波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

WILD FOX №5/海霧の朝

2020年10月30日 | 【協力】Wild foxギャラリ

去っていく渡り鳥を見て、「また寒い季節が来るんだなぁ」と寂しい気持ちになりました。

コメント

言葉のケイコ【その伍拾柒】

2020年10月27日 | 【保管】言葉のケイコ

配信パラダイス

染症による新しい生活スタイル。様々な変化を求められている現在、ミュージシャンのライブなども配信というスタイルが取り入れられている。今まではファンクラブ会員でなければなかなか行くことができなかったようなライブであっても、配信で観られるということが嬉しい。特に、ケイコのように大都市から離れて暮らす人間にとってはありがたい。もちろんライブならではの臨場感は生でこそ!と思っているが、配信ならではの良さもあり、実に面白い。ともちゃんの好きなアイドルグループの、改名前のラストライブ配信も素晴らしかった。エンターテインメントの世界も様々な工夫を凝らしてこの状況を乗り越えようと頑張っているのだと思うと、我々が楽しんで観ることが一番の手助けになるだろう。有意義なお金の使い方だなぁ、だなんて思っていたら。気づけば観たいライブが集中し始めた。ファンクラブにまで入って応援しているB’zのライブが10月末から5週連続配信。10月は他にも、この数ヶ月ですっかりファンになったアイドルグループの配信も。いくら生のライブに行くよりも安い金額とはいえ、さすがにあれもこれもという訳にいかなくなってきた。さあ、どうしよう(笑)。

信で観て、改めて生のライブの良さを知る。そうすることで、直接会える日を楽しみにできる。今はそうやって気持ちを高めておくのが、いいんだろうなぁ。


【波風氏談】ケイコさんのブログが始まって今月で早1年。ケイコさんは書き言葉と同時に話し言葉も大変に味があり、先日の読書会で話題になった愛を巡る男と女の違いについての考察は、「なんとなくそう感じていたが言葉にされると『やっぱりそうなんだ』と納得」と参加者一同感嘆。

コメント

見えない貧しさ

2020年10月25日 | 新聞感想

 

りあいから、この街にマスコミで話題になっているような貧困家庭の子どもはいるのですか?と聞かれたことがある。周囲に感じたことはないし、中高の生徒に話をすることもあるがやっぱり感じたことが無いという。

んなことを思い出したキャンベルさんの話(10/18朝日朝刊)。お金が無い辛さに加え、それを知られると、親も子どももとても不利になる、だから見せないようにするし、もし見ても見ないふりするのが日本の貧困の特徴だと喝破する。

校で働いていた時、学校経由の家庭支援申請の際に家庭の年収を知る機会があった。とても厳しい中で子どもを育てている家庭が少なくなかった。それまで受けていた給食費や学用品代などの半額補助がわずかな年収アップで打ち切られた例もあった。

ロナの前から「見せない貧困」は確実に蔓延していたが、この記事にあるようにコロナ禍で人々の視界が狭まり、「見えない貧困」が拡大しそれがいつしか「見えないから無いのと同じだ」と言うことにならないかと懸念する。『自助・共助・公助』は責任の順番で無く相互に働いて「生きる機能」でなければ。


核兵器の開発や保有を禁じる核兵器禁止条約が世界50ヶ国の批准で90日後の発効が決まった。悪いことは悪いのだという基準が世界中の「持続する志」で生まれた今日今日の朝刊掲載の「宗教法人 生長の家」の意見広告、すべてこの通りだと思った。宗教と政治と学問研究の立場が非常にすっきりしている。

コメント

暮らしから ものを言う(下) 

2020年10月23日 | 読書

 

木氏の後、『明るい覚悟 -こんな時代に』(朝日新聞出版:落合恵子著)読んだ。二人が「社会における最も声が小さい側」から理不尽な社会に対して声を上げているのが共通している。この随筆には亡くなられた母親、愛犬、友人、デモに行くこと、いつくしんでいる庭の植物やご飯の楽しみなど落合さんの方が暮らしと考え方がよくわかる。少し閉じている小説家と開いている発言者の個性の違いなのだろう。

合氏を読もうと思ったのは、『解説「意志的な楽観主義」をタイトルに借りて』(大江健三郎著『定義集』の解説)を読んで、異論が排除される息苦しい現在(2015年だが)を指摘し「壁も倒せば橋になる」という楽観性に立ち止まったからだ。昔、高校の教室で「昨夜のラジオ聞いたか、レモンちゃんはすごいぞ」という話あったが本を読んだことは無かった。少し軽いと誤解していた。
今回、文中の「明るい覚悟」とは、「自分にとって大事なほんの僅かなものを握りしめて暮らすことであり、自分が望む自分になっていく過程を惜しまず、省略しない、自分との約束」にホーッと立ち止まった。大江氏の「意志的な楽観主義」と「明るい覚悟」は同意だが、白昼公然と「赤狩り」(実は「リベラル狩り」)を行うようになった現在、副題の「こんな時代に」を強く思う。落合氏が立つ位置は昔も今も「人間らしい生き方・考え方」だと思うが、それがだんだん左側にずれたように感じるのは全体が右側に右側に映しだされてきているからだろう。

んなこともあり、中断していた加藤周一著『日本文学史序説』と半藤一利著『昭和史』をまた読み始めた。知らず知らずのうちに、「無意識的な悲観主義」や「暗い覚悟」に陥らないために。歴史を遠ざけている場合じゃなくなってきたようだし、自分が亡くなる前に日本文学の全体像を眺めておきたい。少しづつやっておけば「いつかは終わる」は老後作業の教訓。


今月の読書交流会『ほんのおつきあい』を、10月25日(日)14:00~波風宅で開催します。交流は3冊まで、参加費200円(100円は珈琲代+100円は子ども食堂支援)。準備の都合もあり参加希望の方は前日までにご連絡ください(→ namikazetateo@gmail.com) 

コメント

言葉のケイコ【その伍拾陸】

2020年10月20日 | 【保管】言葉のケイコ

10月20日

2003年10月20日。午後13時。札幌の大きな病院の、手術室に私はいた。背中に麻酔を打たれ、それがとにかく痛かった。全身麻酔ではないので、意識はぼんやりとある。大きな期待と喜びと、少しの不安を抱えた私は、長いような短いような時の狭間で、ゆらゆらとした感覚を味わっていた。そうして13時35分、私の耳に小さな泣き声が聞こえてきた。おぎゃー、ではなく、ほぎゃっ。ほぎゃっほぎゃっほぎゃっ、と、急に引っ張り出されたことを戸惑うような泣き声。ややして看護師さんが、「男の子ですよ」と見せに来てくれた。私の身体は麻酔のため動かないので、首だけ動かして見る。「ありがとうございます」という言葉しか出てこなかった。抱っこもできないし、意識もぼんやりしているから気の利いたことも言えない。それでも、元気で生まれてきてくれたことがわかったから、「ありがとうございます」と何度も言った。母と子の最初の対面は、おそらく1分もなかったろう。全身に麻酔をかけられて眠る瞬間、私はしっかりしなきゃと思った。こんな可愛い子が生まれてきてくれたのだから、頑張ろうと。

あの日から6211日。ともちゃんは17歳。母親がしっかりしていなくても、頑張れなくても、ともちゃんは私のそばでちゃんと生きていてくれる。笑っている。この先私の手を離れるそのときが来たとしても、ずっとそうでありますように。そんな願いをこめて。今年も、ありがとう。

コメント