波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

死んだらどうなるのか?

2023年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

死んだらすべてがお終いで何も残らない、と元都知事が言ったと知り、この人の小説を読まずにいたのは当然だと思った。だが波風氏も少し前まで同じだった。働きに出かける時に「もし何かあったら、いつも機嫌良く働いていました、と言ってくれ」、「いつ亡くなってもその時点で満足できている」なあんて格好つけていた。残される家族のことなど全然考えていない、自分中心なのだ。

 

縁ある方々が年々逝くようになり、わかったことがある。生前好ましかった人は亡くなっても笑顔を思い出し温かい気持ちになることだ。生死に関係無く懐かしい感覚。困ってしまう恥ずべき人のことは身体が拒否反応をして思い出し装置が働かない。いつの間にか浮遊し少しづつ暗闇に消え、最後に恥ずかしさだけがぼんやり残っている終わり方。死者は周りから忘れられた時が本当に亡くなった時と言われるが、そうかもなあ。良い人も悪い人も普通の人も。
生きている人は、死んで既にこの世にいない人とともに生きている、支えられて生きていると思えるようになった。老いるほどに姿かたちが鮮明になり繰り返し会いに来てくれる人もいる。

 

生きている人が懐かしく思い出してくれる死者になれれば嬉しいなあ、と人生後半戦に入った波風氏。この前ママヨさんが、好奇心5、実行力4、センス4、思いやり3、常識3、気の長さ2と波風氏出題のアンケートに回答。半世紀間の観察と2人暮らしゆえの忖度でこの結果。フームと感じつつ、最も身近な人に「楽しい人だった」と記憶されるよう暮らし終わりたいたと思った。波風氏の記憶世界に住んでいる懐かしい方々が、何かの拍子にふっと会いに来てくれるのはいつも「楽しい人」としてだからだ。「楽しい」は万能で極上の価値観かもしれないな。楽しく暮らしていれば楽しい人になれるかもしれない、楽しい記憶が縁を結んだ方々に残ってもらえるかもしれない。


この記事を書いてホットした、久しぶりにブログUPしたことと考え続けていた難題を文章に出来たから画像は鶴見俊輔著『教育再定義の試み』(岩波現代文庫)。昨日のラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』で語っていたので本棚から。息子の、自殺しても良いのかの質問に、この場合ならしてよいという箇所を強烈に覚えている。図書館に買ってもらい一度読んだ黒川創著『見俊輔伝』を発注した。読めなくても手元に置きたい本がある。

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喪中ハガキの父母

2023年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

年賀欠礼をわびる喪中ガキがこの時期に届きはじめる。前にブログ「喪中ハガキの冒頭」(2022.12.15)で、送り手が年賀状を出さない失礼を伝えるのは良しとしても、相手側から来るのは辞退するというのは失礼なことで、それがまかり通っている不思議を書いた。世の中もそれに気づいたのかどうかは分からないが、不思議な方のハガキは今のところ未だ来ない。

もう1つの不思議は奥さんの親が亡くなられたら、義父とか義母が亡くなったと書いてあること。差出人として奥さんの名前が書いてあるのだから。夫が一家を代表し、その陰にポチッと妻がいる意識の表れというか、家父長制の名残りだと思う。「俺がこの家を代表しているから、お前の親は俺からすると義父、義母とするのが当然なのだ」という意識の表れ。これ、ママヨさんから「いつも変だなあと思っています」と言われたので確かに変だと思ったこと。今まで疑ったことがなかった。男尊女卑は当たり前の顔をしていたるところに出没している。

では夫の親が亡くなって義父や義母と書き、差出人を妻が先で夫がポチッの場所というのはあるだろうか?未だ一度も見たことがない。この件、世にいう常識を立ち止まって考えるのに面白い材料だ。昨年末の波風家は、ママヨの母が99歳で永眠し・・・と書いて出した。差し出し人は波風氏が最初でその後にママヨさんを並べた。文面はママヨさんによる。世間の常識とあまりケンカしない程度に、母の生と死を伝えた。


昨日、花壇に残っていた菊を片付けて今年の花は終わった。ママヨさんが肥料を入れ土を被せていた。寒い夜に湯タンポをいれ布団を一枚多く掛けている感じした 当地で育った短いが太い大根貰い煮物。甘く蕩けるよう。こんなのを作れるのか、と驚く。波風家の細くて短い大根がタクワンになるまであと1週間。来年は、普通ぐらいの大根を、と決意する

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屈託の無い話

2023年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

長く会っていない友人から、久しぶりに屈託の無い話をしたいねというメールをもらった。若い時から、仕事でもプライベートでも、いつも気持ちの良い話ができた。深刻な悩みのことでも終わりには笑いがあり楽しかった。他では出せない辛さや失敗を気兼ねなく口にできたのは、互いに屈託の無い人柄だとわかっていたからだ。ずうっとそういう人であって欲しいと願ってもいた。こういう関係は、老いるほどに貴重で希だと分かる、人生の醍醐味はこんな出会いがあることだと。

