波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

我が道

2012年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 中学1年の時だ。どこかの王女様と米国の新聞記者の恋描く映画「ローマの休日」を見たのは。オードリヘップバーンに魅せられ、相手役のグレゴリーペックをうらやましく思った。ママヨさんに、「人生で初めて嫉妬した」と言ったら、「あのかわいそうなお話で、どこで嫉妬するの?」と笑われた。大物男性俳優演じる素敵な「大人」に対する衝撃だったのだろう。あんな大人になれるのかなあ、恋人とか出来るのかなあ…という漠然とした不安…ハリウッド版おとぎ話で。

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 「冬のソナタ」は、ママヨさんの「何だかかわいいんだわ」の一言でTV放映の最初から見た。我が国初期の頃からのファンだ。番組終了までチェジューが主人公だと思っていた。韓国版おとぎ話のお姫様を。後で脇役のヨン様こそが主人公だと思っている方々が日本中にいることに驚いた。ママヨさんは、2人が主人公、それ以外どんPhoto な見方があるの?とまた笑われた。
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 老後、ローマ型か冬ソナ型か、どちらの男性を目指したら良い?とママヨ姫に聞いてみた寒い日の休日。屋根の雪が上から落ちてこないかヒヤヒヤしながら軒下の除雪作業後をした後、熱い焙じ茶をすすり干し芋をあぶって食べていた時だ。 姫は「どっちのタイプでもないんだから、我が道にしたら」の助言。そうか…「我が道」というのがあったか…。 

「花森安治 美しい『暮らし』の創始者」(河出書房新社)まさしく「我が道」を行く編集者について「読む本」。本人の文章、本人との対談、インタビュー、そして成し遂げられた仕事について。今の時代が花森安治を評価し、また評価されるべくして評価される花森安治という人間、を思う。言うべきことを形に表す、その卓越した技量と覚悟を。

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【その48】 プロ論

2012年02月23日 | 【保管】一寸凡師コラム

「プロフェッショナルとは何か?」

この問いかけに、自分だったらどう答えるだろうか?

 NHK「プロフェッPhoto_2ショナル~仕事の流儀」。毎回番組の最後では「プロフェッショナルとは?」という問いにゲストが答えるシーンがある。(HPではこの部分の動画を見ることができる。)何となく訪れたこのHPの動画を見て、「もし自分が番組に呼ばれ、この質問をされたらどうしよう?」と凡師の悪癖である「全く余計な心配」が頭をよぎり、脳トレの一貫として考えてみた。これは、一分一秒を争う「タイム・イズ・マネー」の世の中において、お金を掛けない「本当の贅沢な時間の使い方とは何か」を世に問う行為かもしれない。

    さて、一口に「プロフェッショナル」と言っても、考え方や価値観は様々。これは番組に登場するゲストも一緒。さすがに「プロフェッショナル」と謳う番組に呼ばれるだけあって、どのPhoto 人の話も「ほほう!」と感心させられるものばかりだが、最も大事なのは「自分自身のプロフェッショナル論」を持っているかどうかなのかもしれない。そういう意味では、凡師はまだまだ「プロフェッショナル」にはほど遠い。せいぜいカルパッチョ好きのプロペッチョナルがいいところなのだ。

 昨日の夜、自宅前の道路にじっと立っている人物がいた。不審に思い玄関のドアを開けると、その人物は犬を連れてトコトコと歩き出した。ホッと胸をなで下ろし、ふと道ばたに目をやると、さっきの人物が立っていた場所には「犬の置き土産」が。真っ白な雪と置き土産が織りなすコントラストは、「人としてのプロフェッショナル論」を考える機会を凡師に与えてくれた。

   道ばたに落ちていたのは、犬のフンではなく、飼い主のプロ意識だったのかも知れない。

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「花森安治のデザイン」から

2012年02月19日 | 読書

 小学生の頃、泊まりによく行く親戚に「暮らしの手帖」。何となく気になPhoto る変な本だと子ども心に。編集の神様が作った本だと知ったのはだいぶ後だ。この神様が本以上に興味深い。写真で実に容貌魁偉。岸田劉生の「麗子像」そっくりだ。「暮らしの手帖:保存版Ⅲ 花森安治」の副題が「〈常識〉を〈非常識〉に一変させた生活思想」だった。そんなことをしてしまいそうな感じだ。

    ある考えを持ったとする。それを知ってもらおうとする。そのために表現力と表現手段が必要だ。本の場合…文も紙面構成も、写真も、イPhoto_2 ラストも題字も…これを「日常茶飯の言葉」で書き、新聞広告の版下まで首尾一貫全部やっちゃう、やれる編集者。本紙は「暮らしを編集する巨人」の手仕事の一端。昭和のデザインをあらためて実感。人間的な温もり、希望と信頼がある。何よりわかりやすい。「花森安治のデザイン」、何回見ても楽しい。才能だな。

