ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「のびる」繋がり?

2012-01-28 | 日記・エッセイ・コラム

 「みちのく二人旅」の三日目。今回の行き先を選んだ理由の一つに、津波の被害の大きかった所の様子を見に行く...という意識が、少しありました。しかし、お手伝いができるわけでもないのに、ただ「見に行く」ことは、どうなんだろ? とのためらいの気持ちもあったのは確か。

 「手荷物預かり所」のおじさんと、談笑している時に、ふと、その片のことを尋ねてみました。「見てみたいけど、そういうのって、現地の人たちを馬鹿にしていることに、なりはしないでしょうか?」と。すると、そのおじさんの言うことには、「いいや、ぜひ、多くの人に見てもらった方がいいんです。」とのこと。

 そして、その場所から、時間的&交通手段などを考慮して、行きやすい場所を教えてくれました。

 その、教えてくれた場所というのが、本来なら、その「仙石線」の途中駅である「野蒜(のびる)」地区。そういえば、数日前に、その地区の様子を、新聞記事で見た覚えがありました。

 「松島海岸駅」から、代替バスに乗って、20分ほどで到着。

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 本来の駅の近くに、臨時のバス亭があり、そこで降りて、海岸まで歩いて行くとよい、とのアドバイス通りに、歩いてみました。

 実は、代替バスに乗った時、すぐに見える光景は、よくテレビで映る「被災地区」と同じ光景が目に入るのかと、覚悟していました。ところが、予想に反して、被害の跡など全くないような、ごく普通の景色ばかり。

 ちょっと意外でした。そして、20分ほど経って、「野蒜」地区に入って初めて、「津波の跡」らしき光景が見えてきました。

 つまり、本当に、「線を引いたように」、「被災地区」と「そうでない地区」とは、はっきり分かれていて、海岸線の至近距離を線路が通っているにも関わらず、全く壊れていない地区もあるのには、驚きました。

 これだけ「景色」も違うんだから、「現地の人たち」にしても、被害に対する「温度差」があるかもしれない...。 そんなことを想像した私でした。

 「駅の前にも後ろにも、たくさん家があったんだが、みんな無くなってしまった...。」「『かんぽの宿』もあったんだが、それも、跡形もない状態でねェ。」.....そんな風に語っていた、おじさんの話通りに、駅前の道路を渡り、すぐ横に流れる川にかかる橋を渡って、海岸へ向けて歩いて行きましたが、辺りに見える光景は、家々や何かの建物があったらしい「土台」の跡や、所々に残る松ノ木、学校らしき建物の残骸、かろうじて残った感じの工場、など「何も無い」に近い風景でした。

 まっすぐに行くと、太い道路に突き当たり、その先に「堤防のようなもの」がずっと続いている。高さは5~6mくらいか? 勾配はゆるいので、上まで登ってみると、ずっと視界が開けて、キレイな海岸が見渡せました。先の方には「野蒜海水浴場」と書かれた看板もある。

 海岸線に沿って、造られてるところを見ると、この堤防は、やはり「防潮堤」か...? その堤防の上を少し歩き、また、もと来た方へ向けて歩き、学校らしき建物に近付いてみました。これだけ海の近くにあっては、やはり一溜まりもなかったろう...と思われる状況でした。

 その近くには、なぜか門柱だけ残った家とか、たぶん立派な庭だったろう、思われるお宅とかが所々に見えて、「高級住宅地」のような場所だったことが、想像できました。

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 大津波の破壊力が、どれほどだったのか? 残っていた「街灯」を中心に、写してみました。

 「ここまで、ひしゃげるものか...?」 というほどの、凄い状態。これでは、「家が流されて」も、不思議じゃないわけだ...。

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 約1時間後の、次のバスに間に合うように、再び駅に戻り、バス停を探すと、近くに上品な雰囲気のおばさんが座っているのが見えた。「帰りのバスは、同じ場所でいいんでしょうか?」と尋ねてみると、「こちらですよ。時刻表もありますから。」と言う。見ると、なるほど、橋の欄干付近に、時刻表がある。

 「どちらから、いらしたんですか?」と、私は、何も考えずに、軽く話しかけてしまった。すると、「元々、ここなんです。」と言う。

 しまった、これは、悪いことを聞いてしまったか? と、一瞬思った私でしたが、そのおばさんは、特に嫌そうな顔をするでもなく、当時の模様を、色々語ってくれました。

 「今日は、お墓参りに来たんです。お墓と言っても、お墓もお寺も無くなっっちゃったし、お坊さんもいなくなっちゃったんですけどね。」と言う。当日は、近くの丘に登ったものの、あまりの寒さに、息子さんが、毛布を取りに家まで戻ろうとしていたところ、消防車が通りかかり、「とにかく早く逃げなさい!」とのことで、そこにいた8人ばかり、ぎりぎり、ぎゅうぎゅう詰めで消防車に乗り込み、避難場所になっている小学校まで行ったそうです。ところが、小学校にも水が来て、校長先生が、「とにかく上へ!」という声で、最上階まで上がったけれど、腰くらいまで水が来たそうな。

 でも、そこに間に合った人たちは助かったけれど、間に合わなかった人たちは、あっという間に、黒い水の渦のなかへ.....。「まるで、‘人間洗濯機’のようでした。」との、そのおばさんの言葉が、印象的でした。

 「松島海岸駅」に着いて、再び、例のおじさんの所に行き、また少し話をすると、「あそこは、地形の関係で、海と川と、三方向から水が来てしまった。」とのことでした。やはり、海+川、両方があり、しかも、近くに島はなく、太平洋に突き出るような形をした海岸線だったこと等、津波に対しては、「悪条件」が重なってしまった上の、悲劇だったのかもしれません。

 「ずっと松林が続いていてね、先が見えないくらいだったのに、今は見通せるようになっちゃった...。」とは、おじさんの話。

 「風光明媚で、こんな良い所はない! って思って住んでいたのに...。」そのおばさんも、そう言ってました。

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 「野蒜駅」の駅舎は、一階部分こそ、今は使えない状態になっているものの、本来は、まだ新しい感じの、洒落た建物でした。よく見ると、上の方の窓に、何か書かれている。

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 どうやら、小学生たちが書いたらしい文字が並んでいました。

 「またあの美しい野蒜を とりもどそう!!」 

 で正しいかな? 本当に、そうなってくれることを祈ります。

 

 p.s. 実は、私がこのブログを書き始めて、最初に書いた記事が、「のびる」に関するもの。「のびる」と言っても、「食材になる、春の野草」の方でしたが...。

 この度、偶然にも、見に行った場所が同じ名前だったことに、不思議な縁を感じました。

コメント (5)
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