ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

けっきょく誰かが(死因はともかく)死なないと事態は改善しないようだ(夏の甲子園もそうではないか)

2023-11-26 00:00:00 | 社会時評

期せずして、ということになりますが、2023年というのは、理由や過程はともかく、日本におけるさまざまなタブー(アンタッチャブル、治外法権、見て見ぬふり)が打破された年ということになりそうですね。

すなわち

①(旧)統一協会への解散命令請求

②(旧)ジャニーズ事務所の、名称変更ほか

③宝塚歌劇団での騒動

です。なお面倒なので、統一協会とジャニーズへの(旧)は以下省略します。また以下の文中での敬称も略します。乞うご容赦。

この3つは、どれも世間では知られていないか、知っていても上に書いたように


タブー(アンタッチャブル、治外法権、見て見ぬふり)

として扱われていたものです。私個人の話をすれば、統一協会がひどいことをしてきたなんてことは当然私は知っていたし、ジャニーズがめちゃくちゃな性犯罪の温床だったことも知っていましたし(暴露本や一部雑誌における報道など)、宝塚も、レズビアンといった興味本位の報道もさることながら(同性愛ということ自体は、昔はいざ知らず現在ではそれを批判することには及びませんが、しかしこれも、先輩ほかが一方的に性関係を求めるとなると完全なセクシャルハラスメント、性犯罪になります)、パワハラや団員の人権侵害なども、私も知ってはいました。が、どれも、マスコミで積極的に報道されていたとはいいかねます。統一協会などは、1980年代には朝日新聞ほかが積極的に批判報道をしていたし、また90年代に『週刊文春』などもいろいろ記事を書いていましたが、その後報道は途絶えがちになりました。ジャニーズも宝塚も、放送局も出版社も新聞も、けっきょくこれらの組織との関係の深さほかで、本格的な報道をするにいたりませんでした。いや、問題は警察などにも及びました。裁判所はさすがにそのようなことはなかったかと思いますが、警察も検察も、統一協会に関してはきわめて及び腰だったし、またジャニーズも、ついに警察はこれといって動きませんでした。宝塚だって、あんまり警察が積極的に動いたことはなかったのではないか。むしろ被害届すらろくに出ていなかったはず。で、なんでこんな愚劣な状況が打破がされたかというと、けっきょく人の死があるわけです。

統一協会に関しては、安倍晋三の暗殺がありました。あれがなくて、今日のような事態になったとは考えにくい。いや、安倍が殺されてですら、自民党ほかの中には統一協会をかばう態度がありましたが(こちらの拙記事に、その一例をご紹介しました)、さすがに日本憲政史上1番首相在任が長かった人物が殺されて、そのおおもとの原因に見て見ぬふりをするわけにはいかなかったということです。

ジャニーズはどうか。これだって、ジャニーとメリーの両喜多川が死ななければ、今でも「ジャニーズ事務所」のままだし、今年の紅白でジャニーズ事務所ゼロなんて事態になるわけがない。ジャニーが死んだことによって、さすがに過去のすさまじい性犯罪(なにしろテレビ局ですらあったくらいです)はなくなったとは思いますが、メリーが生きていれば、おそらくどこのマスコミも出版社も、見て見ぬふりをしたはず。今回のジャニーズ事務所を追い込んだBBC(英国放送協会)の報道には、おそらく日本のマスコミほかが積極的に情報提供をし、取材に応じているはずであり、それもおそらくメリーの死で、これはジャニーズについてメスを入れるチャンスだと関係者が判断したということでしょう。

宝塚だって、団員の自殺(と警察が判断している)が、さすがに歌劇団や阪急電鉄を動かすことになったはず。これだって、過去自殺未遂があったし、自殺だってあったんじゃないのと思いますが、過去はともかくとしても、現在では「それは完全に本人の問題であり、歌劇団側は関係ない」とか逃げることができず、調査もしたし、記者会見もしましたが、それまた「不十分である」「何考えているんだ」「調査を拒否って、そんなことできる立場じゃないだろう」と罵倒されているわけです。

