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映画「ホワイト・オランダー(02年)」を観て

2005-02-14 20:57:47 | 映画
  実はアリソン・ローマンがお目当てでDVDを借りる。ニコラス・ケイジ、サム・ロックウエルと共演した「マッチスティック・メン」で十代の少女を好演していて、印象に残っていた。「マッチスティック・メン」より一年前のこの映画を観る。

  彼女の経歴を見るといきなり主役に抜擢された印象が強い。よくわからないが、テレビ界では頭角をあらわしていたのだろう。日本の宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」英語版でナウシカの声を担当しているとある。

  「ホワイト・オランダー」には、母親役にミシェル・ファイファー、里親クレアにレニー・ゼルウィガーといった実力派の女優とともに、主役を堂々と演じているように見える。見えると言ったのは、私は演技力を見抜くだけの力がないただの映画好きの一人に過ぎないから。演技の勉強をしたこともなければ演技論なるもの(あればだが)を読んだこともない。となると、独断と偏見に満ちている事は避けられない。

  アリソン・ローマンの役柄が、里親の元でいいも悪いも世の中を見ることによって、自我意識が確立していく過程を表現するというもので、並みの俳優では難しいのではないかと思える。母親は力のあるアーティストで、娘にはしっかりと物事を認識させようとしていることが見える。自分の作品を娘に見せて「どう?」と聞き「すてき」と娘。すかさず「ダメよ、しっかり見なきゃ、画家になれないわ」という。どうすてきなのかを認識することが重要だというわけだ。

  一方母親の男関係は順調とはいえない。理解しがたいのはこんな場面だ。文筆家のボーイ・フレンドが出張から帰っているにもかかわらず連絡がないので、娘と一緒に男の家を訪ねる。娘を車に置いたまま母親は家に入っていく。かなりの時間が経って車に戻ってくる。怒りに興奮しているようで、「デートだって、セックスしてから追い出されたの」つまり、母親はセックスだけの相手ということだ。それよりも母親のセリフが不可解。十代の娘に言う言葉だろうか。しかし、これは映画の世界と考えると、この母親の人物像を観客に明確に伝えなければならない。ある程度誇張や常識の逸脱もやむをえないのだろう。という好意的な見方も出来る。

  ところどころきわどいセリフもあるが、「どんな母親であっても、親子の関係は断ち切れないな」というのが感想である。アリソン・ローマンは「マッチスティック・メン」で、のびのびとかなり自然に演じて断然輝いている。この女優の将来は楽しみである。ちなみに、ホワイト・オランダーは白い夾竹桃で、強く美しく咲くために毒を放つ花だそうだ。また、日本語標記はオランダーとなっているが、発音はオリアンダーに聞こえる。

  アリソン・ローマンのこれからの作品は、「Where the truth lies」をケヴィン・ベーコンと「The Big White」をロビン・ウイリアムズと共演する。
  
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