波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

金メダルの人

2011年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo  ソフトボール日本代表選手。北京五輪金メダル「3連投、413球」が記憶に。小学生から、ソフトボールの神様に魅入られた抜群の成績。しかし、自慢しない。そんなものを越え、深い世界で努力しているのだろう。美しい人だ。

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 昨日、目の前で話聞く。一流選手は、上手は当たり前、それに加え、日常生活のささいな変化に「気づく人」が印象に。必死さが周りの応援に、応援の環境が自分を輝かせてくれる、このことへの感謝、これが一貫した話。

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 知らない土地の人に何かを伝えるのは相当難しい。年齢的にも話が得意のはずがない。だが、笑顔で堂々と、伝えたいことを話してくれた。今日の場は、指導者をめざす上野さんの新しい挑戦でもあるのだろう。夢に立ち向かい続ける人は謙虚な人だった。

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4度のご飯

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 覚悟に満ちた話聞く。磨かれた言葉、深い人生観。若くから、朝昼晩の3食に、読書の一食を加えた読書家。生きる、働く、学ぶを繋げることで人格は完成されると思った。

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 「いままで見えていなかった世界が、雲が切れてスッと見えてくる感じ。今まで気づかなかったものにフッと気がつくこと。その時雲が切れて、向こうから光が差し込んできて、面が白くなる。それを昔の人は『面白い』といった」(1/23朝日新聞:天野祐吉「CM天気図1000回」)の新聞切り抜き。話の印象がこの感じ。

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  老後読書リストをそろそろ。きちんと読みたい井上ひさし、加藤周一。もう一度の大江健三郎、藤沢周平、内海隆一郎のようなのを読み続けたい。最近ずうっと9~10時就寝、5時起床。読書は休日に。さて、退職後はいつ4度目の食事にしようか。

 

 

「工芸の見かた・感じかた-感動を呼ぶ、近現代の作家と作品」(東京近代美術館)-挿入写真も解説もなかなかで★★、「日本人の死生観」(立川昭二:筑摩書房)-私にはまだ少し早く難しく★。先週日曜、図書館から。

E崎さんに絵はがき(本ブログ1/13「東京」のイラスト)のお礼。喜んでくれた。最近、カメラ使わずそこらの紙にスケッチメモ。あの絵、品川駅構内の喫茶店で。

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達意の文

2011年01月24日 | 読書

Photo_6     「わたしの渡世日記」(高峰秀子著:文春文庫上下)読む。解説 の「文章の特徴は…他者を描くときの的確さと、自己を描くときの突き放した態度…人生を肯定する態度」(沢木耕太郎著)に納得。昭和を代表する映画俳優の凄まじい私生活以上に、「言いたいことを言いたいように書く」、書ける文章力に驚く。

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  文は人だ。「人間になるには、俳優になるには、『ものの心』を『人間の心』を知る努力をする以外に無い…簡単に言うなら『人の痛さがわかる人間』」が全編貫く。この品性、知性はどこから…と考えながら読んだ。

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 「『早く早く、早くしなけりゃ間にあわないじゃないか』」と心は焦っても、結婚はオヨメにいくのであって、オシッコにゆくのとは違う」なんていう文章に笑う。宣伝文句「人生の指南書」はその通りだが、優れた教師育成論だ。教師は俳優に近い職業と聞くが、やはりそうだったか思った。映画の記憶は無い。「二十四の瞳」がかすかに。昨年12月28日86歳でご逝去。

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鴨南蛮うどん

2011年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo  合鴨の薄切り、長ネギのぶつ切りを焼き、油を少し落として香ばしさを。出汁を利尻昆布と削ったばかりの鰹節でとり、「かえし」をあわせて。熱い丼にしたが、つけ麺もいける。今回の「下川うどん」(乾麺)は腰強く、のどごし良い。作り方シンプルで、材料も普通だが、ちゃんと作るとちゃんと旨い。


    昼にお客さん3人と。前から会いたかった人たちで嬉しかった。人に優しく、自分に出来る社会貢献をされている方々で、学ぶこと多い。不登校支援ネットワークの地域・PTA協力者も、某中学校と某大学との近道階段づくりも、「PTA親父の会:OB会」も、この方々の心意気で始まった。


    この話。「料理=(食べる)工作」だと思う。定年退職後、この方面の工作を、掃除・洗濯ぐらいの比重で腕をあげたい。家事全般の達人になるのが老後の夢だ。

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あいさつ  №1

2011年01月17日 | 新聞掲載

 Photo_4家庭訪問から学校へ戻る坂道に大きな穴があった。水道工事で開けた穴だ。右脇に人1人通れる仮歩道もあった。その日の工事は終わったのだろう、通学路に人影は無かった。オートバイの私は通り抜けられると思った。若く甘かった。
 穴の方でなく、仮歩道の右手の路外の斜面に頭から滑り落ちた。顔を小石で研ぐような案配だ。熱い顔でぼうぜんと青空を見ている目に坂を下って来る生徒が映った。逆光で表情は見えないが私をちらりと認め、去った。
 ところがすぐに戻って来た。そうだよな、心配してくれるのがうちの生徒だよなと期待した。間もなく、「センセイ、サヨウナラ」の声が上から降ってきた。丁寧なおじぎも付いていた。そしておかっぱ頭の中学生は再び消えた。立ち上がるのに時間がかかったのは痛みのせいだけではない。
 さて今の話だ。生徒会長が、どんな場面でもあいさつがきちんと出来るようになろうという生徒総会議案を届けてくれた。私は自分の体験からも、あいさつは人と場面に応じて行うのが大事だと思っている。同時に、いやそれ以上に、外からは見えないが人は時々心の痛みに耐えていることを教えたい。                                                                                                        【平成23年1月17日/朝刊】

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我ながら少しよそゆきの文章。新聞掲載用だから仕方ない。誰がどう読んでくれるか見当つかず、現職という立場の不安もあって。それにしても、あいさつ一つでも終生忘れられないことがあるものだ。

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