ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

こんな文字通りの前世紀の遺物の反共演説を今時聞くとは思わなかった

2021-10-29 00:00:00 | 社会時評

bogus-simotukareさんの記事を読んで、「おいおい」と思いました。これはかなりひどい(苦笑)。いや、ひどいのは、bogus-simotukareさんの記事でなく、そこで引用されている記事が報じている河野太郎の時代錯誤の反共演説です。次のようなものです。

> 河野氏は14日、JR赤羽駅前では、1984年に共産主義時代のポーランドに留学した経験を、次のように語った。

 「自由がない国、街は灰色です。人々もドヨーンとしている。毎日食べるのはジャガイモと酢漬けのキャベツ、赤かぶ。肉は配給キップを持って1時間並んでソーセージが買えた」「外が氷点下でも、宿舎にお湯は出なかった」「一方、共産党幹部は米ドルで好きなものを買っていた。どこが平等なのか」

 そのうえで、東欧での共産党独裁への道をさらに説明した。

 「最初、共産党は連立政権や閣外協力をする。ドアに靴の先を少し入れたら、次はこじ開けて入ってくる。家主を追い出して乗っ取る。それを東欧でやった。何十年も国民は自由や民主主義がないところで虐げられた。今回の衆院選と同じことが、東欧で展開された」

 共産党の志位委員長は14日、自民党幹部が、今回の衆院選を「自由民主主義か、共産主義か」の政権選択選挙と位置付けていることについて、「体制選択のような話を持ち込むのは見当違いだ」「大義の旗に基づいて野党共闘をやっている」と反論している。

あのー、河野のしている話って、それ1984年のポーランドの話でしょ(苦笑)。2021年の日本とは違うでしょうに(笑)。だいたい東欧で共産党(名称はいろいろあります。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)なら「社会主義統一党」)が権力を握ったプロセスなんて、それまさに第二次世界大戦後の冷戦時代で可能だったものであり、そんなものが現代日本で当てはまるわけがない(当たり前)。

そもそも今回の選挙で日本共産党は、仮に立憲民主党を中心とする勢力による政権交代があったとして(昨今の予想では、その可能性は低そうですが)、閣外協力にとどめるということになっています。いったいどんだけ共産党は力があるというのか(笑)。だいたい連立うんぬんというのなら、自民党だって長きにわたって連立政権の状況であり、現状公明党を切り捨てるというのは選択肢にないでしょう。

日本だって、地方公共団体のレベルだったら、東京都、大阪府、京都府など、共産党が推す人物(時に単独推薦)が知事だったこともあるし、そのころ特にそういった自治体がひどく貧しかったなんてこともないでしょうに。

それにしてもベルリンの壁崩壊(1989年)などの直後に行われた1990年の衆議院選挙とかで、こういう反共演説が行われるというのなら、「いい」とは言いませんが、まだしょうがないところもあるかもですが、それから30年以上もたった後でこんな文字通りの前世紀の遺物の反共演説なんかしてどうするのか。あきれ返るにもほどがあるというものです。

bogus-simotukareさんは、

>河野がこうしたことを「自分から進んでやってる」とは思いません。「総裁選挙の負け犬」として、「体制選択選挙だ!」「敵の出方論ガー」の甘利幹事長などに命令されて「やらされてるだけ」でしょう。むしろ河野からすれば「こんなことはやりたくない(父・洋平氏に好意的な穏健保守から呆れられるので)」「でもやらないと石破元幹事長みたいに干される」つうことでしょう。

と評されています。まあそういうことなんでしょうが、実に志が低いですね、河野という人も(苦笑)。どうしようもないとはこのような人物です。

bogus-simotukareさんに感謝してこの記事を終えます。

コメント (2)
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