これは話が拙記事の本論とは違いますが、宝塚歌劇団といい阪急電鉄といい、ジャニーズ事務所の記者会見の評判の悪さをどう考えていたんですかね? 上にも書きましたように、自殺した人のやけどが事故であり、暴行(いじめなんていう次元ではないでしょう)でないなんて、とても話が通用するようなものではないし、4人が歌劇団の聞き取りを拒否したなんて、事態の深刻さをどう考えているんだです。うんなもん、拒否するのなら契約を更新しないくらいのものでしょ、これ。宝塚は6年目までは雇用されていて7年目からは芸能人として1年ごとの契約更新ということのようですから、6年目までの人が拒否したのなら解雇すればいいだけです。吉田由美子(北原遥子)だって(事実上)懲戒解雇されたわけだし、それならこの件だって、懲戒解雇とまではいわずとも、解雇されたって文句が言えるようなものでもないでしょう。吉田(北原)の件については、下の記事を参照してください。

世の中ここまでひどい迷惑をうける人がいる(北原遥子のこと)

彼女が宝塚を追われたのは、つまりは届け出なく勝手に民放のドラマに出演した(というのも、彼女にとっていろいろ理不尽なことがあったのですが、それについてはここでは触れないことにします)ということであり、つまりは「宝塚の面子をつぶした」というようなものでしょう。北原の件で一方的に宝塚歌劇団を悪いとは私も言いませんが、「面子をつぶした」とかいうのなら、今回の方がはるかに悪質かつ理不尽、重大なことであり、宝塚存亡の危機じゃないですかね。現実に宝塚歌劇団が廃止に追い込まれる事態にはならないとしても、とてもこれは「見て見ぬふり」ですむような話ではない。宝塚歌劇団といい阪急電鉄といい、なにを考えているのか。非常識にもほどがある。

で、これら3組織の問題を考えてみると、けっきょく「人が死ななければ、事態が動かないなあ」ということに話がつきるんじゃないんですかね。いや、死んだって事態が動かないこと多数ですが(オウム真理教の一連の事件だって、坂本弁護士一家が殺害された時点で検挙されていれば、サリンなどはなかったわけです)、少なくとも私がいまあげた3つの件については、そうだといって問題ないでしょう。要は、やれ自民党や日本右翼と統一協会が癒着しているとか、ジャニーズ事務所が日本の芸能界を席巻していて放送局も出版社も新聞もめったなことがいえず、また警察なども及び腰だったとか、宝塚歌劇団も、ジャニーズほどではないとしても、日本において独自の人気と存在感や歴史があり、関係各所問題点に物申すことができなかったということでしょう。阪急電鉄や東宝が関連会社として存在してることも、批判を鈍らせた原因ではないか。いずれにせよ他殺、自然死、自殺と死因はみな違うとして、死んだ人がいるということ以外で事態を動かした決定的な理由は思い浮かばない。

ともかく愚劣にもほどがありますね。とくに宝塚歌劇団に関しては、阪急電鉄という一流企業が経営しているわけで、もう少しまともなコンプライアンスがあってしかるべきでしょうに。そうしたら調査を担当した弁護士事務所に、関係者がかかわっていたなんて、あまりにひどい。社会常識の範疇で、第三者委員会を設置するなり会社と無関係の法律家ほかのグループに依頼するとか、いくらでもやり方はある(もちろんこのオファーをうけた法律事務所の問題もあります)でしょう。

ていいますか、阪急電鉄本体の社員がこのような自殺をしたら、あるいはですが、阪急はもうすこしまともな対応をした可能性がないか。これは私の想像ですので私も当然断定はできませんが、空想次元でそんなことはあり得ないと一笑にふせるものでもないでしょう。

