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読書 川端康成「眠れる美女」

2006-11-11 11:09:25 | 読書
 書き出しは、“たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した”
                
 この眠れる美女の館は、もう男の機能が働かない老人が、薬で眠らされている若い女と添い寝が出来るところだった。
 冗談を言い合ったり悲しみを慰めあったりする若い女と交わることが出来ない老人たちだった。この江口老人は67歳で、まだ自信を失っていない。
 これまでの人生は、かなり放蕩なものだった。一糸もまとわない眠れる美女の横に臥せながら、過去の女やこれからの老い先に思いを馳せ、眠れる美女に悪さをしたいという思いを抑えて何度か足を運ぶ。

 この老人の死を見つめた性や生を淡々と描写していくが、中に“眠らせられている若い女の素肌に触れて横たわるとき、胸の底から突きあがってくるのは、近づく死の恐怖、失った青春の哀切ばかりではないかもしれぬ。
 おのれが犯してきた背徳の悔恨を、裸の美女にひしと抱きついて、冷たい涙を流し、よよと泣きくづれ、わめいたところで、娘は知りもしないし、決して目覚めはしないのである”寂寞としたものがこみ上げる記述ではある。まさに、この年代の男でないと理解できないだろう。

 三島由紀夫は「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である」と言っているそうだ。
 わたしがなぜこの本を読んだかと言うと、1982年にノーベル文学賞を受賞したコロンビアのガブリエル・ガルシア=マルケスの「わが悲しき娼婦たちの思い出」が最近出版された。
 その書評にこの眠れる美女が下敷きになっているとあったので、それではまずこの作品からという次第。マルケスはいずれ読みたいと思っている。

 ついでに、川端康成は1899年(明治32年)6月14日生れ、1972年(昭和47年)4月16日、逗子マリーナ・マンションの仕事部屋でガス自殺。ノーベル賞受賞後発表した作品は未完となった「たんぽぽ」のほかには短編が数作品あるだけであり、ノーベル賞の受賞が重圧になったと言われている。
 遺書はなかったが、理由として交遊の深かった三島由紀夫の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺などによる重度の精神的動揺があげられる。そのノーベル文学賞は、1968年日本人として初めて受賞している。
一部ウィキペディアからの引用あり。
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