波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

モノが壊れたら

2021年09月30日 | 新聞感想

 

年前に買った卓上用の魔法瓶を捨てた。蓋兼注ぎ口の黒いゴムパッキンが劣化してベトベトになり修復不可だったからだ。それなりの金額もしたし口コミ評価も高かったのに。「ドイツ製」信じたのが甘かった。
サイトで代わりを探しTガ-社(日本製)に行きついた。飽きないデザインでドイツ製の半分の金額、それより何よりパーツ部品をきちんと販売している、電気の魔法瓶も、餅つき器も、トースターも、炊飯器も。Z印社も同じように完備。

てた魔法瓶だが、側のプラスチック部分を壊してガラスの保温瓶は取り出した。銀メッキがやたら安っぽいが形がキュート。「モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、使えるところの使い道を考えるべきなんだよ」と波風氏は思うのであった。この『折々のことば』はごく当たり前のことを随分と周りくどく言っているなあ。


「モノが壊れたら、」に考えるところがあり、続きは裏ブログで。

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ほんのおつきあい は休業中

2021年09月28日 | ご連絡

ロナ禍で読書交流会『ほんのおつきあい』も休会中。三密が売りなので仕方ない。メール投書版でやってきたが、隔靴掻痒の感ありしばらくこちらも停止する。本を触媒に語りあうのが本来の趣旨を知る。
               
の『語る』が無いと、読書も消費的行為になり、読みっぱなしの時間つぶしになりかねない。本を読んだ実感は、語り聞いてもらって身体でわかる重みが生まれるようだ。老いてくると、この1ヶ月でどんな本を読んだかさへ忘れる。既に昨日の三食も思い出せないが(涙)
               
ロナも少し落ち着いてきたようだが、年末に第6波が必ず来るという嫌な予測も。今が夏なら外で読書交流も出来るけれどもう10月だから無理。読書会に参加していただいている方、その記録を読んでいただいている方、そういうことです、宜しく。


『大横綱』引退、これで気分悪くならずに安心して相撲が見られる 庶民にはどうでもよい結婚話、悪政隠しと憲法の不条理点思う種からの朝顔、一つも花咲かず秋。 20年近く育てて初。抜こうとする度に「小さな蕾あるでしょここに」とママヨさんが止める。

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70代はこう生きるよ(下)

2021年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日の25項目に続く25項目、合計50の70歳代の目標というかルールというか戒めというか。

まれて始めた昆布干しも今日が最後。7月12回、8月6回、9月5回23回、用事で遠出した時以外やった。前に、当地の住民になれた気がしたと書いたが、まだ体力があるのがわかって嬉しい。頼んでくれた人にあてにされたのもだ。久しぶりの『給料袋』に泣いた(笑)。「来年も私で良かったらやらして下さい」と言ったら、「本当ですか、あてにしてて良いんですね」と言ってくれた。

愁の後ろ姿のママヨさん。ベランダから庭の花を眺める図。ニンニクやエンドウ豆を植えていた小さな畑、その通り道をいつの間にか畑に拡張している。色々考えているのだろうなあ。


・ブログでまだ生きていることを継続して発信(出来なくなるかやめたいと思うまでは)
・何かいただいたら礼状をすぐ出す(電話が苦手、もらうのもかけるのも)
・年賀状は新年になってから返信として出す(このやり方でだいぶ経つ)
・唇の周りが痒くなる前に髭をそる(髭だって生えたいのだろうけど)
・引き続きお世辞を言わず聞かず(歯が浮いても行きつけの歯科医廃業したし)
・成功体験のコピーみたいな言動を恥じる(こういう老人が一番やっかい)
・家族のために人並みぐらいには命を大事にする(明日胃カメラ・・・涙)
・サンダル、Tシャツ、ジーンズの似合う老人に(ほとんどそれしか服が無い)
・これは、という時は高額商品(何度「安物買いの銭失い」を反省したことか)
・真珠を連れ合いに贈りたい(いつもお世話になっているので、一応目標には入れときたい)
・自慢すれすれでも嫌われない人格形成(もともと他者と自分を比較しない、したくない)
・「売っているものは作れる」(ママヨ談)は本当かどうかの挑戦を楽しく
・したくなっても立小便はしない(今はとても良い尿漏れパッドがあるらしい)
・引き続きすすんでする(トイレ掃除、ゴミの始末、珈琲淹れ・・・布団で寝る)
・貧乏人の、後悔しない贅沢とは何かを見極める(これが70代最大の目標かも)
・何事もいつかは終わるから、時間のかかる肉体作業を時々やる(決めたことは・・・)
・ガード下の商店、橋からの夕焼け、「大衆食堂」・・・時々故郷を想い郷愁に浸る
・亡き後もあってよい本(小説と説明文と詩とマンガと画集と・・・)を心して買う
・連れ合いの得難い体験を文章にして残す(何度聞いてもためになる子らのルーツ)
・波風食堂のイベントを再開する(コロナもせいぜいあと1~2年でしょう)
・緊急避難用防災グッズを2人分用意し(既にリュック購入済み)半年ごとに点検する
・防災訓練日を『3.11』と『9.11』とし、乾パンやレトルトを食し携帯トイレに出す
・健康の散歩でなく、用事の徒歩を本格的に(斉藤和義「歩いて帰ろう」が好き)
・優しい人間になるんだ、俺(嫌な人にも殴る用意せず優しく拒否することに決めた)
・自分の葬式の原案を作り始める(自分も家族も困らず満足いくように、楽しんで作成)