というようなことを考えると、私がやっぱり「人が死ななければ、事態が動かないなあ」と考えるのが、夏の甲子園ですね。これも、真夏に酷暑の西宮市で野球大会を行う問題点や、あるいはこれは夏の高校総体もそうですが、酷暑の屋外で運動量の多いスポーツをする愚(野球は運動量は多くありませんが、練習時間の長さもさることながら、プレー時間は長い。高校野球は、プロ野球よりずっと短いですが)などいろいろ指摘されています。もちろん投手などの肩の問題もあり、これらはさすがに延長戦の短縮、タイブレーク制度導入など、一定の改善が見られますが、真夏に甲子園でプレーするということに固執していたら、甲子園でなくても日本中の地区予選でついには熱中症の死人が出る可能性がありますね。とくに、ずっと出ずっぱりの審判員はかなりやばくないか。高野連も、主催する朝日新聞社も、もちろん現場の教員や指導者も、そんなことは知りつくしているわけで、しかしこういう問題については最後の最後まで逃げるんでしょうねえ。高野連の会長は、大学教授が務めていることが昨今多いかと思いますが、彼らだってそんなことを認識しないほどの世間知らずでもないでしょう。会長は名誉職だとしても、最高幹部たちだって「まずい」「やばい」「今年は無事でよかった」と考えているはず。昔読んだ高校野球マンガの金字塔(? でしょう、おそらく)の『ドカベン』にも、酷暑で審判員が倒れた話がありましたが(確か主人公が高校2年生の際の地区予選での話。ほかにもあったかもしれませんが、そのあたりは未確認)、その後作者は、ふらふらになった審判員があらためてジャッジをするという設定にしていました。これをおそらく作者は、この審判を肯定的に描いたかと思いますが、人命の問題であり、とても肯定できるようなものではない。作者がこのエピソードを書いたのは1970年代で、今日ほど夏の酷暑もひどくはなかったかと思いますが、それでもそういうエピソードがありだったわけで、現在はもっと悪化しています。

というようなことを考えていたら、今度は超大物の死ですね。よりによってですが、公明党のサイトより。創価学会と公明党って、政教分離しているはずですがね。それでここまで書くかという気はしますね。いやもちろん党創設の人物ですが、あんまりあからさまに書くのはやはり一応のけじめでどうかとは思います。私もなかなか意地悪な人間です。


2023年11月19日
池田大作名誉会長、逝去
公明党、公政連を創立 
世界の要人、文化人と対話重ねる 
15日に老衰のため、95歳のご生涯
公明党創立者である池田大作創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区の居宅で逝去された。95歳のご生涯だった。葬儀は17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。会員を対象とした「創価学会葬」が23日に行われ、後日、お別れの会が開催される予定。

池田名誉会長は、1928年1月2日、東京・大田区に生まれた。47年8月14日に戸田城聖創価学会第2代会長(当時は理事長)と出会い、創価学会に入信。戸田会長の後を受け、60年5月3日、第3代会長に就任した。75年からSGI会長を務め、79年に創価学会名誉会長に就任した。

公明党の前身である公明政治連盟(公政連)の結成を提唱し、62年9月13日に行われた第1回公政連全国大会での講演は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との不変の立党精神の淵源となり、公明党議員の指針として今もなお受け継がれている。公明党は、池田名誉会長の提案によって64年11月17日、結成された。

創価学園・創価大学をはじめとする教育機関や、民主音楽協会、東京富士美術館などを設立。「国連平和賞」を受賞し、モスクワ大学、ボローニャ大学などから名誉博士号などの称号も贈られた。受賞した名誉学術称号は400、名誉市民称号は800を超える。

各界の指導者・識者らと対話を重ねながら、世界に平和・文化・教育のネットワークを広げてきた。国際交流も積極的に行い、中国の周恩来元首相や米国のキッシンジャー元国務長官、ソ連のゴルバチョフ元大統領、キューバのカストロ元議長ら著名な海外の要人と会談、友好を深めた。2008年5月には来日した中国の胡錦濤国家主席(当時)と会談した。

平和運動に尽力し、毎年1月26日の「SGIの日」に寄せて平和提言を発表したほか、今年は、ウクライナの平和回復や核兵器の使用と威嚇の防止などで提言を発表した。

主な著書に、小説『人間革命』(全12巻)、『新・人間革命』(全30巻)、『二十一世紀への対話』(英国の歴史学者トインビー博士との対談)など。

創価学会の原田稔会長は11月18日午後、公式ホームページ上の動画で「突然の訃報に大変驚き、深い悲しみを抑えることができない。先生のご冥福を衷心よりお祈り申し上げる」との談話を発表。最大の栄誉をたたえ、戸田第2代会長以来の創価学会葬を23日に執り行うと述べた。

■歴史に大きな足跡(岸田首相)
岸田文雄首相は18日、創価学会の池田大作名誉会長が死去したことについて「深い悲しみに堪えない」と悼んだ。X(旧ツイッター)で「国内外で平和、文化、教育の推進に尽力し、歴史に大きな足跡を残した」とたたえ、「ご冥福をお祈りし、遺族と関係者に哀悼の意を表する」と記した。

「立党精神」永遠に守り抜く
山口代表が談話
このたび、公明党創立者である池田大作創価学会名誉会長のご訃報を伺いました。突然のお知らせに驚くとともに、深い悲しみにたえません。謹んで哀悼の意を表します。

池田名誉会長におかれましては、公明党の創立者として一貫して見守って頂き、深く感謝を申し上げます。創立者より、お示し頂いた「大衆とともに」との立党精神を変わらぬ原点として、これからも永遠に守り抜いてまいります。

ここに、故・池田大作創価学会名誉会長の偉大なるご遺徳を偲び、衷心より厚くご冥福をお祈り申し上げます。

公明党代表 山口那津男

いろいろな指摘はされていますが、創価学会と公明党自体は、たぶん大した影響はないでしょう。すでに池田も10年以上にわたって表に出ていない状況だったわけで、創価学会も公明党も、幹部のヒエラルキーとか組織の関係は、そんなに問題はないはず。ただ読めないのが、一般のアクティヴな創価学会員が、今後どれくらい選挙にうごいてくれるかです。これは正直、次の選挙にならないとわからないんじゃないんですかね。なぜなら前例がない。日本に、池田大作のような、創価学会レベルの大きな組織へ大きな影響力を長きにわたって保ち続けた人物は他にいないわけで、彼が死んでそれがどれくらい影響があるかないかがわからない。組織としての創価学会でなく、個々の創価学会会員がどのような反応を示すかというのは、予想が立たないと思います。次回の選挙(来年あたりになるかもしれない衆議院選挙?)では大したことはないという可能性が高いのかもですが、それにしたって次の次以降はどうなるかは、なかなか判断が難しいのではないか。池田大作の死で、信仰に一区切りをつける人もいるでしょうし、あるいは、そういったポストカリスマの信仰にシフトする人もいるわけで、やはり数年たたないと創価学会の変化は読み解けないと思います。とりあえず次の衆議院選挙で公明党が比例で何票とるかは興味深いですね。ここで私が作成した特製の表をご覧ください。下の記事で掲載したものの再掲です。

公明党の退潮ぶりも明らかだ(創価学会の団塊チルドレン世代があまり選挙に動いてくれない?)

公明党は、参院では、2001年から22年にかけて200万票比例票を減らし、衆議院では2003年から21年にかけて160万票減らしています。トレンドとしては漸減している。このトレンドを回復させるのは大変でしょうが、そこをどうするかというのも、今後の日本の政治を考えるにあたっていろいろ興味深いところがあります。やっぱり人間が死ぬことによって、事態が改善するかはともかく、いろいろな変化はありうるので、そこは私も注意深く見守りたいと思います。

コメント (6)
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