波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

食べる工作(うどん1)

2024年08月27日 | 図工・調理

食べたいのを誰にも遠慮せず、ただただ舌と歯触りと喉の誘いに応じる工作としてのウドン。かれこれ7年ぐらいになるが、未だに飽きないから工作対象にウドン選んだのは正解だった。コロナ禍で3年休店したが自宅でせっせと作り食べていた。自慢は、ウドンと出汁をママヨさんの助けもらわずに作ってきたこと。この頃、掻き揚げも挑戦中。揚げたての竹輪天や大葉天は確実に美味しい。ウドンなるもの、素材はシンプルだが奥が深い。気温と湿度に応じた塩加減の難しさや寝かせた粉の足踏みも単純で無い。未だ満足できたこと一度も無い。
今回掲載は第一弾。画像を探してみたら我ながら色々やっていた。食べ終わったら忘れていた😢

ウドンを食べたいんですけど、と電話いただいて開店するシステム。どんなウドンをお出しするかは波風店長の気分次第。先月のお客さんには、鰊ウドンをお出しした。材料費以外は子ども食堂応援費としてカンパさせてもらってるが、お客さんと自分の善意に甘えず美味しい工作を目指してる(キリッ)。


遅ればせながら、やっと胡瓜や茄子、ズッキーニが採れているのに台風予告の予報、いつになっても当地を通過するようで勘弁してくれよ、だ  投票権ないのに米国大統領選がさも重大ニュースみたいな扱い、同じく裏金も統一教会も忘れたかのような我が国政権党党首選挙をさもさも重大政治問題みたく扱う公共放送、ウンザリだね 大谷さんと日ハムのがんばりに励まされるこの頃。前まで、これにパチンコ勝利があったがやめて憑きものおちたよう(笑)。ギャンブルと縁のない体質のようだな。

コメント

僕ら でいきたい。

2024年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

数形の人称が最近使われなくなった気がする。ぼくらはみんな生きていて、僕たちの願うものは、若者たちとして、俺たちの旅だった。半世紀前の歌やドラマのタイトルを並べただけの意味不明の文章だが、その時代特有のイメージが浮かぶ。波風立男氏にとって、貧乏だけど公平で、働く先に未来のある、人間的な肯定感でこの歳までずうっと消えない何か。古びない理想みたいな。

心なイメージは他者との共感が疑いもなく善だったこと。「俺の目を見ろ何にも言うな」で通じあう連帯。こんなのは今や鬱陶しい時代錯誤。70年代初め、紋切り型複数形呼称が飛び交う学生運動は上手に潰されるが、世間全体の「もの申す」空気も一緒に。世間の大人たちと学生との間には「やり方の是非はあるが、もっとマトモな社会にしなければ」という点では絆があったと思う。波風氏の知っているあの頃の大人たちはとてもちゃんとしていた。

の時代の若者が今、高齢者。理想みたいな芯の欠片ぐらいは未だ残っているはずの老人。『ら』の使われなくなってきた今(ぼくら、わたしら、きみら・・・の『ら』)だが若者に責任は無い、他でもない老人がその大半を作った。波風氏は思う、現若者の真っ当な願いを理解し応援しなければバチが当たるな。とりあえず、「何とか老人になることができたから面白いオチのある人生のしめくくりをするよ、僕たちは君たちのことも忘れていないからね。」ぐらいのことは言える庶民階級老人になっていかなければ。


ふと浮かんだイメージに形を与える。言葉を選び文章を綴りながら、手探りで「一番言いたいこと」を掘っていく。今回のブログ記事、これが言いたいことかどうかは未確定。何度か書き直すだろうなあ 4年目の昆布干しアルバイト、雨や海霧や波で年々回数が少なくなっている。猛暑で深刻な農業とともに第一次産業の大変さ知る。ママヨさんと、未だ地べた這いずりまわれるのは幸せなことと励ましあってか今月25日(日)14時から波風食堂で読書交流『ほんのおつきあい』開催します。

コメント

マンガ『泣きたい夜の甘味処』等を読む

2024年08月19日 | 読書

自信を持ってお勧めしたいマンガ『泣きたい夜の甘味処』(中山有香里作)。但し、学校でも仕事でも同僚や友人にも恋人にも家族にもストレスが無い方、マンガの嫌いな方、スィーツが苦手な方には無用の一冊。タイトルの「等(など)」は、スィーツでなく食事の『疲れた人に夜食を届ける出前店』もお勧めだから。このブログでマンガのお勧めは、『海街ダイアリー』以来じゃないかなあ。

無口な熊のマスターと口数の多い鮭の従業員が夜中だけ営む町の片隅に佇む甘味処。この設定がTVドラマ『深夜食堂』好きの心を直撃する。そこの暖簾を偶然にくぐる心も体も疲れ切った人たち、ホンワリとした絵柄が優しい。全話オールカラーも絵本を読んでるよう。ご親切に全話レシピ付き(絵入り)、巻末のアフターストーリーも泣かせる。

余計なことをお客さんに言わずさせない、その日一品だけのメニュー(飲み物や漬物は別)、疲れ切って食事もとれない人ヘ注文してないのに夜食を届ける出前店。ここらは波風食堂の営業改善の参考になるなあ(笑)出前用の岡持ちも作ってあるし。


