくようになって読書の意味を少し考えるようになった。

んでいるのは・・・・『なつかしい時間』(岩波新書:長田弘)、この歳にならなければ読まなかっただろう詩人の緻密で温かで平易な言葉。暮らしの一瞬に永遠の記憶が宿る感覚。『失踪願望。コロナふらふら格闘編』(椎名誠著:集英社)、衝撃受けた『遺言未満、』の続編、こういう老成のあり方もあるのか。妻一枝さんにママヨさん重ねたりする。『からだの美』(文藝春秋:小川洋子)、小説も上手いがエッセーも。美は感性の高さで享受し分配される。『なぜ日本人は戒名をつけるのか』(ちくま文庫:島田裕巳)、オウムでミソつけた宗教学者だが、知っておきたい宗教と葬儀しきたりの関係を丁寧に教えてくれる。『毎月新聞』(中央文庫:佐藤雅彦)、「じゃないか禁止令」ではじまる全50話、全部楽しい。『山之口莫(永遠の詩集3)』(小学館)、自分は未だ何ものかに囚われている。詩は嘘と正直を強烈に分別する。『山口瞳ベスト・エッセイ』(ちくま文庫:山口瞳)、広島で原爆保有を是とする愚かしい政治の今、骨ある作家を偲ぶ。『世界 5月号』(岩波書店)、6月号を発注しなければ。それと吉田秋生作『詩歌川百景3』も。評伝『アンゲラ・メルケル』(東京書籍:M・ランテルゲム)、読み始めたばかりだが、例なき大政治家の内面に迫る取材、興味深い。 


【ご連絡】今月の『ほんのおつきあい』(読書交流会)は中止にします。早々と会場(波風食堂)準備もしていたので残念です。いつも参加されている皆さん、申し訳ありません 種や苗を植える準備は終わったが寒さ続いている。散歩もしていない。こういう時に読書しても頭に入らないテレビや新聞見る時間少なくして情報終活。CMの多さ感じ企業忖度の根深さ思う。

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戦争になったら逃げられない!

2023年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

(ママヨさんが面白かったと言うので続き書いた)
、自民党の大ボスが、戦争を知らない奴がトップになったらこの国はアブナイと言っていた。同じ頃、「生涯の幸運は、戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」「人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったということで充分ではないか」「非武装の国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しない」という小説家の言に衝撃受け次第に共感。このブログ名もその小説家の『江分利満氏の優雅な生活』から来ている。
少し前まで、戦争は絶対やっちゃだめなこと、何はなくとも平和が一番、が万人の常識だった。波風氏の母親が、戦時中の勤労動員や終戦直後の買い出しのこと、そして「もし間違って戦争に勝ってなんかいたら偉そうにしていた軍人さんがどこまで増長したか。こんな話は間違っても外で話なんか出来なかったよ。警察に連れていかれてひどい目に会わされるんだから」、なんてことを何かの拍子に時々聞かせられた。

攻められる、あっちからこっちから、だから攻められる前に攻める、攻める道具が必要だ、を当然顔で煽る奴が今やトップになりそのうち徴兵制も言い出しかねない。一番大事なのは戦争準備でなく外交、憲法9条はどこいった、外交が全くない(あったら報道するだろう)、おい真面目にやれよ、と心底思う。
こういうトップを選ぶ民主主義も民主主義。戦争賛成に賛成する馬鹿はいなくても同じ意味の『安全保障』ならまんまと騙される。だが、まだ希望は残っている、と思いたい。
昨日の晩、天ぷらウドン(海老とハマボウフウと舞茸の豪華版)食べながら、「生きていれば戦争反対で2票、片方亡くなっても『魂は戦争反対』として2票分の重さある1票。2人とも逝ったら天界で仲良くテレパシーを送り続ける」とママヨさんと笑った。

説明抜きで書くが、オルテガの『大衆の反逆』にある『生きている死者』になってやる(笑)。故山口瞳氏が未だ波風氏から離れないように、波風立男氏と在野ママヨさんの想いを何かの拍子に誰かが思ってくれるかもしれない、、なんて。戦争になったら物理的には逃げられない。どっちみっち逃げられないなら、社会と自分のことを自分の頭で考えて自分が納得のいく暮らし方で満足いく果て方しなくては。(言いたいことは書いたから終わり。ママヨさん、今回はどう?)


画像は山口瞳著『江分利満氏の優雅な生活』(ちくま文庫)。この小説ともエッセーともつかない不思議で粋な作品著者が骨の髄まで反戦護憲の人だと知った時は驚いた。昨日、ブログで引用したエッセーを発注した。古本屋に売らなければよかった(涙)メルケルの評伝も買う。ロシア属国出身のトップの外交知りたくて 山口瞳氏の食リポエッセイで興ざめし読まなくなった。水上勉、開高健、宮本輝、などもそうだが余程でないと全体通じて『生きている死者』にはなれない。大江、井上、加藤、鶴見は別格だね 

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戦争になったらどこに逃げる?

2023年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争が始まったらどこへ逃げるか。市指定の災害避難所は我が家から見える丘の上の中学校だが食料も水も石油も毛布も一切備蓄されていない。前に市の偉い人にそのことを聞いたら、「地震はまず無いし津波もここまで来ないから大丈夫だよ」ときっぱり言われた。「隣の大国から攻められたら?」と聞いておけばよかった。
大根とフィリピン産パイナップルを買ってリュックに背負い、780歩ある陸橋を渡る坂道を登りながらふと考えた「どう生き延びるか」。隣国と戦争になったらイの一番にミサイル飛んでくるのは我が町。海外に逃げる小型飛行機も小型船舶も年金で買えないし、当地には地下に潜れる建物もない、家の前に1坪の花畑作るのにも難渋したから防空壕堀りは完全無理。ウクライナでは住宅地も学校も病院も容赦なく破壊され、人道も倫理もへったくれも無いから、ここはスパっと観念するしかないな。

 

真っ先に攻撃されるのはライフライン。プロパンガスが無くなったらオール木造の波風食堂を薪にして煮炊きし、それが無くなったら波風本宅を使い切る。問題は水で元の水源地までポリタンクで歩いて取りに行く。そのために足腰鍛えている(嘘)。最大の問題は食料品、支援物資届くまでの(命があったらの話だが)数週間は持つだろう。
まずはママヨさんと、「これからどうする?」の相談。結論は「なるようにしかならん!」に決まっているが、抹茶を丁寧に淹れいつもより厚切りのヨーカンで「やっぱり始まっちゃったな」なんてボソッと口にしてひたすら平静を保つ。東京の息子たちには「何をしても生き延びるんだよ。俺たちもがんばるから」とスマホ使えるうちに話をしておく。(次回に続く)


今日の記事は、『通販生活 2023春号』掲載の中村文則氏時事エッセ「冷静にならなければ悲劇しかない。でも冷静になるのは難しいから、今後も人は戦争をし続ける。」(中村文則著)に触発されて。「日本は戦争をしない国」という生きる背筋というか、国家観が人生上で最も怪しくなってきた 対話とは互いの言葉を手がかりに考える時間を持つこと、確かめながらゆっくりと考える時間を共にし、分け合う方法。結論、本音、合意、探り合い、腹を割る、胸襟を開く、うんちくを傾ける・・・場ではない。長田弘著『なつかしい時間』(岩波新書)から。これ、再開予定の『ほんのおつきあい』(読書交流会) の趣旨。

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