波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

第39号/現実と向き合う

2015年01月31日 | 【保管】腹ペコ日記

    現実と向き合う

(前回から続く)予想どおりやっぱり今回もぐったりした。国民皆保険を謳った医療改革、オバマケアは、日本人の考える「国民皆保険」とはまるで違うものだった。

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   同著の中では「オバマケア保険はATMのないカードを国民に配ったようなものだ」というようなことが書かれていて、それが実態のほぼすべてを表しているように思う。保険にはみんな入れる。でも、保険料を出すための「ATM」がないから、保険料が払われる保障がない。すると当然医療機関は、オバマケア保険加入者の診療を拒否することになる。診療しても、患者の保険料は下りないおそれがあるからだ。こうして、オバマケア保険に加入した人たちが行ける病院がなくなっていく。

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ぞっとするのは、こうしたアメリカ型保険制度が日本にも上陸「しつつ」あるということ。今進められている「国家戦略特区」の規制緩和の中では、保険制度もそのひとつになっている。「特区で成功したら、次は全国へ…」と堤さんは警鐘を鳴らす。ぐったりはしたものの、知っておかなきゃいけない現実だった。(終)

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新聞感想(1月30日)

2015年01月30日 | 新聞感想

      「安倍談話

 政治の話で少し小難しい。戦後70年目の今年、「安倍談話」というのが出るらしい。国会論戦から「『植民地』『侵略』で応酬」(1/29道新)「『村山談話の表現巡り』文言継承 ぼかす首相」(1/30朝日)社会面2面辺りの中くらいの大きさの記事…大事だが未だ少し先の話、といった感じ(…なら良いんだが)。談話の要は戦争の反省と教訓。この国の「戦争」に対する公式見解だから世界が注目。被害甚大のアジア諸国は特にだろう。だが、村山、小泉談話の「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の言葉を、アベシは「そのまま継承すること」には否定的らしい。ここらが「積極的平和主義」とは相容れないらしい。

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 喧嘩やイジメの反省に2種類ある。自分が間違っていたことを認め「2度としません」というのと、「今度は負けないようにやる」「今度こそ簡単に見つかって叱られるような下手なことはしない」という「2度としません」というのがある。集団的自衛権、秘密保護法で立ち向かう「積極的平和主義」というのは、まさに後者の「反省」そのもの。村山談話の「国策を謝り(戦争した)」を「字句について論評しない」とし、肝心要の反省は引き継がない決意満々の戦後最悪のリーダー、アベシ。

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 話変わる。短いが、沖縄辺野古、福島原発事故、TPPで「地域を無視した国益は無い」(1/29朝日「北への思い」:山口二郎)に目止まる。政治読み解く基準線のつけ方に感心。全く駄目なのが「熱狂の陰の孤独 『表現の自由』を叫ぶ前に」(1/29朝日「論壇時評」高橋源一郎)。この方は、決定的な場面で責任を巧みに回避する物言いが気になっていたが。イスラム問題扱って評論家自身が冒頭で「黙ることが必要」は無いな。学生時代、こんなふうに自己陶酔して喜んでいるのがいたな。


  大横綱白鳳の「審判批判」、国民的歌手サザンオールスターズの紅白曲と勲章扱い問題 、爆笑問題太田のNHK批判…一見バラバラなどうでもいいようなマスコミ話題。だが、「(上に対して)言いたいことがあっても(功成り遂げたと調子に乗らず)黙っていた方が得だよ」の空気助長が怖い 。アベシの今国会の所信表明演説無し、沖縄との対話拒否…民主主義否定で同じベクトルだな。 

