波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

この頃のこと【上】

2024年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

当市の新入学児童193人、中学生220人。公立校全学科定員割れで看護科14人。そんなものだろうなあと思ったが、昨年1年間の出生数124人は衝撃。これを昔『大規模』と言われた4中学校で割ると全学校1学級!。12年後は小も中も1校で足りる。今日の道新トップ記事が「北海道転出超過5238人」、全道8割の市町村該当で当市400人。波風夫妻はピーク直後の78年5万人越え人口の頃に移住し(1学年7学級の中学校に赴任)、200海里問題や国鉄民営化もあり人口減は続いたが辛うじて3万人は維持してきたが、早晩2万人台に。そうなると都市機能は目に見えて貧弱になり目も当てられなくなりそう。この1番の理由、出生率の低下だが、今の状況では生んで育てたくても困難ばかりが頭に浮かぶ。高齢者も暮らしの困難は同じ。

イスラエルがなぜガザの戦争を止めないのか疑問。ナチスのユダヤ人虐殺がどう国政に位置づけられているのか、どう学んでいるのかサイト情報だけではわからない。そんな折、TV『徐京植追悼アーカイブ 離散者として生きる』(1/14NHK「こころの時代~宗教・人生」~)見て、はっとした。自分には暮らしの中に切羽詰まった民族としての自覚がないことを。同じ年齢の在日韓国人徐京植氏(享年72)の本人含め親兄弟の過酷な中での真っ当な生き方に驚く。中に、アウシュビッツを生き延びイスラエルのパレスチナ占領政策に反対した作家・科学者の名を聞いた時、「これだ、見つけた」と思った。すぐに通販で著作を頼み、徐京植氏の方は図書館で2冊借りた。

今年初の読書交流会、5人参加で34回目。孫に話をする時に心に響く言葉を使いたい、そのために本を読むと波風氏の親友であり昆布干しアルバイトの雇い主様(笑)。この時の記録は後日掲載するが「なぜ本を読むのか」が強く心に残った回。
この読書会があるから、本を読み続けているのかも知れないねとママヨさんと事後感想。読んだ本のことを話する、聞いて貰う、このことが読みを継続させ深化させ支えてくれる。本を読む個人的楽しみに少しだけだが嵩増ししてくれる読書体験の交流。もう随分経ったのに、他者と話することで普段は感じない自分との対話の機会。来月は25日(日)開催予定。


画像は何の変哲も無いハサミだが、形といい色といい手に持つ肌触りといい完成されている。優れた工業製品はこういうもの 昨年11月に孫ができた。知り合いから2023年最大の我が家のニュースと言われた。小学校に上がった時に手を繋いで一緒に歩けるぐらいに体力を継続しておかなければ 「からだにやさしい材料2品からの失敗しない おいしいおやつレシピ」本を、徐京植氏の著作とともに借りる。「目玉焼きプリン」が面白そう。

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映画『東京物語』を観る

2024年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

感想は、厳密な構図とローアングルのカメラワークの映像が、質の良い随筆とか日本画を楽しんでいる気持ちに似ていること。どんな場面でも手前端に襖などが開かれ、画面奥の窓は開かれ風通し良い空間。部屋の電灯の高さが違う部屋なのに同じだったり、横向きの顔と視線の方向が計算され自然な会話の雰囲気を生み安心してその世界に居られる。『秋刀魚の味』の味わいをあらためて確認した。この監督は昨年、生誕120年・没後60年。世界中で作品が上映されたようだ。

ごく普通の人々にはドラマらしいドラマは無いものだが、芸術が「人間とは何か?その本質は?」に答えるものだとすれば、暮らしそのものに人間として大切な喜怒哀楽があり、優れた映画はそれを的確に表現できるのかもしれないと思った。
老夫妻の立場で観ているので他人事ではない。妙に心に残った場面などをメモしておきたい。
●饅頭1個を義理の息子が、座っている義理の母親に立ったままで手渡す場面
●東京から帰る途中の老夫婦が「いろいろあるけれど良い人生だったんじゃないか」と岸壁で語る場面
●妻の形見の時計を亡くなった息子の嫁に渡す場面
●その嫁が「わたしずるいんです」と言う場面
※『東京物語 予告編

ママヨさんが、子どもには子どもの人生があり、親と違う暮らし方や考え方は当たり前。子や孫のいる歳になっても子離れ・親離れという自立の課題はずうっと続いているのですね、と感想。少し前に東京の息子のところから帰って来たばかり。波風氏は子どもの時分から、家にお客さんが来てくれる方が他家を訪ねるよりもずうっと気が楽な性格。この映画を見ながらその理由を言葉にすると何なのかを考えていた。


