ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(42)

2008-11-03 16:25:37 | Weblog
11月3日
 拝啓 ミャオ様
 
 今日の朝の気温は3度、昨日は-0.5度と、冷えこんできた。日中でも10度位までしか上がらない。いくら寒さに強い私でも、朝の寒さには勝てない。すぐに薪ストーヴに火を入れる。パチパチと音を立てて、やがてゴーっと燃え上がる。その暖かさが少しずつ、ゆっくりと部屋の中に広がっていく。
 窓の外を見ると、先ほどからハマナスのヤブの辺りで小鳥が動き回っている。双眼鏡で見てみると、腹の辺りの黄色が目立つ。もしやあの、めったに見ることのできないムギマキではと、窓辺ににじり寄り、じっくりと見る。しかし後ろに回った時に、尾の先の方が暗い青色だった。ルリビタキの幼鳥だ。繁殖地の夏の高い山から、下の林へと降りてきたところなのだろう。
 私もまた、雪の山から、黄色く色づくカラマツの林の中の家に、戻ってきたところだ。しかし、まだ心は、あの一週間ほど前の、雪の山々から離れられない。以下は、前回の山の記録の続きである。

 10月28日、朝6時前。安曇野の上に、噴煙をたなびかせた浅間山がシルエットになって浮かび上がり、東の空から、辺りを深紅色に染めて陽が昇ってきた。自然が我々に日々伝え知らせる、鮮やかな自らの変身の一場面だ。なんという見事な、その暗転の舞台のひと時だろう。
 しかし、目の前の常念岳と反対側の横通岳は見えていたものの、梓川の谷を隔てた向こうにあるはずの槍・穂高連峰の姿は、相変わらずの雲に隠れていた。
 午後からは良くなってくるという天気予報もあって、さらに今日は蝶ヶ岳までという短い距離だから、ゆっくりと小屋を出る。それから常念岳への登りにかかったのは、7時半に近かった。
 吹きさらしの斜面に、また昨夜降った雪が数センチほど積もっていた。吹き溜まりの所では30cm以上はあるだろう。そこに先行者の足跡がついている。
 風はそれほど強くはない。雲がかかったり、青空が広がったりする中で、カメラを構えながら、ゆっくりと登っていく。1時間余りかかって頂上に着く。先に着いていた軽装の二人はすぐに小屋へと戻っていった。
 小さな祠のある頂上には、他に誰も居ない。しかし残念なことに、相変わらず槍・穂高の姿は見えないが、周りには青空が広がり、槍の手前に続く赤岩尾根や、北側に相対する横通岳は見えていた。
 この常念岳(2857m)には、今まで4,5回は登っているのだが、その中でも印象深い山行は、上高地の霞沢岳(2646m)からこの常念山脈を北上し、この常念から大天井岳(2922m)、燕岳(2763m)を経て北端の唐沢岳(2632m)までの五日間にわたる山旅だ。
 それはもう十年以上も前の夏のことで、天気もずっと良く、咲き誇る花々もきれいで、途中で一緒になり歩いた女の人もいた、そして私も若かったのだ。
 とその時、白い雲の塊の中から前穂高岳の姿が見えてきて、再び雲に包まれた。しかし、それは天気予報どおりに午後からの晴れの空を期待させた。私は、南に続く岩尾根を下っていった。
 霧が吹きつける尾根道は、岩の間の雪の深みにはまったりと、歩きにくい所が多かったが、コル(最低鞍部)に下り立ち、今度は三つほどあるコブの登り下りが始まる。
 北面に位置する斜面の吹き溜まりでは、50cmを越える雪があり、二人組の先行者が苦労してつけたラッセル(深く積もった雪に道をつけること)跡を、ありがたく利用させてもらった。それは真冬の山での、1mもの雪をラッセルするほどの厳しさではないとはいえ、雪の斜面の辛い歩行なのだ。先行者の若い二人に感謝するばかりだ。彼らはその日のうちに、蝶ヶ岳から三股に下りるとのことだった。
 ところが、コブを越えて、南面の下りにかかると、今度は一転して雪が溶け始めていて、ベチャついた道になる。そして最後の蝶槍への登りだ。シラビソの森林帯を抜けると、先ほどのジャケットを脱いだ暖かさから、再び風が吹きすさぶ寒さに変わり、あたりは一面、霧氷に覆われている。
 蝶槍からは、森林限界を超えたなだらかな稜線歩きになり、幾つか緩やかに登り下りして、今日の目的地である蝶ヶ岳ヒュッテに着く。ゆっくりと6時間半ほどの行程だった。
 泊り客は、他に一人だけだ。小屋閉め間近かの、初冬の山歩きの静かさがありがたい。そして夕方になって、やっと雲が取れてきて、常念岳の姿が見え(前回の写真)、さらに穂高連峰も少し顔をのぞかせたが、すぐに隠れてしまった。
 二人で夕食を食べながら、天気予報を見て、ただ明日の天気に期待するだけだった。この蝶ヶ岳は、なんといっても、正面に槍・穂高連峰を見る、展望の素晴らしさで知られていて、私もこれで何度目になるだろうか。
 そして翌朝、日の出前にカメラを持って外に出る。昨日と同じように、まだ槍・穂高方面には雲がかかっていたが、日が昇ってくる東側は晴れていた。八ヶ岳から富士山そして南アルプスと、赤い背景のシルエットになって見えている。
 しばらくすると、反対側の待望の槍・穂高連峰の雲が次第に取れてきた。私たちは、寒さに震えながら、それでも喜びの声を上げて、何度もカメラのシャッターを押し続けた。
 眼下のまだ暗い梓川の谷を隔てて、千数百mの標高差をもってせり上がる、白い巨大な城砦のごとき、白雪の穂高連峰・・・。他に何を言うことがあるだろう。
 私は、思わずカメラから目を離して、相対するその山々を見続けた。少し離れた所に居た彼が居なかったら、私は、寒さのためかもしれないけれど、恐らく涙を流していたに違いない。
 ありがとう、この大自然に、穂高の山々に、そして私がこうして生きていることに、ただ感謝するばかりだった。このひと時のために、私は山に登ってきたのだ。
 そしてしばらくすると、再び槍・穂高連峰には雲がまとわりつき始めた。しかしもう、十分だった。私は満ち足りた思いで、上高地に向かって、樹林帯の尾根を下っていった。
 写真は左から、前穂高岳(3090m)、奥穂高岳(3190m)、涸沢岳(3103m)、北穂高岳(3106m)。 

 さらに、上高地の宿に泊まった翌日の景色も、素晴らしかった。そして、東京に戻り、そこで見た二つの美術展・・・ああ、余りにもこの旅が印象に残るものだっただけに、今もなお茫然としていて、夢見心地の思いなのだ。
 ミャオには悪いけれど、私をもう少し、この思いに浸らせておいておくれ。
                      飼い主より 敬具