波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その214】 道具

2015年05月31日 | 【保管】一寸凡師コラム
  道具
 
 先週から使い始めた万年筆。手にインクを滲ませながら「これで俺も大人だぜっ」とニヤニヤしている。文字の太さの微妙な変化がなんとも言えず楽しい。慣れてきたら万年筆を使ってハガキも書いてみたい。
 さて、新年度になって購入した鞄がようやく届いた。荒馬さんに教えてもらったこの鞄、縦長で自立する。がま口のようにカパッと開くところも新鮮。凡師は鞄にパンパンに物を詰め込んでしまうクセがあるので、今回は使う物を整理してスマートに。
 味のある道具を使いながら、味のある仕事ができるような40代になりたい。



 味のある道具は無くす。立男は万年筆は4本、揃って身の丈知らずの高級品、モンブラン3本にパーカー1本。うち3本はもらい物。全部無くした。道具が俺を見限った。「道具から見放されない40代」を祈念してる。
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第56号/マタニティー・ハラスメント

2015年05月30日 | 【保管】腹ペコ日記

マタニティー・ハラスメント

 母子手帳と一緒にもらったマタニティーマークを結局使わないまま、妊娠後期に突入した。この時期になるとどこから見ても「腹ポコ」なので、マークの必要性はほとんどない。漫画『コウノドリ』でも「一見妊婦と分からない妊娠初期の、体調が不安定な時期にこそつけてほしい」と書かれていたが、妊婦に対するいろんな誹謗中傷を見聞きしてきたせいか、なんだかつける気になれなかった。

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 とりわけひどいのはやっぱりネット上。「妊婦様」という表現が一番露骨な感じがする。「望んで妊娠したんだから、配慮してもらって当然と思うほうがおかしい」みたいな、妊婦に対する「自己責任」の追及。それだけ個人にも社会にも余裕がないのだと思う。

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 腹ペコがうれしかったのは、職場で「腹ポコ」報告をしたときに「元気に生まれてくることよりも大事なことはないよ」と言ってもらえたことだ。いろいろと気遣ってもらいながら働けたことに本当に感謝している。そんな気遣いが当たり前になるくらいの「社会的余裕」が欲しい。


 この腹ペコさんの原稿は29日(金)に届いていた。凡師さんのは31日(日)のさっき届いた。前号で書いたように、大家の沽券を守るために、前者は本日UPし、後者は明日UPの予定。お二人はいつも約束日時を守ってくれる、すごいと思う昨年、間に合わせで作った外用の水栓、便利だから今後も使えるよう頑丈にした。ついでに間に合わせの苗床も作ってみた。

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「学校の戦後史」(木村元著:岩波新書)読む

2015年05月30日 | 読書

 最近読んだ中で一番難しかった本。「草枕」より易しく「富士日記」より難しい。口直しに「子どもにつたえる日本国憲法」(井上ひさし著、いわさきちひろ絵:講談社)読んで寝る。ここらの顛末は公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」に詳しい。途中で投げ出せない読書は辛かった。だが本当の辛さはこんなことではなかった…これも昨日の裏ブログに書いた。さっき、その筋の研究者、腹ペコさんにアドバイス依頼のメールを送った。
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 なぜ、こんなことをクドクド書いているかというと、腹ペコさんのコラムが予定通りきちんと今日、送られてきたからだ。立男がこの一週間何も書いてこなかった事実を突きつけられたからだ。このままでは、腹ペコ→凡師→腹ペコ→凡師の連続という、あってはならない事態がきてしまう。お二人はこれまで一度も原稿を落としたことが無い。毎週だよ(驚嘆!)立男が自分で決め唯一のルールが、波風→腹ペコ→凡師→波風の順番なのだ。俺だって、俺だって…の気持ちではなく、一度このルールを破ると際限なく書かなくなる不安、裏ブログで安逸をむさぼってしまう恐怖があるからだ。聞いたことはないが、お二人もきっと「一度休んだら癖になる」の思いはあるに違いない。

 花壇の色味がやっと鮮やかになってきた。玄関風除室での苗床で小さな双葉が出てきた。

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【その213回】 付録

2015年05月25日 | 【保管】一寸凡師コラム
12_2     付録
 
 最近の雑誌付録はなかなかのもの。本よりも付録に目が行ってしまう時も。昨日、仕事帰りにコンビニに立ち寄り、ふと目がとまった「特別付録 オリジナル万年筆」の文字。長期のプロジェクトが一段落した開放感、給料が出たこともあり、つい購入。付録の入っている箱には「自筆には愛がある」と万年筆で書かれた文字が印刷されている。「ほうほう…」と思いながら付録を開けてみると、重量感や爽やかな色等、なかなかのクオリティ。とても780円の雑誌の付録には見えない。 誌面には「40歳過ぎて万年筆を使ってないヤツは子どもだな」「万年筆でしたためた手紙には“自分”が如実に表れるね」といったエッセイストや映画プロデューサーの言葉も。
「40代の子ども」を代表し、万年筆に挑戦してみたい。


 
 今日のタイトルデザインは、4年前(2011年)の5月26日の【その12  人としての軸足】から。全てが流された悲しみの中で「オペーレーション トモダチ」に明るい人間性を感じたものだ 立男は万年筆党。細、極太、青の3本使ってる。この前、見あたらなくなり、出てきた時の嬉しさと言ったら…小さくても幸せっていいな、自分でつくるものだなあ(って喜んでいたら「私の人生、半分はあなたの探しもの」のママヨさんが睨んでた)
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第55号/研究者の任務

2015年05月24日 | 【保管】腹ペコ日記

研究者の任務

 大田堯先生の映画「かすかな光へ」。この映画を見たときに、とても印象に残った言葉がある。それは、「Educationを“教育”と和訳したのは誤訳だったんじゃないか」というもの。つまり、Educationとは、「教え育てる」という営みではなく、「自ら育つ力を信じて伸ばすこと」なんじゃないか――。それを見たときに、宗谷で聞いた「教育とは子どもを人間にするための大人からの激励」という言葉を思い出した。「教育」とは、「教え育てる」という一方向的なものじゃなくて、子どもの可能性を信じて伸ばす営みなんだ、と。そんな風に思った。

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 教育学研究者の任務は、そんな教育活動ができるように教育現場を励ますことにあるんじゃないかと、特に最近強く思うようになった。一方で、こんな困難な状況の中で、子どもの可能性を信じて伸ばそうと努力する実践に、私自身励まされてもきた。実践と研究が、そんな風に激励し合える関係にいられるといいなと思う。そんな研究者に、わたしはなりたい。

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