 考えてみると、花森安治氏の仕事を見ても読んだことがない。昔の「一戔五厘の旗」、新しく出た「花森安治戯文集」を読んでみたい。今年で生誕100年。大人になったら、こんな感じの仕事をしたかった、と子どもの頃に思っていたような気がする。

朝日の新聞小説「沈黙の町で」が今日で280回。場面は中学生の校内変死から半月。巡る生徒、教師、警察・検察、そして家族たちの綿密、微細な心理描写。教員必読の一冊になるかも。「わかる」イラストが効果を上げている。作:奥田英明、画:唐仁原教久

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【その47】 考え方の角度

2012年02月16日 | 【保管】一寸凡師コラム

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 「蛇口をひねれば水が出る…これが当たり前じゃない場所がたくさんあります」。以前聞いた、海外ボランティアで井戸を掘っている方の講演を思い出した。

    一昨日の荒天(Severe weather)によって、サバイバルコースと化した凡師の通勤コース。職場までの中間地点では膝まで埋まる積雪。引き返していたら間に合わないし、なによりこの道はお年寄りから中学生まで色々な人が通る道。除雪が間に合っていないなら、凡師が道を作ろうではないか!と自慢の長靴でザッシュザッシュ。次第に雪は膝から太もも近辺へ。そのうち音もザッシュザッシュからズブン…、ズブン…、ついにはブフ…、ブフ…へと変化。長靴の中に貯まっていく雪が憎らしい。こんな憎らしい場面でも「どうやったら、雪に沈まないように歩けるのかなぁ」と「色んな足の付き方」を試す自分に、愛おしさを感じた。
 結局、大通りに出るまで雪深さは変わらなかったが、結論としてPhoto_6
「どんな足の付き方をしても膝まで埋まる」という結果を導き出すことができた。朝7時半の新発見である。人間、考え方の角度を変えれば楽しさや喜びを感じることができるのだ。

    大雪が降った朝などは「除雪が遅い!」等の苦情が住民から寄せられることもあると聞くが…。感謝の声が届くこともあるのだろうか? 日頃、当たり前のように除雪されている現実に改めて感謝。考え方の角度を間違わないようにしたいものだ。

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予告】凡師さんの奥さんは、荒馬さんという。うちの職場で「荒馬」は「凡師さんの妻」で通る。職場新聞「優厳」の方の隙間コラムでスターだ。考えて見ると凡師さんは、朝日新聞も入れ3ヶ所にコラム執筆中だ。この前、立男や凡師さんの職場で作成の本の感想をいただいた。中に凡師論もあった。ためになった、というわけで何回かに分けて掲載する。凡師さんとはまたひと味違う。

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コラムの秘訣

2012年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

コラムの秘訣

 コラム「天声人語」も朝日新聞購読の理由だ。先週の朝刊に、「『いま』を紡ぐ筆遣い 603字の格闘」の記事が載った。扱いが気になった。いくら「天声人語」が入試問題に何度も使用されようが、書き写しが教育的だろうが、100年以上続いていようが、あくまで自社の一紙面なんだから「PR」紙面とか明記すべきだ。何だか態度が悪い。自分で立派なんだぞ、立派だべ-と押しつけていないか?

                                           

    ちょっぴり書いてあったコラムの秘訣から。プロでも苦労するのだから素人が悩むのはあたり前、なるほど凡師さんのはコラムの書き方に忠実だと納得した。いわくこんな内容だ。
  「…603文字。まずテーマを決め、起承転結を考える。5つの「▼」で区切る6段落の構成。
   最初の段落で読者をグッとひきつける「つかみ」…筆者苦労の最初の関門。この出来映えが全体の印象に影響する。常々、印象的な言葉をメモしストックしている。第2~5段落はテーマの説明や議論の紹介。最後の6段落は結論。読後感を左右する極めて重要、余韻を残す終わり方に苦労し言葉を絞り出す…。」(2/4朝日朝刊)

                                        

 北海道新聞(道新)を10年ぶりに今年から再購読。家でとってないのがついに知られたからだ(笑)もの心ついた時から読んできて、替えた理由は視野の広さと深さだ。経済的理由と読む時間の無さもある。我ながら5紙購読は多すぎる。が、道新の「卓上四季」と地域版は悪くない。夕刊の生活や文化欄は気合いが入っている。
    何だか今日は、立男の態度の大きさが少し気になる(笑)きっと疲れているんだべさ…視野狭く知恵浅いから…。

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