中級老人(65歳以上)に昇格して一番の変化は、テレビを計画的に見るようになったことだ。居酒屋の「とりあえずビール」ならぬ「のべつまくなしテレビ」をやめた。いったい俺は何を見たいのか?を考え右図表を作った。これに、スポーツ番組や先週BSであった漱石と鴎外の特番などを加える。毎朝、新聞裏面の番組一覧にマーカーペンで印をつけ21時以降の『深夜番組』(20時ぐらいから転寝に入るので)はVDに取る。先週、その取り方をママヨさんに聞かず独学で知った。老人だってやる時はやるのである。
1日3時間以内の視聴が目安。読書も同じくらい。起きている時間の半分が見たり読んだりだ。晴れた日は土や木をいじってる。人生の数ある感動体験の上位10傑に絶対に入るテレビが我が家に来た小5の頃からテレビはいつも側にいた。結婚して子供が大きくなるまでテレビを見る暇も気持ちも無かった。気づくとテレビの「お笑い」ばかり見ている50代になり、60代前半はその習慣が残ってしまった。
何だかしみじみしているような番組が好きな波風氏。知識を増やそうとか、生活に役立てようという気はあまりないが、見た後で「今日の料理」を買い作ってみることもある。「バリバラ」は驚きの連続だ。「新婚さんいらっしゃい」と「笑点」は高校生の時から見ているが下らなさにウンザリし「笑点」は昨年で止め、「新婚さん」は年内いっぱいだ。「通りの達人」は石ちゃんのマンネリだが磨き抜かれた芸に感服している。
先週は知人3人がご逝去し少し複雑な気持ちで静かに過ごした昨日の夕食のこと「本格的四川料理」を裏ブログに先ほど書いた日本は「滅びるでしょうね」という言葉を探し漱石「三四郎」を開く。こんな言葉を言ったら逮捕拘禁される時代が来るかもしれない、と思う実に気持ちの悪い今の状況。テレビもなあ…
考え込んだのはBの方だ。Aの沖縄の方は、国のために犠牲になれというのはあまりに無責任だと自分に恥じる気持ちがずうっと消えない。だが、国のために犠牲になれと自衛隊員の人たちに対して思っていなかったかと言うと返答に躊躇する。そこらをきちんと考えてこなかったからだ。
現憲法遵守で入隊したにも関わらず、昨年の集団的自衛権に次いで突然の憲法9条改正宣言に遭遇し、何かの勢いで憲法改正の国民投票がもしされたら、逃げようの無い決定的な犠牲を強いられることになるのか、自分の職業自体が否定される結果が待っているのか、どちらかが選択される道筋が浮かんでくる。良くも悪くも、そんなふうに庶民が分断されることがかつてあっただろうか。