ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(61)

2008-11-24 17:54:01 | Weblog
11月24日
 今日は、雨が降ったりやんだりの、うっとうしい一日だったが、ワタシは、日がな一日を、ストーヴの傍で寝て過ごした。気温は12度と、それほど寒くはなかったのだが、今ではもうすっかり、このぬくぬくとした生活に慣れてしまった。
 とはいえ、二日前のこと(つまり、前回21日の記事の後)、ワタシは夜、テレビを見て馬鹿笑いをしている飼い主を見て、ふと気がついたのだ。ここは、ワタシがいるべき所ではないと・・・。
 そこで、飼い主を促してドアを開けさせ、外に出た。ぶるっとくる寒さだが、これこそ、飼い主が帰ってくる前に、ワタシが半ノラとして暮らしていた時の、あの緊迫した空気だ。あそこへ戻ろう。
 ワタシは、夜の闇の中、時間をかけて注意しながら歩いて、それまで慣れ親しんだあのポンプ小屋へと戻って行った。そして、いくらか暖かい配管バルブの傍で、体を縮めて座り込み、夜が明けるのを待った。
 反対側の、より暖かいモーターの傍には、あのノラネコ仲間の白黒のパンダネコと、最近仲間に加わった子猫のチビスケがいたが、ワタシは彼らの傍で一緒にいるのはイヤだった。少し寒くても、ひとりでいるほうが良い。
 日が昇るまで待てば、体も少しは暖かくなるし、おじさんがポンプの点検を兼ねて、エサを持って来てくれる。そして、体の大きい、パンダネコやあのキジネコのマイケルににらまれて、エサを食べることのできなくなるワタシを見かねて、おじさんがちゃんとワタシだけで食べれるようにと、傍で見守ってくれるのだ。
 朝になったが、それにしても寒い。ワタシは、飼い主が帰ってきたばかりの、あの家のことを思い出していた。そこへ、ミャーオ、ミャーオと誰かが鳴いている。
 そうか、飼い主が迎えに来たのだ。ワタシはたまらず鳴いて、 小屋の金網の下から出て、飼い主のそばへと走り寄る。飼い主は、分かっているのだ、まだ自分が帰って来てから日が浅いので、ワタシが元の古巣へ戻るだろうことを。
 そこから家までの間、ワタシは時々立ち止まりはしたものの、前回のように、ポンプ小屋へ引き返そうという気もおきずに、飼い主に抱きかかえられることもなく、一緒に歩いて家に戻った。
 写真は、途中の、今は人がいない他人の家の庭を通り抜けて戻る時に、飼い主がワタシを撮ったものだ。まわりのモミジの木からの落ち葉が、あたりに散り敷いていた。
 飼い主が言うには、まるで一幅の日本画の掛け軸みたいだったと…たとえて言うならば、あの江戸時代の尾形光琳の流れをくむ、菱田春草や、あるいは小林古径ふうな絵の光景だったと。
 飼い主はさらに言う・・・近世の日本画の流れは、なかなか興味深いものがある。徳川・江戸期の文化の華として海外にまで知られ、一時代を築いた浮世絵や、それまでの大和絵からの伝統を受け継ぐ日本画の手法が、明治期になって、海外から流れ込んできた西洋画の手法と、並立し、融合されていく、その時代ならではの、それぞれの画家たちの、あの個性のきらめきが素晴らしい。
 春草や古径の猫を描いた絵には、今の私たちから見れば、まだ時代の名残が見えるし、意匠的な硬い感じがする。しかし、それこそが、一つの光景を、平面的な狭い空間として、装飾的にとらえた日本画の意図するものであり、まさに我々日本人の美意識だといえるものなのかもしれない、と・・・。
 つまり、ワタシが落ち葉の庭の、飛び石に座っていた姿が、飼い主の例のじいさん趣味にぴったり合ったというわけだ。やれやれ・・・まあ、お互いに年も取ったことだし、これからの長い冬を、元気に暮して行くことにしましょう。