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小説 人生の最終章(11)

2007-04-28 13:18:31 | 小説

14

 最後の診察に病院に行ってから、早いものでもう一週間が過ぎようとしていた。香田のことは時折思い出しているが、まだ踏ん切りがつかない。京子に痛いところを突かれた。
「あなたが変に気を回して、相手の誘いをすぐセックスに結び付けているんじゃない。もう少し素直になって、ドライブでも楽しんでらっしゃいよ。考えすぎというものよ」
言われればその通りで、反駁の余地はない。その言葉がきっかけで、ようやく香田にメールを送る気持ちが決まり始めていて、パソコンの前で文案を考えていた。積極的な気持ちが少し欠けていて、文案の出来栄えが今ひとつの状態がしばらく続いていた。
 完成を見ない文案を一まず置いて、コーヒーを淹れにキッチンに入り出来るのを待った。窓から見える海は、今日も青くすこし霞がかかった空気に包まれていた。頭の中で考えるともなく文案の断片を転がしていると、一気に形になった。
「香田様 今、窓から海を眺めています。青い空に青い海、遥か向こうで一体になる様子が見える気がします。これを眺めているととても心が和み、お誘いのドライブをしてみたくなりました。ご返事お待ちしています。浅見けい」
 送信ボタンにマウスをあわせ一瞬のためらいののち、思い切ってクリックする。もう事態は動き始めた。後戻りは出来ない。とはいっても、香田が返事をくれればの話だけれども。そこではっとして、文案に「遥か向こうで一体になる様子が見える気がします」の中の「一体」が曲解される恐れを感じて身がすくんだ。もうどうしょうもない。が、しばらくすると開き直った気持ちが心を落ち着かせてくれた。

 香田の日課は大体決まっていた。朝七時に起きて夜十一時に就寝というパターンだった。長い休暇の真っ只中を過ごしているようなもので、会社という組織になんの義理も義務もそれに権利もない状況は、まるで川面に浮かぶ枯葉のような心許ない思いをさせられている。
 そこで始めたのが、ジョギングやウォーキング、サイクリングそれにキャンプ、インターネットのブログだった。これが香田の性(しょう)に合ったのか長続きしている。
 
 それに読書や映画鑑賞、たまに料理も作っている。この料理は、フランス料理の本を買ってきて試してみるというもので、妻から見ればお金のかかる迷惑な料理なのである。時間に縛られないという生活は、誰でも一度は夢見るだろうが、どっぷりとその環境に浸(つ)かってしまえば、思うほど快適ともいえない。だらだらとしていると、体がしゃきっとせず食事が不味(まず)い。自己管理が重要になってくる。運動はその点で格好の趣味となった。
 読書を長く続けたおかげで、文章にも興味が出てきて、パソコンで少しずつ小説らしきものを書き始めている。
 今日も近くの遊歩道でウォーキングを終えて、昼食のあとパソコンを起動した。決まって行う作業は、ブログを開いてアクセスしてくれた数の確認、次いでメールを確認する。ブログへのアクセス数は、いつものように十件ほど、メールは数十件ある中に浅見けいのメールが混じっていた。諦めていたので、じっと目を凝らし、確かめるように目を細めた。
ほかのジャンク・メールはすべて削除して、残ったただ一つのメールを開いた。
「香田様 今、窓から海を眺めています。青い空に青い海、遥か向こうで一体になる様子が見える気がします。これを眺めているととても心が和み、お誘いのドライブをしてみたくなりました。ご返事お待ちしています。浅見けい」
 
 香田は大きく息を吐いた。頭の中は、いろんな思いが交錯していた。気持ちが揺らぎ落ち着かない。突然の返信は何を意味しているのだろうか。あるいは、単に気持ちの整理がついたので、なんの意味もない気楽な返事だったのかもしれない。いずれにしても香田の気持ち次第だった。しばらく考えてみることにして、大リーグのサイトに飛んだ。
コメント
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