読
読書でものがわかるとはどういうことか、と問う娘(幸田文)に対して、父(幸田露伴)の答えが「氷の張るようなものだ」。1つの知識がつつと水の上に直線の手を伸ばす、その手からまた別の知識の直線が派生する、どんどん派生しある時に牽き合い伸びあって結合し、直線の環に囲まれた内側の水面に薄氷が行き渡り、それが「わかる」ということ。
凍る天塩川のTV映像(「NHKスペシャル 北海道凍る大河」)と水面が凍る大実験映像を見ていて、読書の「わかる」の一文を思い出した。なるほどこんな感じだ。読書と映像が結んで分かる、ということもあるなあ。
先週の読書交流会で、通院体験を交流した。驚いた、自分より若い人が躊躇無く診て貰っている。コロナの後遺症専門外来、認知症の心配で物忘れ外来、眼の不調で複数眼科、ぎりぎりまで我慢(ただ病院が怖いだけ)する自分と比べて感心した。決めた、来月の誕生日来たら痛くないうちに歯医者さんに通う。あっ、書いちゃったよ、こんな恐ろしいこと。
TVドラマが面白い。まず『御上先生』(TBS)、学習指導要領と教科書問題、金融問題が生徒の話し合いやプレゼンとして扱われる。昨年末の『宙わたる教室』(NHK)もそうだったが、本当の『生きる力』をつける教師像と生徒集団への期待感じる。逆に言うと、どうしょうもない学校、崩れるこの国が透けて見える怖さも。次に『東京サラダボウル』(NHK)、外国人労働者の生々しい差別や偏見の実態とそれに寄り添う人間性に目を開かせられる。権力と差別の構造に抗する魂、出来ることを粛々と為す倫理が嬉しい。そして『バニラな毎日』(NHK)、甘いお菓子作りを軸に、世の中はこんなに病んでいる人がいるのかと思う渋くて深い連続短編ドラマ。「人は誰も辛い体験をしているが口にしないだけ」が持論の波風氏は「こういうドラマがもっとあってよいなあ」と思う。
画像は、祭りの夜店で買ったベンジャミン。成長点を切って40年ぐらいになる。この木が波風家に来たのは運命、水遣りを忘れられたり、ホコリがついたまま放っておかれたり、そうした宿命を黙って受け入れている。「簡単に、生まれ変わったら木になりたいとは言えない」とママヨさん談。※参考、ここら辺のことを書いて新聞掲載したエッセー 『親友』