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小説 人生の最終章(8)

2007-04-19 13:12:26 | 小説

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 広大な海浜公園は、花の美術館、テニスコート、野球場、サイクリングセンター、プール、ヨットハーバーがあって、家族連れや若者で賑わっている。今日はウィークデイということもあって人はまばらだった。
 京子のペースに合わせるにはかなり無理を強いられる。そこで、自分のペースでということになり、別行動をとり駐車場で待ち合わせることで意見の一致を見た。
 けいは、白のTシャツと黒のショート・スパッツそれにスポーツサングラスで決めている。その姿は、女の子のグループからも注目を浴びていた。
 今日の気温は、二十五度近くまで上がって夏日の予報になっている。ゆっくりと走り始めるが体が重い。京子のあの軽やかさが、うらやましくて仕方がない。三十分ほど走って大汗をかき、おまけに足がだるくなって駐車場のベンチで京子を待つ。それから三十分が経って、京子が上気した顔で戻ってきた。時間を充分かけたストレッチで筋肉をほぐしている京子に
「夕食の献立を考えているんだけど何かお好みがある?」と聞くけい。
「わたしは何でもいいわ。あまり脂っこいものやステーキなどは敬遠したいけど」
「そお、じゃあ豚肉の包み焼きと具が入っていないパスタでいかが?もちろん白ワイン付きよ」
「それで充分、聞いただけでお腹が鳴り出したわ」

 二人は来た道を自転車で引き返し、食材とワイン調達のため、途中にあるスーパーマーケットに入っていった。全国どこにでもあるこのスーパーには、午後五時前ともなると買い物客で賑わい出す。豚ロース肉、生クリーム、シャンピニオンと冷えたイタリア産白ワイン二本を買って帰る。帰り着くとけいは京子にシャワーを勧め、自分は献立の下ごしらえに取り掛かった。
 
 豚肉の包み焼きは、フランス料理の本から、あまり手間のかからないものを普段から作っている料理で、小麦粉をつけた豚ロース肉をフライパンで両面を焼き、アルミフォイルに包んでシャンピニオンのクリーム煮をかけ、さらにチーズを乗せてオーブンで焼くという簡単料理だ。
 具のないパスタは、文字通り具がない。ニンニクと鷹の爪しか入っていない。これのポイントはパスタの茹で加減に尽きる。今日も美味しく出来ればいいんだけど。

 シャワー室の扉が開いて、バスタオルを胸から巻きつけ頭にもタオルで覆った京子が出てきた。
「お先に、ああさっぱりした。浅見さんのマンションは設備がいいのね。海も見えていい眺めだわ」
「その通りよ。今あなたが言った点が気に入って買ったの。じゃあ、シャワーを浴びてくるから。オーブンに豚肉を入れてあるけどそのまま置いといて」
 べとつく汗を流し、さっぱりとした気分で、深海を思わせる濃いブルーのTシャツに白のスラックス、女同士だからノーブラという気楽な装いでキッチンに戻る。
 パスタが茹で上がると同時にオーブンの料理もちょうどいい具合に出来上がった。それぞれ大きめの皿に取り分けて、ベランダのテーブルに並べる。冷えたワインを入れたグラスをかちりと合わせて、二人同時に「お疲れさま」
「フー、冷たくて美味しい!」京子の感嘆の声を聞きながら、赤味がかった西日が海面や遠くを行く船に射している。風のない穏やかな夕暮れも近いこの時間、路上の車の音がなければ、世界が停止しているのではないかと錯覚するほど、なにもかもが静かさの中にあった。その静寂を破ったのは、京子だった。
「ああ、穏やかで気持ちがいいわ。この瞬間がずーと続いて欲しい気がする。ところで浅見さん、ここでお一人お住まいなんでしょう。広くてうらやましいわ。でも、寂しくないですか?」
「もう慣れちゃったから、むしろ気楽でいいわよ」心ならずも少々の強がりでけいは答えた。
「何年になるんですか? ご主人を亡くされてから」
「ほぼ四年ね」と思い出すような表情になる。
「私は生き別れなんです。別れて二年になりますけど、最初は寂しい気がしました。一人が寂しいという意味ですけど、そんな日が続いていたとき、甘い言葉に負けちゃいました。その人とは今も続いていて、今日もデートなんです」と言うがあまり嬉しそうでない。
「そお、楽しんでいらっしゃい。でも、まだ若いから再婚を考えている?」
「考えているんですが、こぶつきでは難しい面があって、ずるずると関係しているってのが現状です。その彼も家庭があるので、結婚なんてとても考えられないことなのです」と京子は溜息を漏らす。
「浅見さんはどうなんです?」
「再婚のこと?」
「ええ」
「再婚は考えていないわ。色恋沙汰なんて煩わしいわ。よほどの男でない限り」ちょっとぶっきらぼうな言い方になったかもしれない。けいは少し苛立っているようだ。
「そうですか。それじゃ少し立ち入ったことをお聞きしますが、浅見さんの年齢で性的欲求はあるんですよね」
ふざけんな! そんなことを聞くものじゃない! たとえ立ち入ったことを聞くようですがという断りの言葉を添えても。けいは一瞬怒りで顔が赤くなったように思った。ワインのボトルは二本目を消化している最中だった。結構飲んだんだ。顔が赤いのは、ワインのせいだった。
 それに、京子もワイン好きで飲んでいたから、抑制が効かなかったのだろう。歳を取ったらセックスはどうなるのかと言う疑問も普通のことだ。母親に聞くのも気が引けるだろうし、けいが格好の対象となっただけのこと。むっとするのも大人気ない。
「もちろんよ。生身の人間ですもの」
「それじゃあ、ボーイフレンドは……」
「残念ながら、いないわ」
「そうですか。母の友人に中高年の結婚紹介業者を通して、幸せにめぐり合えた人がいるんです。そこで、私考えていたんですが、人は幾つになっても人の肌が恋しいのだろうと」京子は真剣な顔を向ける。
「人それぞれというところかしら。私もめぐり合えたらどうなるんでしょうね」
「あら、まるで他人事のようね。チャンスは掴まなくっちゃ、それにセックスは体にいいんですよ」京子がにやりとして言う。
「どうして?」
「精神の解放があるから」
「それ、誰が言ったの?」
「わたし」と京子は澄まし顔で言う。それには、けいも笑わずにはいられなかった。
コメント
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