ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

アニセー・アルヴィナ 1979年の映像

2008-08-31 10:42:09 | アニセー・アルヴィナ
水野晴郎さんとアニセー・アルヴィナ(Anic醇Pe Alvina)


アニセー・アルヴィナが、1980年に『水曜ロードショー』で『続フレンズ』が放送されたときにゲストで出演した際の映像がYou Tubeにアップされました。正直、かなり私は驚きました。

彼女が来日したのは1979年の9月ですので、おそらくその時に収録したものでしょう。ややぽっちゃりしたアニセーの姿を見ることができます。

これはまったく関係ない話ですが、水野晴郎氏(最近亡くなりました)と通訳の小松沢陽一氏の白(あるいはクリーム)の上下は、さすがに時代を感じました。

リンクをはっておきますが、You Tubeですのでいつ画像が削除されるか分からないですから、いちおうインタビューの部分もテキスト化しておきます。



水野晴郎:さて、この水曜ロードショーでは、『フレンズ』『続フレンズ』を2週にわたりまして皆さんにご覧いただいたわけですが、いよいよこれからその第3部ということで、今ご覧いただきましたアニセー・アルヴィナさん、その本物がこのスタジオにみえているんです。ご紹介しましょう。アニセー・アルヴィナさんです。いやあ、うれしいなあ。彼女がそばにいるんですよ。ええ彼女にいろんな話を聞いてみたいと思います。ええ、早速なんですけれどもね、この映画の時の想い出をちょっと聞かせてください。

アニセー・アルヴィナ:(フランス語にて省略)

水野晴郎:(笑い)

小松沢陽一(通訳):あのね、あの女優としての一番最初の映画をこう『フレンズ』ではじめられてとってもうれしかったって言っています。というのはつまり、役を演じるというよりも、こう自分自身をあの、そのまま演じることができたってことなんですね。で、そういう中で、まああの丸太を割るシーンなんかありましたよね(水野:はい)、そのときにまあもちろんスタッフはこう最初から割っておいて割るようにやったけど、彼女はうそをやるのが嫌で(水野:笑い)、自分で本当に割っちゃって、スタッフが驚いちゃったというエピソードがあるんですよね。

水野晴郎:(上の通訳と重なりながら)なるほどー、あ、そうですか。ま、それだけ自然にやったからこそ、あれだけの感動をね、私たちに伝えることができたわけなのでしょうね。(小松沢:そうですよね、ええ、ええ)でも、あのー、まさに若いんですからね、これからやりたいことがいっぱいあると思うんですけどもね、その中でもね、今すぐこれをやりたいってのは何でしょうね。

アニセー・アルヴィナ:(フランス語にて省略)

小松沢陽一(通訳):あのー、まあ、あの一番すぐにやろうとしているのはですね、あのー、どっちかといえばアメリカ映画的なキャラクテールで、そして、あのー、まあ『ボニー・アンド・クライド』みたいな話なんですよね。(水野:なるほど)こー、あのー、ミュージックをがんがん鳴らして、そしてあのタイトルは『ナイト・ウェイ』ってタイトルで、今準備して、これをすごく楽しみにしているそうです。

水野晴郎:あ、そうですか。いやあこれは我々ファンとしてはほんとに見逃せませんね。(小松沢:そうですね)楽しみですね。今日はほんとにありがとうございました。

アニセー・アルヴィナ:(日本語で)ありがとう。さよなら。

水野晴郎:まあそういったわけでですね、ええ、女優としてのアニセー・アルヴィナさん、これからの活躍が本当に楽しみですね。

(了)


すいません、私フランス語苦手なので、アニセーのフランス語の部分は省略しました。ただ、彼女は、後半のほうで最初に

J'ai beaucoup de projet
(私は予定はたくさんあるわ・・)

なんていっていますから、それなりに仕事の予定は入っていたのかもしれません。

また、通訳をやっている小松沢氏という方は、『スクリーン』の1979年6月号で、彼女にインタビューをしている人です。彼女からの信頼も厚かったのかもしれません。アニセーには、tu(フランス語の親しい相手への二人称代名詞。ドイツ語のdu)で話かけていました。現在では、映画祭のプロデューサーをされているようです。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の創設にもかかわっています。

個人的には、彼女の発言を完璧に聞き取って、それをテキスト化したいんですけど、私のつたないフランス語の能力ではできません。ごめんなさい(下の追記をご覧ください)。

例によって、『ナイト・ウェイ』(か、どうかよくわかりませんけど)という映画にアニセーが出演することはありませんでした。この翌年の80年に彼女はL'Honorable sociétéに出演しましたが、あまり充実したものでもなかったみたいです。同じ年に『夢・夢のあと』も撮影しましたが(公開は81年)、この作品も満足できる出来栄えではなく、けっきょく彼女は映画界を去ってしまいました。

アニセーは、私が翻訳したインタビューで、

>1か月日本に滞在したんだけど、彼の地ではずっとあたしは人気があるって説明を受けて、とてもうれしかったわ。

>「日本で人気があるんだから、そもそもフランスであたしに人気がない理由なんて、あるわけがないわ・・・」って、考えているのよ。

と語っています。日本では、彼女はよい想い出を作ってくれたようですが、この動画をみると、けっこう彼女は疲れているようにみえます。また、しきりに髪の毛をかきあげていました。最後に片言の日本語であいさつをした際の彼女のちょっとはにかんだ笑顔は、私にはとても印象的でした。

さいごに、この動画を投稿してくださったkawachiyaさんに厚く御礼を申し上げます。

2009年5月24日追記:ブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」で、こちらのインタビューがフランス語で書き起こされていて、管理人様による全訳がされています。ご興味のある方は、ぜひご覧になってください。管理人のTakagiさんに深く感謝を申し上げます。


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする