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小説 囚われた男(18)

2006-12-19 11:31:05 | 小説

11

 翌朝は、午前11時に目が覚める。きのうの事故や取調べで疲れていたのだろう。千葉という男はどんな用件を持ち出すのか、想像もつかない。千葉という男と会うのは初めてで、吉岡の件を電話してきて以来だ。あの千葉という男も謎めいているし、昨夜の女性も同じで、腑に落ちないことが多い。それにしても彼女もチャーミングで魅力的だったなあ。

 なぜ、こんなことを考えるのだろう。妻や子供の恨みを晴らし、気分が高揚しているためか。人を殺しておきながら自責の念や憐憫の情が湧かないのはどうしてだろう。生実は、意外にすっきりとしている自分に驚いていた。
 コーヒーを一杯飲んで、きのうと同じピーコートをはおって、正午に地下鉄駅に向かって自宅を出た。
 千代田線の代々木公園駅には早めに着いた。上空は、晴れた冬空が青く塗りつぶされ、十万本にも及ぶ木々は、深山を思わす森に迷い込んだような気分にさせてくれる。
 春先、ちょうど新緑のころには、フィトンチッドのやわらかな感じのいい匂いを発散させて、ウォーカーやジョッガーそれに散歩をする人々に香りのシャワーを浴びせる。しばらくぶらついたあと生実は、駐車場に向かった。
              
                 代々木公園駐車場
 駐車場の隅に一人の男が車に寄りかかっていた。中背の少し太り気味で、窮屈なこげ茶で縦縞の入ったスーツに身を押し込んでいる。年恰好は五十前後か。無帽の頭髪は薄くなり始め、白髪が混じっている。レイバンのサングラスをかけているが、なぜか滑稽な感じがする。
 寄りかかっている車は何の変哲もないセダンで、地味なグレイをしていた。近づいていくと車はトヨタのハイブリット車であることが分かった。男はちらりとこちらを向いて、それから下を向き手にもった紙を見つめた。そして口をゆがめるようにほころびの小さな笑みを浮かべた。
「千葉さんですか?」と生実が訊ねた。男は頷いただけだった。
「きのうの演技はまずかったな。もうちょっと上手くやるかと思っていたが。ただ、その度胸と実行力は見事だ」そこまで言うと言葉を切りじっと見つめてきた。何か言うことがあるかと言っているようだ。
「じゃあ、すべてご存知だったんだ。それに警察の方にも手を回したと?」
「うん、それは君の想像に任せるよ。ところで、用件に入ってもいいかね。一つ、君にわれわれの一員として働いてもらいたい。二つ、アメリカで訓練を受けてもらう。費用は一時君持ちだ。金額は五千万円ぐらいだ。あとで報酬として支払われる。もっとも、形は分割になるがね。一員といったが、これは言葉の綾で、私と君と、あときのう使いに行った美女の三人だけだ。何か質問は?」
「お断りしたいと言ったら?」と先が読めているが聞いてみた。
「それは自由だ。ただ、殺人罪で起訴されるだろう」生実の想定した範囲内だった。
「アメリカで何の訓練をするのですか?」
「一言で言えば殺し屋の訓練だ。ずっと観察してきて、君はぴったりの資質を備えている。だから白羽の矢を立てたんだ。けちなチンピラのような仕事はさせない。大物がターゲットだ。これ以上深く詮索は禁物だ。知らない方が身のためだからな。最初に言っておくが、ターゲットを指示されても、理由は聞かないこと。私も言わない」
「少し考えさせてください」いくら考えても答えは分かっていたが。
「即答は期待していなかった。明日の午後一時でどうか。君のよく行くイタリア料理店で、あの美女を使いに出すが?」
「ええ、結構です」千葉は車に乗り込み駐車場を出て行った。何の挨拶もなく。

 そんなわけで、生実は結局応諾しアメリカの訓練施設に入所した。そこでは、殺人の基礎から始まって、体の死の急所、そこを攻撃するさまざまな武器の習熟。ナイフやアイスピック、拳銃、ライフル、エンピツを使ったり新聞紙を武器に変える事まで。毒薬、最後に武器を使わない殺人テクニックとサバイバル術までありとあらゆる訓練を二年続けて帰国した。そして、千葉の指令を待つ身になった。
コメント
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