以上

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70代はこう生きるよ(上)

2021年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

月11日のブログで、60歳代の評価に続けて70歳代の目標を書きたいと表明した。今まで、「70歳代の波風氏【プロローグ】」(7/11)、「60歳ルールの自己評価:前半」(7/20)、「60歳ルールの自己評価:後半」(8/8)と書き継ぎついに本日、「70代はこう生きるよ」掲載。

こまで2ヶ月かかったが、一日たりともこのブログのことを忘れたことは無い(嘘です)。時々この記事を書いたり直したりしたのは意味があった。昔から、「今が一番良い」と思っているから、未来を書くのは難儀。だから、50項目のほぼ全部が今までの継続だ。だが、それを確認できたことが良かった。予想できない不幸を除けば、無理しなくても幸せに暮らせる精神を発見したような気がする。

て、表題の「~はこう生きるよ」の終助詞『よ』、これをフワッと発音するか、断定的に言い切るか、Hな話を誰かとこっそりした思春期の若者みたく照れつつ隠微に語るかは読者の方々に任せたい。ふざけているようなのも、本音+羞恥+諧謔の範囲内だから嘘は一つもないよ(この場合の『よ』は断定)


・機嫌良く暮らすことに尽きるね(静かに、しなやかに、したたかに)
・本当に逢いたい人に逢う(間際で一番後悔することらしい)
・世の中を全力で茶化してみる(同時進行で自分を真面目に茶化せますように)
・75歳で運転免許証どうするか決める(バイクに乗りたい・・・)
・ミシン教えてもらいシャツを作る(食と住の次はやっぱりこれでしょう)
・行きたかったところについに行ってみる(淡路島、愛媛、山口かな)
・72歳過ぎたら安心して生きてみる(前から「72歳」がゴールみたいな気持ち)
・偉そうな話をしない(義理で頼まれた講演、前日からゲロ吐き続けた)
・愛すべき老人めざす(清潔で知的で・・・まず風呂嫌いを克服する)
・苦手だけど「とぼけ」る(老人の特権、具合悪くなったらアクビや屁を一発)
・然るべき時に飾る100号を描く(まだ構想も浮かんでいない)
・完全に弾ける曲を1つぐらいは(TV『駅ピアノ』見る度に思う)
・まだ言葉を信頼する(話し言葉と書き言葉を磨けば・・・いつか真実を)
・ぼんやりでも『誰か知らない人のために役立っている』を持続したい。
・いつでも『一汁一菜』のご飯は作る(自分のためなら作らないを悟った)
・パチンコを時々やりながら老いる(60代は勝率3.5割ぐらいかな)
・体重67~68キロをキープ(この半年70キロ前後、もう少しなんですよ)
・年々少なくなる友人を大切に(来るもの拒まず去る者追わず) 
・センス(微妙な美的感覚を具体的な形にできる能力)をカッコ良く鍛える
・家事に勤しむ(共同生活者に近づいたから自立の単独生活者のに昇格)
・電話に出ない(家電の方はママヨさん専門、スマホは出ます)
・いつもきちんとケンカできる姿勢で背筋伸ばして(駄目なものは駄目だよ)
・悪口も文句も必ず本人の前で言う(そうしないと気分が悪くてさ)
・さて本格的な整理整頓(ずうっと思っていて10年経ちました。道半ば)
・努力せず可能になった早寝早起きを役立てる(無駄な散歩はしないよ)

※以上、25項目。残りの25項目は明日の(下)に続く。


先週から、故中川一政の絵と書と文章に触れ、芸術ってこんなふうに自由なんだなあと思う。良いか悪いかは自分が決めることなんだね。気分が晴れ晴れする景色を作るっていうか、それに触れさせてもらうというか  波風夫妻のイラストが好きという声を聞き、鹿とママヨさん、手紙書くママヨさん、哀愁の後ろ姿、そして体重計におののく波風氏を描く。

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今日の宝島社広告

2021年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

ロナウイルス下にボロボロの白クマ(ぬいぐるみ)。左上に赤い字で「国民は、自宅で見殺しにされようとしている。今も、ひとりで亡くなっている人がいる。涙がでる。怒りと悲しみでいっぱいになる。この国はいつから、こんなことになってしまったのか。命は自分で守るしかないのか。」のキャッチコピー。今日の朝日朝刊(他に日経、読売掲載)に全紙2面両開きの大意見広告。

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療崩壊・患者見殺しを平然と『自宅療養』と言いつのる政治。首相候補という4人の誰1人コロナ蔓延の政治責任を語らない。いつからこの国はこんな変になってしまったのだろう。
今回も宝島社は庶民の気持ちをストレートに代弁する。自分だけが不安じゃ無いんだ、みんなも怒りと悲しみでいっぱいなんだ。
かろうじて、信じられる言葉が全国紙に掲載。私と社会をつなぐ言葉。こういうのが消えたり受け入れられなくなったらこの国もいよいよだね。


引きこもり暮らしのせいもあり、『言葉』を前より意識する。老人は何かの拍子に浮かんだ言葉を若い時の何倍もこだわり続ける。狭い考えや一方的な記憶に注意しなければ古本で画家の随筆『画にもかけない』(中川一政著)買う。知人に頼んで求めた展覧会図録楽しんでいるうちに欲しくなった。昭和末発行、定価4.300円が290円。大事にされたことがわかる立派な本。亡くなられて売られたのだろうか。

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