MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

曖昧な言葉の通訳

2014-04-28 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療現場では、とても曖昧な言葉を通訳しなければいけない時があります。
先生方はそのまま訳してくださいと言いますが、
外国語にそのまま訳したら何を言っているのかわからない。
なので、曖昧な言葉には通訳者の解釈が入る余地が有り、
それが、通訳者によって違ってくるというのが悩ましい事態です。

「治らなくもない。まあ様子を見ましょう。」
と言われたら、そのとおり伝えます。
「治る可能性がある」でも
「治る可能性がない」ではなくて
「治らないとは言えない」
「治らないわけではない」と伝えます。

すると必ず「で、結局どういうこと?」
「治るの?治らないの?」と患者に言われるのがオチで、
「で、治るんですか、治らないんですか」と聞き返すと
医療者の方は「ちゃんと訳しているの?言ったとおりです」となります。

また、「治る」が強いのか、「治らない」のが強いのか
その割合がどのくらいなのか、ここにも解釈が入ってしまうことがあります。
本当は「治るが○○%くらい」と数字で示してくれれば一番クリアなのですが、
そういうことができる場面ばかりでもありません。

日本語は主語がはっきりしていなかったり、
イエスかノーか、言葉の中に結論が入っていない文章が少なくありません。
そのどちらでもとれる優柔不断さが良いところでもあるのですが、
同時に、同じ文化の中で暮らしているという安心感、悪く言えば「甘え」が
相手に判断を委ねる、つまりお互いに察し合うという
とても高度なコミュニケーションの上に成立しているのです。

しかし、すべての現場でそれが成り立つと考えるのは危険です。

こうした曖昧な言葉は
責任をはっきりさせない時にも使われるし、結論が出ていない時にも使われます。
また、診断が出ていない時にも、使われます。
でも、受け取る方は疑心暗鬼になります。
通訳をする時に私は結構「目配せ」を使うのですが、
言葉では伝わらない表現が日本語→外国語の中に入れば入るほど
表情豊かな通訳にならざるを得なかったりします。

移民の多い場所では、きちんと言葉にしなければ相手に伝わりません。
でも繰り返しますが、通訳者が言葉の中に解釈を入れるのはとても危険なのです。
だから、わかりにくいと言われてもそのまま訳さなければいけない。

悩ましいグレーな言葉。
ただでさえ日本語でも苦手なのに。だから外国語での仕事を選んだのに。
日本語を介する通訳であれば
やっぱり、日本独特の曖昧さを避けては通れないのは悩ましいところです。