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再び映画遍歴

2005-02-19 10:01:15 | 映画
  映画館に行かなくなって何年、いや何十年経っただろうか。最後に映画館で観たのが確か「ET」だったように思う。遠く霧のかなたで、記憶も定かでない。映画館に行かない代わりにビデオという便利なものが出てきたので、もっぱらこちらの利用が多くなった。それも目が疲れやすくなり、ビデオもあまり見なくなった。

  世の中、なにかにつけ進歩が速くDVDの世界になった。このDVDは、本編以外に監督やその他のスタッフなどの解説もついていて、より興味や理解が深められる。俄然気に入り、映画の楽しさが倍加した。私が映画にのめり込んだのは、戦後まもなく1949年(昭和24年)頃、年齢が18か19歳で、主にアメリカ映画だったが(これはたぶんに駐留軍が米軍中心だったせいだろう)いつも長蛇の列が映画館を取り巻いていた。それまで映画といえば、国民の士気を高める戦争映画しかなかった。そこへエンタテイメント性豊かな映画を観て興奮した。特に西部劇には無条件で楽しんだ。ジョエル・マックリーやランドルフ・スコットなんていう西部劇俳優を覚えている。毎日映画を観て、土曜日や日曜日には観るものがなく退屈したものである。

  で今はどうかというと、映画はパソコンでイヤホーンをつけて観ている。一時停止や巻き戻しを使うので、これが私には気に入ったスタイルだ。テレビでは目の疲れが早く、画面がぼやけてつらくなる。

  最近、一つ教訓を得た。早々に俳優の演技に評価を出さないということ。「めぐりあう時間たち」で、ジュリアン・ムーア扮するローラ・ブラウンの息子になった目の大きな子役は、年齢的に演技は無理だろうと思っていた。画面では、母の心の苦悶を見透かしたような表情を浮かべ、一種緊迫感をかもしていた。他方、ローラが近所のおばさんに息子を預ける場面では、この子役は母と別れるのがイヤで泣くでもなく、いとも簡単におばさんの手にゆだねられる。この場面で、この子役の限界を感じる。監督の解説では、この子に演技は無理だから二人か三人で「ジャックと豆の木」の絵本を聞かせ、撮った表情を編集でカバーしたとのこと。

  この映画のレビューで、ある人が子役の演技に感動したと書いていた。が、この話を知ったらどんな思いをするだろうか。気の毒になると同時に編集技術の高さに感心する。さて、今年もアカデミー賞が話題に上る季節になり、現地時間27日に授賞式が行われる。どんな顔ぶれになるのか楽しみである。

  私は常々思っているのが、日本映画も時代劇でなく現代劇でアカデミー賞を狙ってほしいということだ。去年の外国語映画賞は、カナダの「みなさん、さようなら」という末期がんの患者の家族をコメディタッチで描いたものだった。日本だってこういう患者や家族がいるだろうに。これは、例えばの話で、つまり現代劇にする題材は、どこにでもあるということだ。日本の映画人にがんばってもらいたい。

  レンタルビデオ店では洋画が圧倒的に多いのも、日本映画に勢いがないことを示しているのではないか。そして、このレンタルビデオに奇異な現象がある。ビデオには、字幕版と吹き替え版がある。人気作品では、字幕版が先に借り出されてしまう。日本特有の現象なのだろうか。英会話力の劣る日本人がと思わざるをえない。

  そういう私もそのうちの一人なのである。私は、俳優の生の息遣いや声そのものを聞きたいとの思いが強い。吹き替えでは俳優本人ほどの演技を期待するのは無理だろう。DVDになったので自在に字幕、吹き替え、オリジナルを選べるので都合がいい。ということで、そろそろレンタル店へ出かけるとしよう。
コメント
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