画像は朝日新聞(1/20日曜版)の「小津映画と黒澤映画のどちらをみたい?」アンケート結果。ほぼ同じだが、人生を返る歳にならないと退屈だしテンポも変わっているので小津映画は見ていられないと思う。黒澤映画には圧倒的な面白さがある。両者とも後味が良いのは、人間信頼が核になっているからだね暴風雪で小中高3日連続休校。半世紀近く当地に住まうがこんなの初めて。能登の苦難を思い「こんなの大したことない」と除雪。

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ブランドの刷り込み

2024年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

車メーカーD社の安全試験不正は、平成時代のM社の燃費試験不正より格段に悪質。M社は財布の問題だが車輌の構造問題もありその不信は30年経っても戻らない。倒産の噂もあるD社(T社の子会社だから無いと思う)だが、不思議に不信感が薄い。終の車はムーブキャンバスと一度決めたせいではない。何となくだが、売らんがためのこういう不正は全自動車メーカーに大なり小なりあるように思う。では、この信頼の違いはどこから来るのだろう。何となくだが、これは波風氏だけでは無いような気もする。

 

置きっぱなしの車がある。舗装された駐車場に自重でタイヤはメリ込み冬は雪で小山のよう。車種はレクサス、気づいて数年経つが外装それほど傷みない。我ながら不思議なのは、放置され朽ちるのを待つ高級車はやっぱり高級車以外の何ものでも無いこと。レクサス=素敵で庶民には手の届かない車というイメージが簡単に削られることなく擦り込まれているのだ。同じ脈絡で、D社にどこかで擦り込まれM社は全然かすられもしなかったのだろう。性能やデザインや価格だけでない何か、制作者や販売者の夢や世界観と消費者の欲望の一致なんだろうなあ。欲しがるものだけにかかる『ブランド』の魔法。

 

ブランドを考えるときに思うのは『無印良品』。当初は、わけあって安いを売り物にしていたが今は違う。多種多様(住宅まである!)な商品群を「詩や芸術の世界」に誘い込む「意味の同一性」をまぶし、それを商品の付加価値に深化させている。近所のローソンに無印商品のコーナーがあるがたぶん失敗する。フロアー全部が無印ランドなので夢を買う魔法をかけられるのだから。無印商品を片隅コーナーに置いても、バラにして文房具とか化粧品とかレトルト食品などの棚に並べたら売れなくなるのに近い。消費心理というか欲望の趣きは実に不思議。デザインの効能と販売戦略は何とも奥深い。


子どもも親も先生も地域も「誇りに思える学校」とは、ブランド力のある学校のこと。『ブランド 価値の創造』(石井淳蔵著:岩波新書)を、みんなの夢や希望を1つの方向に導くベクトルの模索で読んだものだ    2ヶ月ぶりにイラスト、2B鉛筆とるのに時間がかかった。この微かな絵心を消したくないな・・・ブランドを持つことは安心や夢を満たす欲望の実現。目に見える富は目に見えない価値を潜めているブランドのこと。アートと上手に癒合するものが生き残るだろう。楽しみの究極がアートなんだから。

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検証『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読む

2024年01月18日 | 読書

知らないことがいっぱいあった『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか(小野寺拓也・田野大輔著:岩波ブックレット)。ナチスがどうやって政権を取ったのか、第1次敗戦後の急速な経済回復はナチスがやったのか、初めて知ったが手厚い家族支援や健康政策、先進的な環境保護政策を評価する人がいてそれは正しいのか。それを知りたいと同時に、他にも2つの関心事があった。
1つは、「どんなものごとにも良い面と悪い面がある」と世の中分かった風なことを言い出す奴が身近にもいるが、それはどこらへんから来るのか知りたかった。2つめは、ロシアが悪い、パレスチナが悪い、中国が悪いという感情と、子ども時代に学んだ少しの知識で固定している「ナチスは悪」の感情は、同じなのか違うのかを考えてみたいと思った。時間もあることだし(笑)、自分の固定観念を疑ったり再確認してみたかった。

ナチスは徹頭徹尾悪、が本書の検証結果。そして時代がもたらした強運と国民支持の泥棒的なかすめ取り政治と圧倒的な暴力支配を知る。ヒトラーの先進的政策のほとんどが中身無い人気取りとモノマネだったとは。身の毛よだつユダヤ人大量虐殺の複数目的も初めて知った。戦争遂行の戦費調達や国民意識統合だけでなく、戦争被災ドイツ国民の住宅や家具の補填とは。権力は維持のために人間らしさなんかかまっていられない、何でもするのだ。
ガザの今の悲惨は、苦しんだ民族が優位に立った時に優しくなるとは限らないを思わせる。ウクライナの戦争は本当にロシアだけが悪いのか、プーチンの言う「ウクライナのネオナチ」は嘘か本当か、アメリカはいつから平和を守る民主的国家になったのか?