 

仕事は、競争と優劣の世界。公平・平等を旨とする教育界も、本物のプロ意識をどこかに忘れると、能力や才能や立場が一人歩きする。退職すると何の意味も無いことばかり。
仕事で話をしたことがあってもて、ただそれだけでは会いたいと思わない。ブログを書いたり、絵を描いたり、物を作っているが同じことをしている人と話をしたいとも思わない。楽しくて疲れなくて懐かしいと思う人と「屈託のない話」の出来る人なら、顔を見ているだけで話をしなくても良い(笑)。そういう人は愛嬌のある人なのだから。年齢も性別も立場も関係無いなあ。


画像は「むかご飯」。副食は干した鯡と煮物、こういうのをご馳走だと言うように成長した波風氏 来年秋、マイナンバーカードが保険証に切り替えられる。任意が強制になり、税金をばらまいて懐柔し。メリットとデメリットの話で誤魔化す。国民の5人に4人が信頼していない政治家が庶民をいいように操作している恐ろしさ。

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恋と愛

2023年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

願いと祈りのことを考えていて、恋と愛も同じようで違う、似ている関係だなあと思った。願いが自分から相手に対する心とすれば恋に、祈りは相手のことを思う気持ちだとすると愛に似ている。始まりが願いでそれが深化して祈りになるように、愛のきっかけというか始まりは恋ではないのかなあ。願いは祈りの一部分、恋は愛のきっかけと考えらるのじゃないかなあ。

は心が中心にあり、恋には下心があると何かで読んだ。字形からの笑い話だが、うまいこと言うものだ。だが真実をかすっている気もする、恋は自己中心的で、愛は自己犠牲的な感じがするからだ。そして、恋は恋愛に通じ愛は博愛にも広がるから、恋はとても個人的、愛は親子や家族や友人にも広がる社会的な心だ。

恋心は随分前から発動しなくなり、愛としか言えないような感情をだんだん意識するようになってきた。それは、「懐かしさ」と言い替えられるようなもので静かで落ち着いていて心が温かくなるような出会い。たまにしか会わなくても、いつか会えるかもしれないと思うだけでも良かったなあと震える魂のこと。ちょっと待て、待てよ、恋の心は今だってずうっと残っているというか時々はっと意識するような気もするなあ。今度会う時はどんな感じの表情や声かなあ、なんて思う人が今でもいるからなあ。特定の愛は連続する恋心で、愛と恋は同居できる、なんちゃって。


画像は茨木のり子詩『汲む ーY・Yに-』の前半部分。大人になるを「老人になる」に読み替えて納得する波風氏。この詩の続きは今日の公式裏ブログ『汲む の後半』に掲載似ているけれど同じではない言葉を考えるのは、ゲームを少しづつ攻略するのに近い。言語は言葉の形で言葉は物ごとの意味、なんていう一節目にして「話し言葉も書き言葉も、知りたい・伝えたいことを完全には実現できない」なんて思い一呼吸する 。

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願いと祈り

2023年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

願うとは自らが欲することを何者かに訴えることで、祈るとはその何者かの声を聞くことだと、本にあった。老いるとちょっとした言葉が妙に気になることが多くなるが、たいていは長くても2、3日で忘れる。だがこれは、1ヶ月以上も頭を離れない。

4年前に読んだ別の本で、信仰の無い「祈り」を考えることがあった。祈りとはひたすら「集中」することであり、大切なのは集中することを生きる習慣とすることとあった。そして集中するとはあるものに対して注意を深く傾けることであり、注意力が最も純粋な祈りだと、同語反復みたいだが、世の宗教と無縁に、信仰と所作があり得ることに立ち止まった。新鮮かつ長く望んでいた心の置きどころとして。

大江健三郎の小説とエッセーは、希望と祈りの文学だったと思う。この作家はそれを職業としてだけでなく、実生活と思想でも誠実に体現して逝かれた。若い頃はここを理解できなかった。小説とそれ以外の言葉のあまりの違いの理由が半世紀前21歳の卒論テーマだが、開く頁ごとの性と暴力と縦横に疾走する驚くような詩的表現に惑わされ、読後の不思議な希望が実は「祈り」から来ていることに考えが及ばなかった。


引用した最初の本は若松英輔『悲しみの秘技』、4年前の本は大江健三郎『燃え上がる緑の樹』。願うことと祈ることの意味は、この先も、いや老いるほど必需品になるはずだ 画像はスギサキマサノリ作『祈り』の彫刻。手の平に乗る小ささを感じさせない。願いは浅く日々のことごと、祈りは生き死にに及ぶことがらだと思う「祈る」人とは困ったことを相談できる、集中して聞いてくれる人。

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