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映画 スピルバーグ「ミュンヘン(‘05)」

2006-09-11 13:41:51 | 映画
 1972年9月5日早朝、旧西ドイツのミュンヘンでオリンピック開催中に、パレスチナの“黒い九月”のメンバー8名がイスラエル選手村に乱入、イスラエル代表チーム11名のうち選手とコーチ2名を殺害、残り9名を人質に取ったため競技は中断された。
               
 “黒い九月”は、イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の解放を要求する声明を出す。西ドイツと犯人グループとの交渉で、ミュンヘン国際空港からエジプトのカイロへ脱出することで合意されていた。
 しかし、本当は違っていた。西ドイツ側は、空軍基地に移動させ犯人を狙撃し殺害、人質解放が狙いだった。しかし、狙撃に失敗、人質全員が死亡する。

 そして、“黒い九月”のメンバーに対し、報復とテロ防止のためとして、モサド工作員による暗殺が実行される。
 映画はこのいわゆる神の怒り作戦の暗殺を描写しているが、当然のこととして、相手からの報復や工作員自身懐疑的になったり自殺したりする人間的苦悩にも踏み込み一つの問題提起がなされている。
                
 この苦悩は、リーダーのアヴナー(エリック・バナ)が妻とのセックス中も、空港での殺戮が甦るという場面で象徴的に示される。
 これは、スピルバーグが導入部で明言している。“イスラエルの取った行動の動機を探ろうとした。一番の防衛手段として、なぜ「暴力には暴力」を選んだか。理解するには共感が必要だ。この映画を通じてイスラエルに共感できれば彼らの行動を理解できる。
 また、報復行動を非難するつもりはない。むしろ正しい判断だったかもしれないが、難しい問題として残っている。今日、テロに対抗するには慎重な対応が必要だ。行動することをためらわず、常にわれわれの望む結果を出すべきである。だが、思いがけない最悪の結果に苦しめられる可能性もある。暗殺者の苦悩を描き問題提起をしたんだ”
 パレスチナ側の描写が、おそらく政治的な配慮で描かれていないこともあって、共感を求められてもムリだ。
                
 モサドの工作員は、簡単に人間的な感情を取り戻すのだろうか。スピルバーグは原作に忠実に描いていないと言っているので、その辺は脚色したのだろう。
 ちなみに、モサドとは、イスラエル総理府諜報特務局で,対外諜報活動と特殊任務,工作等専門的に従事する。モサドの実力は、アメリカのCIAに比肩するかそれ以上といわれている。

 テロに対する有効な解決策は示されていないし、世界はいまのところ正しい回答を持っていない。

 私にとってあまり馴染みのない俳優たちだった。中でも、バーでアヴナーを誘惑しようとする女を演じたマリ=ジョゼ・クローズが目を引いた。短い出演時間だったが、魅力的な顔と表情はかなりの実力をうかがわせた。
 調べてみると‘03年「みなさん、さよなら」で作品は’03年アカデミー外国語映画賞を受賞し、彼女はカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞している。納得した。

 それに蛇足だろうが、このときの日本選手団に国際的非難が集まったようだ。ウィキペディアから引用してみよう。
 “各国選手団が最悪の結果に沈む中、日本選手団だけは最悪の結果にもかかわらず、競技再開の知らせに喜んでいた。さらに、追悼式にジャージ姿で参列した選手や、練習のためと称して参加しなかった選手が多数いたことで、海外の一部マスコミから「メダル・アニマル」と批判された”当時のコーチ陣の国際感覚欠如を物語っているのだろう。
 ブログのかなりの部分を、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にする。

 監督 スティーヴン・スピルバーグ1947年12月オハイオ州シンシナティイまれ。‘72「激突」が映画初監督で評価され、’93「シンドラーのリスト」‘98「プライベート・ライアン」でアカデミー監督賞を受賞、この「ミュンヘン」は、’05年アカデミー監督賞にノミネートされる。その他に数多くの受賞がある。
 キャスト エリック・バナ1968年8月オーストラリアメルボルン生れ。
 ダニエル・クレイグ1968年3月イングランド生れ。
 キアラン・ハインズ1953年2月北アイルランドベルファスト生れ。
 マチュー・カソヴィッツ1967年8月パリ生れ。
 ハンス・ジシュラー1947年6月ドイツ生れ。
 マリ=ジョゼ・クローズ1970年2月カナダモントリオール生れ。
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