ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(62)

2008-11-29 18:00:43 | Weblog
11月29日 
 今日は、まるでネコの目のように、目まぐるしく天気が変わった。晴れていたかと思うと、すぐに雲が広がり、雨が降り出すといったことを繰り返した。気温は、朝1度、日中でも8度くらいまでしか上がらない。
 こんな日は、外に出たくはない。昼に一度、トイレに出ただけで、後はストーヴとコタツのある部屋で、ぬくぬくと寝て過ごす、アーヨイヨイと(写真)。
 ところで、飼い主の方は、このところ忙しかったみたいで、外にいることが多かったが、今日は一日家にいて、なにやら新しいパソコンに向かって、盛んに手先を動かしている。
 ワタシにとっては、何はともあれ、飼い主が家にいてくれることが、一番ありがたい。一週間前までの、あのつらい半ノラの生活を思えば、暖かい部屋で、ちゃんとかしづいてくれる召使もいるわけで、その無愛想な鬼瓦顔を厭わなければ、心から安心できるのだ。
 
 「ミャオがもうすっかり、この家のネコに戻ってくれた。一緒に散歩に行って、私ひとりだけ先に帰ってきても、一時間位はかかるものの、やがてニャーと鳴いて帰ってくる。
 当たり前といえば当たり前のことだろうが、それが夏に帰った時などは、ミャオは私と散歩に出た後、そのまま自分の棲み家である、ポンプ小屋へと戻っていたのだ(6月8日の項)。
 あの哀しく、情けない日々のことを思えば、私の傍にいて寝てばかりいるミャオに、文句は言えない。むしろ手間もかからず、ほんとにいいネコちゃんだと思う。私が家を空けて出かける時も、帰ってくるまで、おとなしくひとりコタツの中にいてくれる、トイレさえもがまんしてだ。(家の中にトレ場はないし、外でしかしないからだ。)
 さて私は、この一週間、いろいろと忙しかった。長い間空けていた家の中の片づけはもとより、庭に降り積もっていた落ち葉を掃き集めて、伸びた木々の枝や生垣の剪定をしたりして、さらに外に出かけなければならない用件もたまっていて、一日がかりで遠く町まで行ったり、歯医者に通ったりと。
 その上になんと、使っていたノート・パソコンが壊れてしまったのだ。まだ4年余りしかたっていないのに、ハードディスクが完全に動かなくなったのだ。写真等のデータのバックアップは、別にとってあったから良かったものの、こんなに簡単に、早く寿命がくるとは思わなかった。
 雑誌等でいろいろと調べて、ノートに近い一体型のデスクトップを買うことにした。写真整理がメインであり、あとは検索とこのブログだけだからと考えてのことだったが、結果は大正解だった。
 画面がはるかに大きくなり(20インチ)、なんと自分の下手な写真がきれいに見えることか。OSはビスタに変わり、メモリーもハードディスク容量も十分で、キーボードのタッチも素晴らしい。
 いろいろとソフトのデータを入れるのに手間取ったが、今はそれも終わり、快適にパソコン作業をすることができる。新しいものは、やはりいいものだ。「長生きはするものだ、なあミャオ、アーゴホゴホ」と傍にいるミャオに言ってみる。ミャオはジロリと私を見ただけで、また眼を閉じて寝た。
 音楽が静かに流れている。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲、変ロ長調、作品11「街の歌」・・・。まだ二十代の若きベートーヴェンの、有名なピアノ・トリオの一曲であり、本来はヴァイオリンの代わりに、クラリネットで演奏されることが多い。
 確かに、まだハイドンやモーツァルト等の宮廷音楽の香りが残っているが、しかし所々には、後年のあのベートーヴェンの情感のほとばしりが感じられる。
 演奏は、ボーザール・トリオ。実を言うと、それまで、私はこのアメリカのトリオの演奏を、あまり真剣には聞いていなかった。
 ピアノ・トリオには、他にチェコのスーク・トリオ等がいて、有名な同じベートーヴェンの「大公トリオ」を含む全集曲は、彼らのレコードで聴いていた。
 一週間前に、こちらに戻ってくる時に、ついでにとCDを買いに行ったのだが、そのスーク・トリオのものを買うつもりが、5枚組ではるかに安い(3,290円)ボーザール・トリオのほうに手が伸びたのだ。
 哀しい貧乏性とでもいうべきか。しかし、今回は、それが幸いした。なかなかに良い演奏だったのだ。
 ピアノ・トリオには、もともとはソリストである三人が集まって、その曲のためだけに演奏し、レコーディングすることが多いのだが、その場合、名手ぞろいの彼らが、場面に応じて個性を主張し合い、協調し合うということで、曲調がより豊かなものになり、名演奏が生まれることになる。
 しかしこの、ボーザール・トリオは本来、トリオ(ピアノ三重奏団)として結成されたものだけに、個性を主張し合う緊迫感あふれる演奏というよりは、むしろそのいつもの3人の、アンサンブルで協調し合う演奏を、その楽しさを味わうものなのだ。
 それが、この曲調にマッチしていたのだ。まだ3枚目を聞き終わったところだが、あの有名な「大公」の演奏も、なかなか良かった。好き嫌いのはっきりしていた若い頃には、聞こうとも思はなかったボーザール・トリオだが、今にしてその良さを知ったと言えるだろう。
 そういえば、大分前に2007年度ベスト・テン(1月22日の項)として書いたクラウディオ・アラウのCDの場合もそうだった。つまり年を取れば、それだけにいろいろと今まで見えなかったもの、見ようとしなかったものが見えてくるということなのだな、ミャオ。」