ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(45)

2008-11-11 21:51:37 | Weblog
11月11日
 拝啓 ミャオ様
 
 昨日の朝は-4度、今日は-6度と冷え込む。日中も7度くらいで、さすがに寒くなってきた。
 しかし、晴れた日が続いていて、毎日、目の前には雪をつけた日高山脈の山々が見えている。それでもいつもの年と比べれば、まだ雪が少ない気がする。本来ならば、もう白い雪稜の帯となって、北から南へと延々とつながっている様を見ることができるのだが、まだその白い帯が途切れている。
 それでも、青い空の下、先日の強風で散ってしまったが、まだいくらか残っているカラマツの黄葉と、白い日高山脈の山々との光景は、やはり素晴らしい。
 思い起こせば、まだ私が、東京で働いていた頃のことだ。私は、いつもの短い夏休みを、人が少なくなる、秋に入ってから取っていた。行く先はいつも、この北海道だった。そして、列車の車窓から、あるいは、バイクの上から、思いをこめて北海道の山々を見続けていた。
 アイヌの神々が住む山々。そのアイヌの言葉からつけられた山の名前。ヌタクカムウシュペ、ニセイカウシュペ、トムラウシ、ニペソツ、ウペペサンケ、ポロシリ、カムイエクウチカウシ、ピリカヌプリなどなど・・・なんという美しい響きの山々だろう。
 そして、一般的な登山対象としては、余り良く知られていなかった、この日高山脈の山々に、私はすっかり魅せられてしまった。広大な十勝平野の彼方に、百数十キロにわたって続く山並み。それは、あの北アルプスや南アルプスに匹敵する長さなのに、全国的に知られている山は一つか二つだけだった。
 最高峰の日高幌尻岳にして、わずかに2000mを少し越えるだけの高さしかないのだが、緯度が高く北に位置するだけに、その高山環境は、本州の日本アルプスの山々に匹敵するだけのものがある。
 ちなみに、その日本アルプスにある氷河期地形の名残のカールが、標高差で1000m余りも低い、ここ日高山脈でも見られるのだ。ただし、日高山脈よりも高い大雪山の山々には、氷河期以降の火山活動によるために、カール地形はないとされている。
 この日高山脈は、北の佐幌岳(1059m)辺りからその姿を現し、狩勝峠を経て、1700mを越える主稜線は芽室岳(1754m)に始まり、主峰の幌尻岳(2052m)、第二位のカムイエクウチカウシ山(1979m)などと続き、ペテガリ岳(1736m)に終わるが、まだその南には、ピリカヌプリ(1631m)や楽古岳(1472m)などの名峰が連なり、襟裳岬手前の豊似岳(1105m)で山脈としての終焉を迎える。
 この南端の豊似岳以外のほとんどの山々を、十勝平野から眺めることができるのだ。北アルプスを眺める安曇野からでも、南アルプスを眺める甲府盆地や伊那谷からでも、その山並みのすべてを見ることはできない。
 私は、この広大な山岳展望の地に立った時、ここが自分の後半生を過ごすにふさわしい場所だと思ったのだ。あれから、もう二十数年を越える歳月が過ぎ去った。私は、厭きることなく、晴れた日の山並みを見続けるのだ。
 あれがピパイロ、あの大きな山がポロシリ・・・
 ひときわ高いカムイエク、ヤオロマップにルベツネ、ペテガリ・・・
 そしてカムイ、ソエマツ、ピリカヌプリ・・・
 私は、この日高山脈の殆どの山に登ってきたが、これからもまだまだ登り続けるだろう。しかし、いつの日にか、山に登れなくなる日が来る。そんな時が来れば、私は家にいて、カラマツの林の向こうに、白く輝く峰々の連なりを見ていることだろう。
 それなのに、これからが、その山々を見るのには最も良い季節なのに、私はミャオの待つ九州へ帰らなければならない。ミャオのことは、もちろん大事だけれども、同じように、日高山脈の山々も私には大切なものなのだ。
 もうこの冬、あとわずかな、山々との日々なのだ・・・。 
(写真は、帯広市郊外から見たカムイエクウチカウシ山。) 
                     飼い主より 敬具