ものごとには良悪2面は、万事塞翁が馬のように暮らしの智恵の1つ。胃がんで胃を切ったがあれがなければ禁煙を解除していたかもしれない。雪が積もったが除雪でダイエットと体力養成に効果、なんて日々使ってる。だが、自分自身への都合良い考え方は必ず失敗する、と本書で思う。説教と自慢話と同じ話が老人らしさだが、それで気持ち良く過ごしていると周りは大迷惑。老人同士で群れていると自己満足に磨きがかかるだけ。だからといって孤立すると悪い面が肥大する。
さて、ヒットラーは最後自殺するがその時に何を考えただろう?日本も戦争に負けて「今度やるときには絶対に勝ってやる」と「2度と戦争をしてはいけない」の2つがずうっと続いていると思う。反省にも必ず善悪2つがある。人間の生き方にもやっぱり2つがあると思う。肝心なことは「人間として大丈夫かなあ」と揺れ続けることだと思う。これが1番人間らしいはず。だから人前で、分かった風なことは言わないにこしたことはない。


震度6の金沢に住む知人が、地震の後で手が震えてずうっと止まらなかったとメール。あそこにある原発のニュースが全く入らないことが不安、ドローンの映像も無い。隆起と倒壊と避難の映像は入るが 波風食堂主催の読書交流会は、他の人の読書体験を聞きながら、自分の読んだ本と再度「読書という対話」する機会。老人には読書以上に「対話」が大事。本探しは話相手探し明日21日は、ママヨ社長から波風君への給料日。買いたい物は無いけれど(1万円以下を勝手に買っちゃうから)心が子どものように喜んでいる(笑)後で知ったのだが本書はベストセラーだとか。まだこの国は大丈夫かな。

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映画『秋刀魚の味』を観る

2024年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』、昨年末のTV録画(BS)で観る。戦後映画の最高傑作という評判と事件らしい事件の無い家庭劇とが結びつかず「観なくても良いか・・・」と思っていた。感想は、観て良かった(笑)。その1番は、画面構成の凄さ。小説で言えば文体になるが、どの場面も計算されていて斬新。襖や障子の位置や開き加減、光と闇、卓の着座位置、団地の布団干し場面、一つ一つがスッキリ味の舞台美術。役者も必要最小限というか無駄のない演技で立場(家族、友人、職場での)と心情を表現。予想外のユーモアで笑わせる。笠智衆が名優と言われる所以。

昭和のモダニズムが2番目。60年代の高度経済成長(1962年の映画)の都市生活者の暮らしは明るく希望に満ちていた。波風翁が波風ちゃんだった昔、よそ行きの服着てデパートや映画館の賑やかな中心街に行った時の色や空気の記憶がスクリーンに満ちている。第3は、中学時代の『恩師』の扱い。学歴高く成功した教え子たちは大人としての扱いはするが敬意は無くウダツの上がらない元漢文教師を陰で笑い憐れんでいる。マアこんなところか、今だって。

男はしょうもないなあ、ちゃんと自立すれよが見どころかな。戦前の家父長制が戦後に民主的な男女同権の制度には変わっても、家庭は急に変われない。妻が亡くなり、仕事も退職し、自分一人になった時に男はどうするかは高齢者+多死の社会の今まさに大問題。いたるところでの喫煙も、上司から部下への「まだ結婚しないの?」「何歳になったの?」、男友だち同士の性的冗談、息子に「子ども作らないようにしているのか?」のやりとりは今は全部禁句だが、少し前までは当たり前だったなあ。心躍る黒澤映画と真逆の心しみじみ映画。

【説明過多でうるさい予告。当時はどんな映画もこんな紹介していたのかなあ】


この映画の父親(笠智衆)と同級生たちは、年齢設定が定年退職までまだ間のある50代中ごろ。24歳の娘の結婚に揺れる父親で髭を生やしている。今の波風氏よりかなり年下だが、戦争から帰ってきた自分の父親たちの輝かしい時代「戦争」を要所で描いている。元部下との間で、もしアメリカに勝っていたらどうなっていたでしょうね、負けたから良かったんだ、のスパッとした会話。

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