畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

小出駅

2011-01-21 21:01:36 | 暮らし

1月21日(金)    ときどき  

畑仕事  タマネギ、ソラマメの畝間を、管理機で中耕除草する。今年は、あまり草はひどくなく、丈も短い。寒さと、この所の乾燥のせいか。ゴボウの収穫。全部掘り終えてしまうが、何度もになるが、ネズミの害で、収量が少なすぎる。がっかりだ。

田んぼ仕事  畔の草刈。モアでの草刈は終わる。刈払機を背負って、しばらく頑張らなければ。一月も下旬。冬至から一月もたつと、日没がだいぶ遅くなる。5時のチャイムが鳴っても、充分作業できる明るさが残っている。

雪国のことをもう一度。

宿泊を、小出駅前のビジネスホテルに取った。生まれ育った地の隣町だ。新幹線ができる前は、急行の止まる駅で、乗り換えの駅だった。高校のころまでは、上京は、普通列車。夜行のことも多かった。東京に住むようになって上越線に乗ることは少なくなった。電車賃があれば、その分、他に使いたかった。帰省することは少なくなった。

連れ合いと住むようになった。何回かは、特急に乗ることがあったと記憶する。特急(とき)である。小出に停車したと思う。小出からは、タクシーに乗る方が多かったようだ。娘が生まれる。その頃は、電車移動はほとんどなくなる。車での移動に変わった。年に一回は、帰省したと思う。連れ合いは、もっと通った。冬にである。娘を背負ってでも、スキーに通った。

そして、娘が、小学3年になる時、東京を離れた。ちょうどそのころ、新幹線が、開通した。その翌年、生まれた家をたたんで、両親と、ここで、同居するようになった。以後、雪国に行くことはほとんどなかった。

小出駅前の、小さな路地に、みやげ物店が並んであって、にぎやかだった。帰京するときには、山菜や、笹団子、チマキなどをみやげ物として、バックに入れた。電車から、車に変わってからも、小出駅前には通ってきた。今のように、道の駅などはなかったから。

そして、今回、昔ながらの笹団子のリクエストがあった。と聞いた。知人が、「もし、新潟に行くことがあったら、地元のお菓子屋の作る笹団子を買ってきて」と、云っていたと、連れ合いから、リクエスト。30年ぶりくらいで、小出駅前に立った。

何にもない。路地だけはせまく短い昔のままの道だ。4~5件さきに、透明ガラスのサッシ戸がしまった店があった。中には、お菓子などの食べ物が、雑多に積み並べられてある。駄目元の気持ちで、開けて声を掛ける。店の奥にこたつがあり、お祖母さんが元気に答えてくれた。一軒だけ残る、みやげ物店だった。「芳林堂の笹団子置いてる」「芳林堂のはすぐ固くなりますよ」  棚には、見かけの良い箱に入った、何時でも柔らかい笹団子。売れるのは、これだという。

趣旨を告げると、取り寄せできるという。注文して、宅配便で送ってもらうよう頼む。話していくうちに、昔からの、みやげ物店だったことが分かる。私たちが、必ず利用していた店だった。新幹線の開通で、すっかりお客が減ってしまったという。今では、私がいる限りの開店という。

ホテルの窓から、小出駅のホーム

架線にも積もる雪