ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(43)

2008-11-05 17:28:45 | Weblog
11月5日
 拝啓 ミャオ様
  
 朝、-2度、日中11度。晴れ渡った空の下に、久しぶりに日高山脈の山々が見え、稜線がすっかり白い雪に覆われている。
 昨日、街まで買い物に行ったのだが、チラチラと雪が舞っていた。それまでに雪が降っていた道北地方を除く、残りの札幌、函館などの北海道各地で初雪を記録し、その上、山間部では、2,30cmの積雪があったとのことだ。
 ネットで道路情報を見てみると、道東への主な峠は、すべて圧雪アイスバーンの状態だ。これでは、もう何時間もかけて苦労して雪の峠を越えて、大雪山系の山に登りに行こうとは思わなくなる。
 あの10月下旬の旭岳(10月24日、26日の項)で終わりかと思うと、少し物足りない気もするが、仕方ない。ミャオの待つ、九州の家に帰らなければならないからだ。冬もずっと居ることができれば、周りの日高山脈の山などに登ることができるのに。
 あのサラサラとした深い雪を、ひとりでラッセルしながら、尾根をたどり登って行く。夏の倍近い時間をかけて、無名峰の小さな頂にたどり着く。風の音、青空、白い峰々・・・クーッ、あの寒さがたまらんのー。
 なにも私は別に、にしおかすみこ(最近余り見ないが)のような女王様に、ムチで叩かれるのを好むような、どM(極端なマゾ)というわけではないのだが、こと山の話になると、われながら少しその気があるようにも思えるのだ。
 話は変わるが、昨日街に行った時に、ついでにコインランドリーで洗濯をしてきた。待っている間に、傍に置いてあった漫画雑誌を手にとって見た。日ごろ漫画など読まない私だが、そこになつかしの「こまわりくん」が載っていた。
 とてもお下劣な、マゾっぽいナンセンス・ギャグ漫画だが、当時大いに笑った思い出がある。あれから30年と、綾小路きみまろのセリフではないが、こまわりくんが40代になった設定で描かれていた。
 相変わらずのバカバカしさに、私は声をあげて笑ってしまった。店にいたもう一人の客は、私と目をあわさないように、下を向いて座っていた。
 確かにぃー。大きな体格の鬼瓦権三ふうな顔をした、いい年のオヤジが、漫画雑誌を開いて笑っているのを見れば、誰だって何か空恐ろしい感じがするものだ。ミャオと一緒に居る時でも、私がテレビを見て、ひとりカラカラと笑い出すと、ミャオは何事かと身構えて、私の顔をじっと見ていたものだ。
 話がすっかりそれてしまって申し訳ない。まあ、ともかく私は冬の雪山が大好きだということだ。その雪山の話を前々回から続けているのだが、今回もその続きを書いておこうと思う。
  
 朝の穂高連峰の眺めに満足した私は、長塀山経由ではなく、昨日たどってきた蝶ヶ岳の穏やかな稜線を横尾分岐点まで戻って、降りて行くことにした。
 雪道に、昨日の私の足跡だけが残っている。風で雪が流れて、その足跡が消えている所もあるが、ほとんどはしっかりと残っている。つまり、夜に雪は降らなかったということだ。
 もしさらに雪が深く積もり、そのうえ風雪で何も見えなければ、下降点を見つけるのに苦労するところなのだ。
 幸いに、天気も良く、すでに稜線に雲がかかってはいるものの、それでもまだ迫力ある槍・穂高の山塊が見えていた。分岐点から、梓川の谷を目指して降りて行き、すぐに樹林帯に入る。
 急な尾根の斜面はシラビソやコメツガの原生林になっている。稜線であれほど吹きつけていた風は、樹々の梢の上の方で、その音が聞こえているだけだった。下枝まで雪をつけたシラビソの樹々に囲まれて、私の他には誰もいなかった。
 私は腰を下ろし、ジャケットを、そして毛糸帽と冬用手袋も脱いだ。ステンボトルに入れてきた熱い紅茶を、ゆっくりと飲んだ。なんという、暖かい落ち着いた安らぎのひと時だろう。
 これも昔の話だけれど、南アルプスは北岳(3193m)の、その裾をぐるりと廻るように流れる野呂川の、相対する尾根を、同じようにぐるりと回って歩いたことがある。
 夜叉神峠から鳳凰三山、アサヨ峰、仙丈ヶ岳、間ノ岳、北岳とたどり、広河原に下りる五日間の山旅だった。その中でも、数人の人に出会っただけの、仙丈ヶ岳から間ノ岳にいたる仙塩尾根は素晴らしかった。
 しかし、このコースは、他の稜線歩きと比べれば、単調な長い樹林帯の歩きが続き、昔はバカ尾根と呼ばれたほどだった。ところが、ただ一途に山に登っていた若い頃とは違い、私も年と伴に、次第に山の様々な魅力に気がつくようになってきていた。
 緩やかに続くシラビソの森の中を、私はひとり歩いていた。もう二時間ほど人に会っていない。少し樹々の密度が薄れて、いくらか明るく感じた頃、樹々の下に、一面に明るい新緑色のシダが茂っていて、その上から木々の間を通して木漏れ日が落ちていた。
 どこか遠くで、鳥の声が一つ・・・樹々の上では、高い空に風の音が聞こえていた。私は、ザックを背にしたまま、その場に立ち続けていた。
 今、頭上で吹く風の音を聞いて、あの時の風の音を思い出したのだ。そして、私は立ち上がり、再びこの樹林帯のジグザグの尾根道を、下って行った。
 いつしか雪は消え、緩やかな道になり、3時間ほどで横尾に着いた。人影はまばらだった。梓川沿いのカラマツの黄葉が、鮮やかな色合いで見えていたが、すでに上空は雲に覆われていた。さらに2時間ほど歩いた明神辺りからは、観光客の姿も増え、それと伴に、ついに雨になった。しかし、もう上高地の宿はすぐそこだった。
 何度も泊まったことのあるその宿には、外国人が多かった。カナダからの夫婦、オランダからのカップル、そして私の部屋にはオーストラリアからの若者がいた。私の、例のブロークンな度胸英語で、なんとか彼らと楽しく話をすることができた。
 そして翌朝は、なんと昨日以上の快晴の空だった。日の出前に宿を出て、あの有名な河童橋の近くで待ち構えて、日が当たり始めてきた穂高連峰の写真を撮った(写真)。さらに大正池までの遊歩道を歩いて行き、青空を背景にして、カラマツの点在する裾野の上に雪をつけた、焼岳などの写真を撮った。
 なんという申し分のない山旅のフィナーレだったことだろう。
 その日のうちに東京に戻り、この旅のもう一つの目的でもある絵画展を見に行き、翌日にも、さらにもう一つの絵画展を見ることができたのだった。
 
 もう後わずかしかない北海道で、山に行けなくっても、それを補って余りある良い山旅だった。残りの日々は、いつものように、カラマツの黄葉が散り始めたこの家の周りで、北国の余韻を楽しむとしよう。
 ミャオ、もう少しだから、元気で待っていてくれ。
                      飼い主より 敬具