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小説 人生の最終章(3)

2007-04-02 12:55:38 | 小説



 浅見けいは、手袋をしていても身に凍(し)みる寒さに震えながら、マンションのドアを開けた。室内は外と比べると少しは暖かく感じるが、早速エアコンのスイッチを入れる。
 郵便の束をキッチンのテーブルに置いて、手袋を脱ぎコートを着たまま郵便物をあらためる。請求書やPRなどのいわゆるジャンク・メールがほとんどでゴミ箱に放り込む。その中に一通、市からの健康診断結果の通知があった。肺のレントゲン検査に影があるので医療機関で精密検査を受けるようにというものだった。以前、胃の再検査で胃カメラを呑んで異常がなかったこともあったので、うんざりした気分になった。
 寝室のクローゼットから伸縮性のあるぴったりとした黒のパンツにワイシャツのような襟の白のブラウスそれに濃い黄色のセーターを取り出して着替え、キッチンでお湯を沸かしながら、窓から東京湾を眺める。雪でも降りそうな天候のせいか海の色もどんよりと濁った鉛色で精彩がない。
 もともと海の近くで育ったせいか、海が見えないと落ち着かない気分になる。夫の実家も千葉の一宮で海が近く、二人して海が大好きだった。夫の転勤の多い仕事の関係で必ずしも海の近くに住めるとは限らなかった。
 夫は六十才の定年になると同時に脳卒中で他界した。ストレスの多い仕事のせいかもしれなかった。千葉市に七部屋の瀟洒な居宅を残してくれたが、一人息子の恭一は結婚して東京の月島のマンションに住んでいるので、一人住まいには広すぎるし何かと不用心に思われた。
 そこで居宅を処分して、海を眺めリゾート気分のマンションというキャッチ・フレーズに惹かれて、十階建ての最上階の3LDKを購入した。暖まってきた部屋から見る海は気分を滅入らせるが、春の晴れた日を想像すると自然に笑みがこぼれてくる。
 ふと、今日の病院での出来事を思い出し笑みがつながる。門を出るとき、彼に右手を上げての挨拶に、彼も軍隊式敬礼で答えてくれるという、まるで若者の仕草ではないか。いや、忘れていた軽妙な気分が湧き起こったのだった。
 年格好は、いくら若く見えるといっても六十代は確かなようだ。そんな年代なのに、年齢を感じさせないほど溌剌としている。それにキアヌ・リーヴスが老けるとこんな感じなのかと思わせるようなハンサムで、身長は一七○セインチぐらいか。ちょっと気になる人ではある。

コメント
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