私は初老男である。
こんなご時世である。
書きたいことは山ほどあるのだが、ひねくれ者を自認する初老男はあえて申すまい。
一息ついたら思い切りUpしようと思っている。
前回に続き落語の話。
先日の予告の通り「あの」落語ディーパが放送された。
そう「あの」東出昌大がMCである。
演目は「愛宕山」
番組では、関西の若手桂吉坊を迎えての「江戸落語と上方落語」の比較をしていた。
だいたい「愛宕山」とは京都にあるという。
上方落語の演目を江戸に移植したもので、良く聞けば江戸落語の話の方に無理が多い。
しかし、落語である。
無理も無茶もありはしない。
実は私が三遊亭志ん朝の落語を初めて聞いたのが、この「愛宕山」なのである。
番組でもその映像が流れていた。
落語という芸能は、予備知識を持たずに聴いてももちろん楽しめるのだが基本となるモノを持っていた方が数倍面白く楽しめる。
演目によっては「オチの意味」が分からなかったりする。
そうした意味で基本となる「志ん朝の愛宕山」を知っていたのは幸運だった。
この番組でほかに流された映像は「桂枝雀」「桂文枝(五代目)」話としては米朝・文楽のことが出てくる。
一之輔と吉坊の「仕草比べ」もでてくる。
やっぱり、この番組は落語好きにはたまらない。
そうこうしているうちに数日後の話。
Eテレ日曜日午後に「日本の話芸」なる番組に桂南光の「三枚起請」が放送された。
この話も「大ネタ」である。
同じく志ん朝のこのネタを、私は「飽きるほど」聞いている。
桂南光といえば、上方落語の伝説桂米朝の弟子、枝雀の弟子である。
本格的に彼の落語を聞くのは初めてと言っていい。
その語り口は師匠の枝雀より、大師匠の米朝に似ている。
聞き終わって思う。
そうか。そういうことだったのか。
南光の「三枚起請」は、本人の歳のせいか米朝ほどの重みがまだない。
落語のことだから「ネタバレ」になってもかまわないだろうけれど。
志ん朝というより、江戸落語ではサゲは花魁の喜瀬川のタンカで終わる。
「勤めの身だもの、朝寝がしたいよ」
しかも、不世出の江戸っ子落語家という志ん朝のこのサゲは見事である。
南光のそれと比べて志ん朝の落語は抑揚が利いて、いかにの江戸っ子たちの心意気が現れている。
そして、南光のサゲ
「俺だけは、小照を信じてる」
このサゲは初めて聞いた。
同じ話でありながら、全く違う話に聞こえた。
落語というモノのあり方が、上方と江戸だいぶ違っていたのだろう。
大坂は庶民の街、江戸は武士の街って言うからなぁ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語の楽しさを理解しますように。
May
しかし、今更ながら桂枝雀という人の「笑い」を突き詰めた芸の凄みを再確認させられましたな。
上方・江戸の土地の違いなど吹き飛ばすほど「笑い」だけを追求していたんだなぁと何度聞いても思うもの・・・。
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