作者は現役の看護師兼イラストレーター。本編がマンガの処女作で、『ズルいくらいに1年目を乗り切る看護技術』はベストセラー指南書(驚)、いるんだねこんな人が、ストレス世界の最前線で・・・・疲れ果てた心に静かに寄り添う世界を描いてる 精神的ストレスが20年前の3倍、精神疾患の外来患者586万人(2020年時点)と8/11新聞の厚生労働省白書。心が痛い苦しいのは普通とは(悲)この漫画のきっかけは、6/1Eテレ『理想的本箱 君だけのブックガイド』の眠れない夜に読む本。他に選ばれていた『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス著:岩波少年文庫)はママヨさんのお勧め本。

コメント

心の残し方

2024年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今回のブログ更新で、『草枕』の冒頭「(前回の続き)・・・とかくに人の世は住みにくい・・・どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ絵が出来る。」を読む、そうだったなあ、芸術の意味というか存在意義が書いてあった。あの頃、三島由紀夫『金閣寺』『仮面の告白』、武者小路実篤『馬鹿一』『真理先生』を読み、受験間近なのに絵を描き、真善美の世界に浸ろうとしていた。素直で純粋で馬鹿だったなあ(笑)。

この頃も今も変わらない人生観は、俗物で終わりたくないこと。〈【俗物】社会的に高い地位を得たい、金持ちになりたい、人からよく思われたい、といった欲求のみが念頭にあってややもすれば利己的な(虚栄心にかられた)言動に陥りやすい傾向にある人〉と辞書(新明解国語辞典)にあるが、老いるほど難題だと思えてくる。救われるのは「・・・といった欲求のみが」の「のみ」で、時々なら許される余地(笑)。身近な方の俗物主義を見て呆れたり失望したりも多くなり、それは我が身点検の機会。率直痛烈のママヨ評価を求めれば一線を越えないで済むこと多し、ありがたきかな。

俗物の反対は『いき(粋)』だと思う。生き方全体に及ぶセンスとしての「いき」の体現は難しい。才能と修練の果てにあって、すぐ横に俗物がある感じ。九鬼周造著『「いき」の構造』はとても興味深い哲学書(青空文庫で読めます)だが、何度読んでも難しく理解は乏しい。平凡な庶民がわかることは、俗物と粋の間を行ったり来たりしながら反省と希望で残りの人生を送るしかないという理解。だいたいは上手くゆかないが、その度に「今度こそ」カッコ良く後悔と反省をしてやろうと思い続けること。そうしているうちに、『真善美』と『知情意』の理解と使い方も前より確かになるかもしれない。


終戦記念日を記念して趣味パチンコを終戦いや停止。昨年9月にパチンコ店入出金カード作り約200日遊んだ。1回2時間以内、収支決算4万円勝ち、さすがに飽きた。主に雨の日に夢中になった非行(パチンコ)を本日テーマに 前述の哲学書で、『いき』の構造を、異性関係の媚態、武士道の理想主義による意気地、仏教の非現実を背景にする諦めの関係としているのが面白いなあ。周りに見せたい「俺は立派だ」「俺は偉い」とは違う「俺はこれが素敵だと思う」を細々でも続けられるのが一番の幸せ。

コメント

心の作られ方

2024年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

学の時、『真善美』という言葉に出会った。世の中のことはこれから知ることだが、その前に価値あることとは何かを一発で言っている。この一言があれば大人になって迷うことがあっても困らない、ニキビづらが唸った。白髪頭の老人大人になった今、この言葉だけで乗り越えられるほど人生は簡単では無いと知ったが、後々考えると「あれで良かったなあ」とか「あれはまずかったなあ」と思う時、この言葉が心の底に確かに横たわっている。深い意味は知らなくとも、理屈を超えた「本当のこと・良いこと・美しいこと」に出あえることが、日々の暮らしの本当の意味かも知れない。

校の時、『知情意』という言葉を知った。夏目漱石『草枕』の「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ・・・・」を習った時だろう。心の側面というか、精神の構造を言い当てている。これも「客観的な道理の知、人間的な感情、どう生きるかの意志」ぐらいの理解だが、老いるほどにそのバランスの大事さを思う。
妙に怒りっぽくなったり、自慢・説教・長話、俗物臭が漂い始めるのは老いの傾向だが、知情意のどれかが欠けたり突出した時の病気だ。結局、それまでの自分が作った自分の歴史だから病院に行くわけにもいかない。
(どう続くかは分からないけれど、書きたかった2つの言葉を書き残した。続きは次回・・・のはず)


雨で外遊びできず、家でうつらうつらしながら思い浮かんだことを書き残してみよう。ということで「雨中飛考」。心だけは広大な世界を駆け巡る漢字(もとえ感じ) 漱石全集で『草枕』を開いた時、その前が『坊ちゃん』で、赤シャツと野だいこを山嵐と一緒に懲らしめて学校を辞めた坊ちゃんのその後を読む。ああそうだったな、清と一緒に住み鉄道の技手になったんだった。忘れていたなあ。

コメント