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読書 ジョイス・キャロル・オーツ「ブラック・ウォーター」

2006-06-25 15:34:55 | 読書
 上院議員は、レンタカーのハンドルを握りながらウォッカ・トニックを飲んでいた。フェリーの時間に間に合わせようと、ここメイン州の北西に浮かぶグレイリング・アイランドの未舗装路をかなりのスピードと荒っぽい運転で疾駆していた。
 車は突然ふわりと浮き上がり、まるで放たれた矢のように汚れた黒い水に向かって突進した。ガードレールや背丈にも達するイグサをなぎ倒しながら。

 乗っていたのは、上院議員のほかにただ一人。上院議員の娘の年頃といっていい年齢差のケリー・ケラハー。このケリーの肺を黒い泥水が満たし死に至るまでの間、ひたすら上院議員が引き返して助け出してくれることを祈りながら、自身の少女時代からこれまでの人生がフラッシュ・バックで描出される。

 上院議員はどうかというと、なんとか沈み行く車から脱出に成功して、公衆電話から友人に電話をする。激しく悲痛な声ではあるが「彼女は酒に酔ってたんだよ、興奮して、横からハンドルをつかんだもんだから、車が道路を飛び出した。人殺しって言われるんだろうな、この俺のことを―」と告げる。

 全く破廉恥な男だ。自分の酔払い運転なのに、死人のせいにするなんて。車が川に落ち気持ちが動転するのは分かる。10人中10人ともかもしれないが、おそらく動転するだろう。それは何も恥ずかしいことではない。サバイバル訓練を受けてもいないのだから。事故の原因を転嫁するという浅ましい男にはなりたくない。

 著者は、男の身勝手を批判しているのだろう。男は女性との関係をほとんどの場合、股間の指示に従う傾向がある。そしてこんな事故に遭うと、社会的地位や政治的命運を第一に考え、他への配慮が欠ける。情けない話だ。よって他山の石とせよ!

 訳者あとがきから引用すると“本書の背景になっているのは、あきらかに1969年のチャパクィディック事件である。同年7月18日、マサチューセッツ州にあるチャパクィディックという島で、エドワード・ケネディ上院議員の運転する車が橋に衝突して水没し、二十八歳のメアリー・ジョー・コペクニという女性が溺死した。
 一人車から脱出したケネディ上院議員が翌朝になってはじめて警察に知らせたことが、スキャンダルをひときわセンセーショナルなものにした。通報の遅れを「弁解の余地がない」と認めたケネディ上院議員に対して禁固二ヶ月(執行猶予一年)の刑が下されたが、ジョン・F・ケネディ、ロバート・ケネディと二人の兄を暗殺で失った跡継ぎの大統領候補として期待を一身に集めていたエドワード・ケネディにとって、この事件はぬぐいがたい傷となった。
 これを著者は被害者の女性に対して「恐ろしいほどの興味と同情」をおぼえ、いつか小説を書くためにノートをとり始めた。しかし、『ブラック・ウォーター』はチャパクィディック事件そのものを扱っているわけではなく、「年上の男を信頼して、その信頼を裏切られた若い女の経験の原型とも言うべきもの」を書きたかったのだ、とオーツは述べている。

 ジョイス・キャロル・オーツは1938年生れ。60年代より作品を発表し、これまで二十冊の長編小説を始め、多数の短編集、詩集、エッセイ、戯曲を出版している「多産」な作家として知られ、全米図書賞、全米文芸協会賞、O・ヘンリー賞など多くの文学賞を受けている”
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