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【その199】 映画監督

2015年01月25日 | 【保管】一寸凡師コラム
  映画監督
 
 彼のセンスに嫉妬した。
 正月のお年玉で買った長男専用のデジカメ。子供用の為、防水、防塵、耐衝撃、しかもSDカードを一緒に買っても、諭吉さん1人分でお釣りが来る値段。動画も撮れるこのデジカメを、まさに道具として長男は活用している。長男が撮る写真の9割は「なんだこれ…?」といったものだが、時々「お~」と唸るような写真も。凡師が写真を撮る時は「良い写真を」という思いが強いが、長男は自分が撮りたいと思ったものだけを直感的に撮る。そんな彼のスタイルは、ある意味「職人」と呼べるのかもしれない。                      
 そんな職人が、デジカメ(動画撮影モード)で映画を撮ると張り切っていた。笑い声となにやら「ペチッ、ペチッ!」という音がする撮影現場を覗いてみると、カメラを台の上に置き、パンツ一丁でイスの上に立ち、自分のお尻を叩きながら踊っている長男の姿が…。とにかく楽しそうな長男。今度はバランスボールを持ちだし、左足をイスに、右足をバランスボールに…。机につかまって立ち上がろうとすれども、どんどん両足は開いていき、とうとう自力では戻れなくなる長男。しばらくはプルプルと耐えていたが、力尽きてそのまま転倒。一緒に見ていた荒馬さんと体の心配をしたが、大爆笑している長男の姿に一安心。
 それにしても、デジカメを使って自撮りで映画を作ろうとするとは。しかもあの演出とオチ。身内のひいき目もあるが、なかなかのセンスを感じる。
 結局、長男の監督(兼主演)1作目は、カメラが近すぎて何が映っているかよくわからない、彼の笑い声だけが響く作品に。もし、それすらも計算だったとしたら…。次回作が楽しみだ。
 

 
旅行のため、既に原稿が届いていた「腹ペコ日記」と「凡師コラム」を遅れてUP。日付だけはその日に。ご了解ください。
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第38号/本と向き合う

2015年01月24日 | 【保管】腹ペコ日記

 

  本と向き合う

 一泊二日の検査入院。不安がっても仕方ないので、本を読む時間をもらえたと思うことにした。さんざん迷った末、なかなか読めずにいた堤未果『沈みゆく大国アメリカ』を選んだ。

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堤さんの「アメリカシリーズ」は、ずっと読んできたけれど、読み終えるといつもぐったりしてしまう。教育や食生活など、生きていくためにどうしたって必要なものたちが、「マネーゲーム」化していくアメリカの状況が浮き彫りにされていること。そしてそのゲームに日本も巻き込まれつつあること。そんなことと向き合うことになるので、読むときには時間と気合いがいるのだ。

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そんなわけで、最新刊が出たのは知っていたけれど買う気になれずにいた。そこを、あえてこの不安に満ち満ちたタイミングで、えいやあと気合いをいれて取り組むことにしてみたのだった。(続)

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母の歌

2015年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 街を一望できる塔がある。市制開始100周年目に建てたので100年記念塔と言う。一帯は海に面した丘の公園。去年の秋にはママヨさんと団栗を拾った。天気が良ければ隣国の陸地が見えたりする。近くて驚く。丘の中腹から記念塔まで緩やかな階段が設けてあり、沿って地元の人の歌が合成樹脂の歌碑になって並ぶ。そこを登り切ったら塔の周りの高山植物園になる。この荒涼とした風景を嫌だという人もいるが、飾ったところ何もなく、もっとも飾りようも無いのだが妙に惹かれる。

 階段の登り口辺りに「晴天に瞳(ひとみ)預けてリンゴかむ」の歌。この歌のことは小学生の時に一度聞いただけだ。忘れなかったのは、言葉が平易で、鮮やかに色が浮かぶせいだろう。いや、それ以上に若い母の記憶として残ったからだろう。結婚前、父が褒めてくれたと笑って教えてくれた。
   ここに歌を残すよう頼まれた時、一度断った。そして、どういうわけかこの歌が浮かび承諾した。街のどころからでも見える記念塔。あの下に母の歌がある。


 60年以上前の古い写真から、立男を抱いている母と撮影している父の気持ちを思う。とても落ち着いてはいられない、沸き立つような心持ち。原因はわからないが「なんとかしなければ」と焦る気持ちに似ている。何なのだろう?

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